第10話 レイン抽出

 紋白端末タトゥが光っている。

 由宇ユウは端末をタッチした。“サイコゲームから新しい機能の配信があります”というメッセージが空間に浮かび上がる。さらにそのメッセージをタップすると、その新しい機能とやらのダウンロードがはじまった。配信内容が文章で表示されていたので、キネコを召喚し読み上げさせる。

『更新情報。新しく、タグ表示機能が付きました』文章読み上げなので、いつものキネコの口調とは少し違う。『このタグは、マッチング相手とフェイスシートを交換した際、合わせて過去の被判定と加判定を表示するものです。このたび新たに、マッチングした方同士で、それぞれのマッチング相手の過去の被判定や、今までのマッチング相手に与えてきた加判定を確認することができるようになりました。今後のサイコゲームにご活用ください』

 キネコが口を閉じ、愛嬌あるカブキ顔で由宇をみつめる。

 文章はしばらく、由宇の脳内でぐるぐるとめぐっていた。そして、そのすべての意味にハッと気付く。あまりに酷い新機能だった。

 先の殺人事件が起こってから、世間はⅢAを与える側の人間の事を危険分子レインと呼ぶようになっている。正しくゲームを受け社会の責務を全うしている人たちは、レインの存在にとても敏感だ。真面目に生きているのに、レインのせいでⅢAを食らったらひとたまりもない――そんな大衆の想いに応えるかのような今回の新機能だ。

 今まで自分が受けた被判定の表示ならいい。しかし、自分が今まで与えた加判定の表示は、まるでレインをピンポイントで狙い撃ちにしているかのようだ。過去の加判定にⅢAが連続していたら、その人はレインなのだ。そしてそれを知らされるタイミングも問題だ。マッチング相手は変える事ができない。レインとマッチングした相手は自分の運命を受け入れるしかないのだ。死を突き付けられた人間が果たしてどのような行動に出るか――由宇はあまり考えたくなかった。

 こうなればもう祈るしかない。

 お願いだから、某殺人事件からはじまったこの騒ぎは一時的なものであって欲しい。そしてお願いだから、それまでサイコゲームの案内は届かないで欲しい。

 キネコが消滅した。と思ったら、紋白端末から飛び出してくる。

じゃないんだよ……」と毒づく由宇。

「君は〈サイコゲーム〉の対象者に選ばれたにゃん!」

 キネコはくるりと宙返りをして、相手の名前を表示させた。


 由宇は川崎駅に来ていた。マッチング相手と約束した駅だ。待ち合わせ時間まで、カフェでフェイスシートを記載して過ごす。拡張された視覚にホログラム表示されたシートをタップする由宇の手は、どこか震えていた。心臓もいつもより激しく動いている。新機能の事を考えると、どうも落ち着かなかった。

 コンコンと、カフェのガラスを叩く女性がいる。ハッとした。彼女からはタグが伸び、『波風なみかぜ白色シロイロ』『マッチング相手』と表示されている。由宇は頷いて、外に出た。

「はじめまして、愁衣うれいさん」と、白色は明るく挨拶をしてくれる。「わざわざ川崎まで来てもらってすみません」

 笑顔が素敵な女性だった。灰色のニットに紺色のロングスカートを合わせている。

「大丈夫ですよ。近いですし」と、やや棒読み気味の言葉を放つ由宇。

「あ、それで、ゲームをはじめる前にちょっと寄りたいところがあるんですけど、いいですか?」

 緊張している由宇を余所に、白色はまるでデートを楽しんでいるかのように街を歩いていく。初対面の男相手に、手慣れた子だ。大通りを渡り商店街を抜け、二人はチッタにやってきた。

「私、ここにあるラーメン屋が大好きで。ほら、私達っていつサイコゲームで死ぬかわからないじゃないですか。だからゲームの前に絶対にここでラーメンを食べる事にしているんです」

 由宇は、自分自身から伸びているタグを確認してみた。今はまだ表示されているのは名前と目印だけだ。これがフェイスシートを交換すると、それぞれ今までの被判定、加判定も表示される。その時、この明るい女性はどのような反応をするのだろうか――

「っらっしゃーい」と無愛想なオヤジ声。白色が暖簾のれんをかき分け入った店は、カウンター席しかない小さな醤油ラーメン屋だった。

「愁衣さん! これオススメなんで、食べてください!」と言われるがまま由宇は白色に従い、やがて“しょうゆラーメン”が運ばれてきた。

「すごいと思いませんかこれ!」と、同じラーメンを指さしながら白色が言う。「ほうれん草が乗ってるラーメンですよ! 今時、こんなシンプルなラーメンって珍しくないですか! しかもめっちゃうまいんですよ!」

 彼女の勢いに負けながら由宇は「確かに」と呟きながらラーメンを口に運ぶ。

 食べ終わると「じゃあ次は――」と、白色は由宇の手を引いてチッタから抜け出し、ゴミゴミとした街の奥へと進んでいく。

「あの」と、由宇は我慢しきれずに口を開いた。「やらないんですか? サイコゲーム」

「あ、時間ないですか?」

「いや、それは」

「なら、あの、もしよければなんですけど。……こことかでやりません?」と白色が指をさしたのは、ゴージャスな外装のラブホテルだった。

 白色は少し幸の薄そうな顔をしているが美人の部類であることは間違いなく、痩せ型ながら胸の膨らみもしっかりとあり――確かに由宇は男として、その素肌に興味がないわけではない。

「もしかしたら、最後かもしれないですし」と白色は俯く。

「マッチングした人みんなとそういう事してるんですか?」

「いえっ! むしろ初めて誘います……。めっちゃ恥ずかしい……」

 本人はそう言っているが、真偽は不明だ。巷の噂では、サイコゲーム前後での男女の関係は割りに実在しているというが。

 がなければ、もしかしたら食らいついていたかもしれない。しかし今は、どうしてもが先行してしまうのだ。つまり、新たなタグを白色が見た時、彼女はどのような反応をするだろうかということだ。由宇にとってはそれだけが気がかりだった。

 本人は“最後かもしれない”と命を覚悟しているかのような事を言っているとはいえ、いざ死が目前に迫った時に本当にそれを受け入れられるかは、きっとまた別の話だろう。果たして、叫び声をあげ周囲に助けを求めるのだろうか。運命を察して泣きじゃくるだろうか。しかしいずれにしても、そこが密室であれば大事おおごとになることは避けられそうだとも考えた。少なくとも某殺人事件のように、第三者から勢い余って殺される心配はしなくていい。

「入ってみますか」

 念のため、美人局つつもたせのような何らかの罠でないか、建物に入る前に周囲を確認してみる由宇。いくつか人影はあるが、こちらを意識しているような雰囲気は感じない。二人は自動ドアから建物の中に入り、薄暗いエントランスに設置されたパネルを見上げた。何室か空きがあり、その内一番安い部屋を選択する。指定された部屋へ行き、ドアを開けると、奥まで室内灯が点灯した。ダブルベッドが中央に設置された広い一室だ。

「えと。じゃあ、あの、先にシャワーどうぞ」

 不意に、自身の何かのスイッチが入った気がした由宇。「え。一緒じゃないの?」

「え」

「一緒に入ろうよ。どうせ見るんだし」

「……はい。あ、じゃあ、私先に入るんで、今の段階では絶対見ないでください! あと、電気消して入ります!」

 その横で由宇は上着を一気に脱いで上裸になる。

「いいから」と、由宇は短く言って白色と向かい合って迫り、彼女のニットの両裾を掴んだ。「ここで脱いで」

「えと。……はい」

 白色は従った。


 ちゃぽんと水道から水が落ちる。

 由宇は白色を後ろから抱く形で、二人で浴槽に浸かっている。浴槽は内部から光を放っており、室内灯を消した浴室は水面の網を幻想的に壁に漂わせている。由宇の手は白色の小さめの胸にあり、時折その柔らかさを確認していた。ドクンドクンと白色の強い心臓の振動が手のひらに伝わってくる。しかしそれ以上に微かな身体の震えを由宇は感じ取っていた。おそらく寒いわけではないだろう。この震えには、なにか意味がありそうだ。

「白色さん、好きなの? 初めて会った男と、こういうことするの」

「いえ! 全く! ただ、やっぱりなんて言うか、……ほら! サイコゲームでいつ死ぬかわからないですから、悔いが残らないように!」と最後は明るい口調だったが、由宇からみるとどこか演技のようにも見える。

「まぁ、ゲームはやることやってからでいいけどさ。フェイスシートは今見せて」

「え」

 手のひらから白色の緊張が伝わってくる。

「波風さんの事、ちゃんと知っときたい」

「でも」

「いいから」

「……わかりました。でも、あの、このあと、私の事、ホント好きにしていいですから」

 白色は、妙に覚悟を決めてフェイスシートを共有スペースへと流す。それを由宇が受け取った瞬間、白色の頭部から青白く発光する線図が伸びる。通知されていた新たなタグ機能。過去のサイコゲームの判定記録だ。

 白色の被判定成績は過去九回ともⅠからⅡ。

 そして過去九回の内、白色がマッチング相手に与えた加判定は――そのすべてがⅢAだった。

「……すみません」と白色は言う。「私、レインなんです」

 ぴちゃんと水道から水が跳ねる。壁や天井の網が揺れた。

 なるほど――由宇は何回かに分けて頷く。つまりここまでの白色の大胆な行動は、相手にできるだけ穏やかにこのタグを見てもらうためというわけか。明るい女の子を装って、見知らぬ男に身体を触らせて。

「本当にすみません。本当に、できる事があればなんでも奉仕します」

「奉仕って。このあとのゲームで、おれが死ぬ確率が高いから?」

「……はい」

 確かに由宇自身、ⅢAを連続で与えている相手とマッチングしたのは初めてだった。自分も例にもれず、もしかしたら今日ここでⅢAを食らって死ぬのかもしれない。しかし不思議と、死に直面した際の動揺などを由宇は感じなかった。身体の元気な部分は未だ萎えず次の展開を期待してる。

 誰でもこういうものなのだろうか。自分も彼女と同じレインだからだろうか。どこかバイアスがかかり、自分なら大丈夫と思っている節があるからだろうか。

「先上がるわ」と、由宇は身体を起こした。

 ビクリと身体を竦める白色。こちらがどのように受け取ったのか、非常に心配している様子だ。

「心配しなくていいよ。意外とおれ、何も感じてない」

「え」

「おれのフェイスシート流しとくから見といて。お互いに悔いのない時間を過ごそう」

 由宇は端末から情報を共有スペースに送る。

 彼女は果たして、どのような反応を示すだろうか。

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