第8話 安寧のために

「みなとみらいって広くて綺麗でおしゃれだから、結構好きなんですよ」

 ――そうでもないんだけどな。

 心の中でそう思っている由宇ユウは、赤レンガ倉庫の裏手にある海岸沿いで、同じ世代の男性とサイコゲームの途中だった。先月ちさとゲームをおこなった所にほど近く、傾きかけた太陽が海に反射してきらきらと鱗のように輝いている。

 休日という事もあって、辺りは賑わっていた。

 マッチング相手はテカテカ光るスーツを身に着け、髪の毛はツーブロックでがっつりとジェルで固められている。先ほど、赤レンガ倉庫付近の道路に赤いフェラーリを路駐し出てきたところで由宇と落ち合っていた。

 実際、由宇はあまりみなとみらいが好きではなかった。確かに都市の中では広くて綺麗でおしゃれではある。しかしそのすべては人工的に計算され生み出された環境であり――つまり、ここで得られる感動や好感は開発時にすでに想定されている不自然なものに過ぎないのだ。歴史や自然が積み重なって構築された古い土地の美しさを捨てて生み出された新しい都市なのだ。そんな所を好きだなんて、とても思えなかった。

 由宇は、空間に投影されている相手のフェイスシートを眺めてみる。若い起業家のようだった。“サイコゲームによる出会い、その一つ一つの奇跡に感謝”と書かれている。

「綺麗な街ですよね」と由宇は相手の言葉を続ける。「少し歩く距離が長いですけど、でも買い物する場所もあるし、お金を使わなくても過ごせる場所もある」

「山下公園でレジャーシートを広げて彼女と弁当食べるとかいいっすよねー!」と、由宇の言葉を代弁しているつもりになっている男性。

 その喋り口調はとてもハキハキとしており、声も腹から出ていて太く、とても優秀そうな頼りがいを感じる。

 由宇は「そうなんですね」と言った後に、一応やり取りの修正をはかってみる。「あまり外に出るのが好きなタイプには見えないですけど」

 しかし、思った以上に相手はバカだった。

「まぁ一見したらそうかもしれませんし、実際最近までそうでしたよ。でも、人は変われます。僕もそういう風に変われると思うんですよね。なにか一つでもきっかけがあれば、きっと、人は変わることができるんです。そしてこのサイコゲームはそのチャンスなのだと、僕の心の中の声が言っています。今まで気付いていませんでしたが、それが僕の本音なんですよ。変わりたい。だから僕は本当の声をあなたに伝えます」

 男は意味深な目つきで由宇をみる。自信満々で“当たっているだろう?”と言いたげだ。他人の深層心理の本音を発掘したつもりにでもなっているのだろうか――それでよく今まで生きてこれたものだ。

 キネコがゲームの終了を告げる。傍から見て会話は円滑に進んだと思われるだろうが、由宇としては、ちさの例外を除いたでしかなかった。

「いやいや、どうもありがとうございました」と男性は握手を求めてくる。「しかしアレっすね、愁衣うれいさん、本当に人がいいというか、話しやすいというか。最高に楽しいゲームでしたよ。もしよければ名刺とか交換させてもらえませんか? それに愁衣さんならきっと会社を立ち上げるとかもできると思うんで、もし興味あったら声を掛けてください。僕はそういう人を――」

「それじゃあ結果を発表するにゃん!」と、ありがたいキネコの被せが彼の言葉を止める。

 由宇の紋白端末タトゥは、空間にⅠを描き出した。対して、多弁だった彼は笑顔を作っている。

「え、おかしくない? おれがⅢA? ありえないでしょ?」そして由宇の方を見る。「おかしくない? だっておれ、アンタのことちゃんとわかってたっしょ? おれは自分のこのスキルで成功してきたんですけど?」

「……すみません」

 由宇は簡単にぺこりと一礼をして踵を返した。経験上、ここで責任を感じて最後まで立ち会ってしまうと、自分がとても大きな心理ダメージを受けるからだ。

「おい待てよ!」とⅢAの声。「これ、マジなん?」

「……たぶん」

「嘘だろ……どうすれば……」

 彼の言葉に、由宇は不本意ながら足を止めて振り返る。

「手首切断とか……ですかね……」

 しかしそう言った後、由宇は後悔した。相手が激高し、大声を上げたのだ。

「っざっけんな! テメェ他人事でモノ言ってんじゃねぇぞ! もし本当におれが死んだらテメェのせいだからな!」

 由宇はできるだけ冷静になってもらうよう言葉を探す。

「いや……、サイコゲームのせいですよね」

「ちげーわ! おれはずっとⅠでクリアしてきてたんだよ! おれはマトモなんだよコラァ! お前が異常者だからおれは死ぬんだよわかってんのかよ!」

 ――今の社会でそんな言葉を使う人はいない。つまりあなたこそ異常者だろう。

 由宇はそのセリフを喉まで出しかけたが、これから死にゆく人を追い込んでも仕方ない。暴力だけは受けないよう背は向けなかったが、無言でぺこりと一礼しておく。

 男はさらに機嫌を悪くし何かを言おうとしたが、その前にピンと糸が切れた。ゴトリと頭が地面にぶつかる。周囲の観光客はしばらく由宇と死体に視線を向けていたが、その内に誰も興味をしめさなくなった。

 ――やっぱりイヤな気分になったな。最後まで立ち会うのは。

 まもなく瀧也タツヤがやってくるだろう。彼の皮肉を聞かずに済むよう、由宇は足早にその場から去ることにした。

 赤レンガ倉庫の広場を突っ切ると、そこでは“クオリア社主催! サイコゲーム完全攻略~絶対ⅢAをもらわないための心理術~”というイベントが開催されており――それは勉強会というよりも体験型の催しのようで、テントの中へ伸びる行列はカップルや家族連れが多くいた。由宇はその出口側を歩き、関内駅方面にある自宅へ歩いて帰ろうとしていた。その折にふと、体験コーナーを終えた人たちに声が聞こえてくる。

「いやー、無理だったなー」

「あんな人とマッチングしたら最悪だね」

「この体験がゲーム本番じゃなくてマジでよかったよな―。いい体験したわー」

ならいけたよね」

「いけた。でもとのシミュレーションは全部ⅢAだったなー」

「ホント私も! マッチング相手が五連続以上死んでる人とのサイコゲームなんて、もうそれサイコゲームじゃないよね!」

「思った! ありえないよな! でもそういう人がこの社会には沢山いるんだろ? 勘弁してほしいよなー」

 家族連れは、足を止めた由宇を追い越していく。自分のことじゃないか。由宇はイベントブースを振り返ってみる。

“クオリア社主催! サイコゲーム完全攻略~絶対ⅢAをもらわないための心理術~”

 ブースでは、ⅢAをもらわないためのコツを披露しているんじゃないか? それとも、そのコツをもってしても自分のような人間は他人にⅢAを押し付けてしまうとでもいうのだろうか?

 再び、由宇は赤レンガ倉庫に背を向けた。通り過ぎていく人々はみな、先ほどの家族と同じような感想を話しながら通り過ぎていく。由宇の存在を“ありえない”と否定しながら通り過ぎていく。ピンク色の人力自転車を運転する茶褐色な肌の若者たちが観光客を呼び込み、その奥では歩行者信号が青になる。由宇の足はその青を合図に自動で歩き始めた。そしてしばらく歩いてから大通りを逸れて、運河に面した歩道に下る階段を、その足は進路に選ぶ。階段の上は人が多くてとてもにぎやかだが、その下の川沿いには由宇以外の人はおらず静かだった。

 足が歩みを止めたので手すりにもたれかかってみると、緑色に濁った水の中に白い海月くらげが漂っているのが見える。ふわふわと傘を動かし、水面に頭を出してみたり、濁った水中へと消えてみたり。動いてはいるが、彼らは脳も心臓も血液もない生命体だ。何も考えず、何も感じず、ただただ反射的に蠢き、捕食し、繁殖するだけのプランクトン。

 羨ましいと、由宇は思った。

 自分は、サイコゲームでⅠをもらい続けていた。それはつまり、この社会で生きる事を許された証だ。逆にⅢAをもらった人間は、この社会で生きる事を許されない。しかし赤レンガ倉庫で何らかのイベントを体験した人々は口々に語っていた――例えⅠという判定を受け続けていたとしても、ⅢAを与え続けている人間は“ありえない”のだと。

 だけど、自分はここにじゃないか――

 気付けば太陽は横浜の西の空へと沈んでいた。自動運転が切れた足を由宇は動かし、進路を自宅へと向ける。

“切断者になれるチャンスは、ここしかない”

 由宇の頭には、あの髪の毛がぼさぼさで翻った声の男の言葉が思い浮かんでいた。とはいえもちろん、もうあんな街に行くだなんて二度とごめんなのだが。


 数日経った、ある日だった。

 仕事から帰ってきた由宇がなにげなくテレビをつけてみると、一つの殺人事件が報じられている。この時代に殺人だなんて珍しいと思い報道の内容に意識を向けると、とんでもない事件として扱われていた。

 若い女性リポーターが語る。

『こちらはその殺人事件が起こった相模大野駅の構内――私たちはそこを一望することができる、駅に面した路地に来ています。今も駅構内にはブルーシートが張られている様子がわかります。目撃者の証言によると、被害者の女性は当時、マッチング相手とサイコゲームを終えたところでした。マッチング相手はⅢAの判定を受け大きく“ありえない”と声をあげていたそうです。あまりに騒ぐので周囲の人々が事情を聞いていると、被害者女性はなんと、八連続でマッチング相手をⅢAにしていることを話したそうで――近くでそれを聞いていた東京都在住の会社員男性は思わず彼女を突き飛ばして線路へ落下させ、その女性は走ってきた電車と衝突したとのことです。被害者女性は全身を強く打って死亡しました』

 由宇は気分が悪くなりテレビから目を逸らす。

 カメラはどうやらスタジオへと戻ったようだ。安っぽいカリスマ口調のコメンテーターたちが言い合っている。

『いやぁでもね、僕は容疑者の気持ちもわかりますよ。だって僕らは今まで真面目に生きてきているんですから。僕たちはずっとⅠを獲得し続けていて、生存を認められているんですよ。それを心を閉ざした人間なんかに出くわしたがために突然ⅢAを食らうなんてね。酷い話じゃないですか。そんな社会に安寧なんてありませんよ全く』

 拍手が沸き起こるスタジオ。

 由宇はやや乱暴にリモコンのボタンを圧し潰し、テレビを消してやった。



トザシタココロ:END

 → NEXT:セイギトギセイ

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