最終話
宮藤家では家族の誕生日に、皆で揃ってケーキを食べる。
もうすぐ叔父の誕生日だ。
唯都は自室で結愛と一緒に、当日のケーキについて話していた。
「叔父さんは、もったりしたチョコレートが好きだけど、叔母さんはちょっと苦手だったわよね……。もったりしたチョコなら、ブラウニー? でもあまり誕生日らしくないわね。ザッハトルテの方がいいかしら。叔母さんはオペラケーキにしましょう。結愛は何がいい?」
叔父は甘党で、特にチョコレートが好きだ。しつこいくらいに甘いのが良いらしい。逆に叔母は、甘すぎるのは苦手なので、叔父の好物に合わせるとケーキ選びが難しくなる。
ホールでは無く、カットケーキにして、各自別のものを選ぶのはどうか。しかし近所のケーキ屋は、チョコレートケーキの種類がそれほど豊富では無かった。
それで、唯都は当日のケーキを手作り出来ないかと考えていた。
「唯ちゃんと同じやつ」
結愛はいつも唯都と同じものを選ぶ。
何でも唯都とお揃いにしたがる結愛を愛しく思いながら、自分は彼女の好きそうなものを選んだ。
「うーん、じゃあ私は無難に、ガトーショコラにするわ。結愛もそれでいい?」
「うん!」
話が纏まったちょうどその時、一階から物音が聞こえた。叔母が帰って来たのだろう。唯都と結愛は揃って立ち上がって部屋を出た。
階下に下りると、玄関から入ってくる叔母が見える。
出迎えた唯都と結愛に気が付いて、叔母は靴を脱ごうと屈んだ体勢のまま「ただいま~」と二人を見上げた。
唯都と結愛もおかえり、と返す。
廊下に上がりスリッパをはいた叔母が、唯都の前まで寄ってきて彼の肩を叩いた。
「唯都、ほら、遠慮しないで。好きなように喋って良いのよ?」
唯都は自分の部屋から出ると、いつもの癖で口数が少なくなる。
家で叔母達と一緒に居る時、唯都はオネエ口調にならないので、その事を指摘しているのだ。
叔母達に本来の口調がばれていたと分かってからも、唯都の態度はあまり変わっていない。
唯都に変化が見られない事に、叔母はやきもきしているようだった。
だが言われるとかえってやり辛いものがある。
唯都は口を濁した。
「……まだ、ちょっと。慣れないから……」
「え~、結愛と二人きりの時はちゃんと喋っているじゃない」
上着をコートスタンドに掛け、リビングに足を進めながら、叔母が不満そうな声を出した。唯都達も話しながら付いていく。
さらりと言われたが、叔母達に聞こえる所で口調を変えた覚えは無い。それに二人きりの時の事を、叔母は知らないはずである。
まさかまた津田の仕業だろうか。一瞬疑ったが、叔母は焦らす事無く種明かしをした。
「前に唯都が体調を崩して、津田さんが付き添ってくれた時あったでしょう。部屋から唯都の叫ぶ声が聞こえてきたのよ。
あの時は聞こえなかった振りしちゃったけど……ふふふ」
叔母は当時を思い出すように笑う。
「『そんなの、好きな子本人に言える訳が無いでしょー!!』って……情熱的ねえ」
言われて、唯都の顔に熱が集まった。遠い昔の話では無いので、一言一句覚えている。
あの叫びを聞かれていたとなると、叔母が知らない振りをしていたのはその時だけでは無いという事だ。
結愛の事が好きなのかと家族の前で問い詰められた時も、叔母は答えを知っていたのである。
確信犯だった。
「でもね、旦那がショックで泣いちゃうから、子供が出来るような事は避けてね。あの人結愛の事まだ子供だと思っているから。でも孫は欲しいと思うから、将来的には問題無いわよ? 今は駄目ってだけで。ちゃんと気を付けてくれれば行為自体は別に……」
唯都は勢いを増す叔母の言葉を慌てて遮った。
「お、お願いだから結愛の居る前でそういう事言わないで」
唯都の隣には結愛が居る。
ただでさえ津田や叔母達に弄ばれているのに、好きな子の前で煽るような事を言うのは止めて欲しい。
これ以上の羞恥には耐えられそうになかった。
女親はこういう所で寛大である。
「結愛だってもう中学生よ? 私の時なんてねえー」と自分の昔の話を持ち出そうとしたので、唯都は再び部屋に篭る事にした。
結愛の手を引いて、「俺部屋に行っているから」と逃げるように階段を上がる。
叔母がまた「くれぐれも……」と何か言いかけたので、先の言葉を言わせないように言葉を被せた。
「何もしないから!!」
叔母は面白く無さそうに「え~」と声を漏らしたが、何を残念がるのか唯都には疑問だ。
同じ家に暮らしているのだから、普通は気まずいものだと思うのだが。
わざわざ下りたのに、二人でまた部屋に戻る。
完全に遊ばれている自分に辟易しながら、結愛を先に入らせた後、後ろ手に扉を閉めた。
声が止んで、静寂に包まれる。唯都の首の熱だけが意識を持つ。
微かな息遣いも聞こえそうな部屋の中で、結愛が髪を靡かせて振向いた。
切り揃えられた前髪が少し乱れて、彼女の額が顕わになる。
人形みたいな彼女。
唯都の前では生きた表情を見せる、彼だけの人形。
一瞬そんな事を思うほど、顔から感情を消していた結愛が、急に拗ねたような声を出した。
「何もしないの?」
眉をさげ、唇を尖らせて、不満を顕わにする恋人は、驚異的に可愛らしかった。
部屋に逃げたのは失敗だったかもしれない。
唯都がこの誘惑に抗う事は非常に精神力を使うのだ。
「キスも駄目?」
追い詰めるように、扉を背にする唯都へじりじりと寄って来る。
やがて唯都の胸に両手をつくと、結愛は体をぴったりとくっ付けて、上目で見上げてきた。
こうなると、唯都は動けなくなる。もう駄目だ。
(この破壊力よ……)
目を逸らそうと天を仰ぐが、余所見するなと言いたげに結愛が唯都の胸をトントンと叩く。
唯都はあっさり降伏して呻くように呟いた。
「……キスくらいなら」
それで済まなくなるから、駄目なのだ。
顔を綻ばせ、期待に瞼を下ろした結愛を見下ろす。
一日一度は強請られる行為に、手を染めてしまえば、すぐにそれだけでは満足出来なくなる。
唯都も大概だが、キス一つで満足出来る初心な少女相手では、怯えさせないようにするのにいつも必死だ。
(こんな毎日も、幸せだけどね)
時が来るまで、忍耐の日々である。
互いに早く大人になりたいと思うが、幼い初恋を楽しみたい気持ちもあった。
一生別れるつもりは無いから、妻になった結愛の姿は、彼女が死ぬまで見ていられるだろう。しかし中学生の結愛は今だけなのだ。
高校生の結愛も。
制服に身を包んだ結愛を、他の男の青春に加える事無く、全て唯都のものに出来る。
その代償がこの愛しい責め苦なら、甘んじるのも悪くは無い。
※
学校帰り、結愛の中学まで迎えに行く。校門前で立ち止まり、『ついたわよ~』とメールを送った。
長く待たずに結愛から返事がくる。『お菊ちゃんも一緒でも良い?』
菊石は部活動に入っているという話だったが、今日は無いらしい。唯都は了承のメールを返した。
程なくして、結愛と菊石が二人並んで歩いて来るのが見える。
実は、素の口調で話すようになってから、菊石と会うのは初めてだ。結愛から話はいっているかも知れないが、どうしても緊張する。
「こんにちは、お菊ちゃん」
菊石が目の前までやってくると、唯都は少し高めの声で挨拶をした。菊石はその声の変化に気付いたのか、瞬きを繰り返し、口を僅かに開いた。
「本当だったんですね」
小さな声だったが、唯都には聞き取れた。
何の事かは分かっていたが、視線で「何が?」と問いかける。
「イケメンなオネエはありだと思います」
菊石は力強い眼差し頷いた。
唯都を称しているのだろう。否定的な言葉でなかった事でひとまず安堵したが、反応に困る。
何と言ったものかと考えていると、菊石は一人で力説し始めた。
「結構前から、オネエタレントなんて普通じゃないですか。
それにオネエを題材にした漫画や小説も多いんですよ。
読んだ事は無かったんですけど、結愛から先輩の話を聞いてから、私も購入してみました。
凄く面白いし、見方も好意的に変わると思うので、先輩にもお勧めです。
オネエでも需要があるのに、先輩は格好良いんですから、最強ですよ。
オネエ好きな女子の皆さんが黙って無いと思います。
ライバルが増えて結愛が不安にならないように、しっかり甘えさせてあげて下さいね」
彼女は長々とした言い分を噛まずに述べる。
流れるようなスピーチに、唯都は若干気圧された。
「……えらく好意的ね」
否定的どころか、逆にお勧めまでされる。
「はい。予習はばっちりですから、どんどこいです」
菊石は自分の胸を軽く叩くと、誇らしげに笑った。
恐らく彼女は、唯都を気遣ってくれたのだ。唯都が緊張していた事も、伝わっていたのだろう。
姉妹の心遣いに、胸が温かくなる。
唯都は自然と笑顔になった。
「津田さんに言われるより、説得力があるわね」
「姉に何か言われました?」
菊石が首を傾げる。
「多分だけど、津田さんもね、私の事励ましてくれていたのよ。今のお菊ちゃんみたいにね」
津田と菊石の二人は少し似ている。
唯都の心の内を察したのか、菊石は少し複雑そうな顔をしたが、嫌そうな感情は出さなかった。
それを見て、唯都は思う。
菊石の心も、何か変わってきているのではないだろうか。
津田は「嫌われている」と言うが、唯都から見れば、修復不可能な程には見えないのだ。
「さあ、一緒に帰りましょうか」
唯都と結愛が寄り添う光景を、菊石が眩しそうに見ている気がするのは、彼女が唯都に焦がれているからでは無いと思う。
きっと彼女も、羨ましいのだ。
自分を思ってくれる姉を、自分も同じように好きになれないだろうかと、葛藤しているのだろう。
そんな気がする。
「もうすぐ、私のお父さんの誕生日なんだよ」
結愛が歩きながら、菊石に話しかけた。
「そうなの?」
「だから今日は練習で、唯ちゃんがチョコケーキを作ってくれるの。お菊ちゃんも食べていかない?」
以前と唯都と話していた、チョコレートケーキの試食のお誘いである。唯都も二人を見ながら頷いた。
「先輩ケーキ作れるんですか!?」
三人で並んで、唯都と結愛の間、真ん中を歩く菊石は、驚愕の表情で唯都を見上げる。
菊石が唯都を見ている後ろでは、菊石には見えないだろうに、結愛が得意げな顔をして胸を張っていた。
「簡単な物しか作れないわよ~。久しぶりだから、練習しないといけないし」
ケーキなんて作れば、香りでばれる。隠れて練習はしていたが、家で堂々と作るのは、本当に母が生きていた頃以来だ。
「ケーキってだけで十分簡単じゃないですよ……」
彼女はケーキ作りを嗜まないらしい。
「当日は四人分作らないとね」
今日はまだ練習だから、一種類だけ作るつもりだ。だが当日は、一種類の大きいケーキでは無く、小さめのチョコレートケーキを数種類作らねばならない。
手間ではあるが、面倒だという気持ちを上回る喜びがある。作ったら食べてくれる人がいて、隠れずにお菓子作りを出来る環境に、唯都の心は躍った。
「四人?」
菊石が疑問の声を上げ、再び結愛に向き直る。
「結愛、前にお姉さんがいるって言ってなかった? お母さんと、お父さんと、先輩と、結愛と、お姉さん入れたら五人家族じゃないの?」
唯都は話が読めず、首を傾げて二人の様子を眺める。
結愛は思い出したように「あっ」と声をあげ、口に手をあてた。
何の話だろうと思っていると、結愛が後ろに回りこんできて、唯都の腕を掴む。
存在を強調するように、唯都の両腕を軽く持ち上げた彼女は、菊石と顔を見合わせると、改めて、友達に唯都を紹介した。
「お姉ちゃんじゃなくて、"オネエ"ちゃんなの」
菊石が、ぱちぱちと瞬きをする。
やがて納得したように、「ああ、なるほど」と頷き、微かに笑った。
結愛は手を離して、身を翻すと、唯都の前に踊り出る。
長い黒髪が舞い、スカートがはためき、白い脚が覗く。
唯都は目を細めた。
八重歯が見えるのは、久しぶりだ。
「オネエなおにいちゃん、だよ!」
唯都が見つめる先で、結愛の笑顔が明るく弾けた。
〈終わり〉
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