第50話
結愛を心配して、暫く叔母が登校に付き添っていたが(こういう所を結愛は恥ずかしがらない)、下校時に唯都が毎日迎えに行く事でそれも落ち着いてきた。
結愛がどこかでパニックを起こすのではないかと、叔母は思っていたらしい。「唯都が毎日一緒に帰ってくれるなら大丈夫ね」と、どこか申し訳無さそうにしながら、叔母は通常の生活に戻っていった。
唯都の時間を拘束する事を申し訳無く思っているようだったが、唯都は結愛のために時間を使う事に何の不満も抱いていないので、叔母の気遣いは無用の物だった。
四人揃った夕食の席で、結愛は「またお菊ちゃんを連れて来てもいい?」と叔母に聞いた。
菊石の事で、唯都は若干気まずい心持ちだったが、口を挟まない。叔母が快諾するのを側で聞きながら、ふと思い立って、唯都はまず結愛に対して提案を口にする。
「同じ日に、俺の友達も呼んでいいかな」
叔母達には、まだ本来の口調で話せていない。それどころか、結愛との関係も曖昧なままだ。
はっきりと聞かずとも、結愛の気持ちは分かっていたが、お互いに恋人になろうと言った訳では無かった。
「唯ちゃんのお友達? 誰?」
嫌だという風では無く、単純に気になったようで、結愛が聞いてくる。私の知っている人? という意味も含まれているようだ。
「津田さん」
結愛はぴしり、と固まった。津田の名前に拒否反応でもあるのだろうか。確かに彼女にとっては、忘れたくても忘れられない名前かもしれない。
結愛は返事をしなかった。津田の話は存在しなかったというように、叔母に向き直る。
唯都は、タイミングを間違えたかなと思った。津田と菊石のために何かしてやりたかったのだが、本人達の前に、結愛から反対されれば諦めるつもりだ。今回は見送る事にしようかと考える。
「ねえお母さん」
やはりこの会話は終わったらしく、結愛が改まって叔母を呼んだ。
唯都はこれ以上余計な事を言わないように、無言で味噌汁に口をつけた。
「何?」
「従兄妹って結婚出来るんだよね?」
ゴフッ。
鼻に、ツンとした痛みが走る。味噌汁が入った。唯都はお椀をテーブルに戻して、咄嗟に口を押さえる。横を向いて俯くと、盛大に咽た。
叔父が立ち上がって、「おいおい、唯都。大丈夫か。珍しいな」と背中をさすってくれるが、その行為にあまり効果は無い。
結愛が突然落とした爆弾に、唯都の思考は追いつかない。彼女はどういった意図で発言したのだろうか。
ただなんとなく聞いただけなのか。
唯都が意識し過ぎているだけで、深い意味は無い言葉なのか。
叔母の反応が気になって、唯都は俯いたままこっそり目線を上げた。すると、叔母とばっちり目が合う。
何故か、ひやりとした。
叔母は結愛の顔と、突然咽だした唯都を見比べる。
やがてにんまりと笑って、「へえ~?」と身を乗り出した。
「何、唯都と結愛って、そうなの?」
察しが良すぎる。
「そうなのか?」
叔母に続いて叔父までも、床を向く唯都に声を掛けてくる。唯都は真っ赤になった顔を上げられなくなってしまった。
(結愛の真意が読めない……肯定しちゃっていいの? でも私が勢いで告白しちゃっただけよ? 結愛の気持ちをはっきり聞いた訳じゃないし……ああもう! 男らしくないのは分かっているわよ! 私が確認しないから駄目なんでしょ! でも、その、タイミングってものが……)
一人心の中で問答している内に、結愛の声が耳に届く。
「唯ちゃんが私の事好きだったら、いつかお嫁にもらって欲しいなと思って」
本日二つ目の爆弾が投下された。
唯都は益々熱くなる顔を、両手で押さえる。
叔母達の前で、自分は一体何を試されているのだろう。
「……どうなんだ? 唯都」
叔父が真面目な声音で確認してくる。
「どうなの? 唯都。好きなの?」
叔母はからかいを含んだ声で聞いてくる。半分笑っていた。
「唯ちゃん、私の事好き?」
結愛の期待まじりの声が、止めだった。
「好きです…………」
普段はテレビをつけているはずなのに、いつの間にか音が消えている。リモコンは叔母の手元にあったはずだ。叔母の仕業である。
小さく出した唯都の声は、静寂の中にストンと落ちた。
味噌汁で咽た直後の、何とも格好の付かない告白である。しかも唯都は横向きに座って顔を隠したままだ。
「結婚は?」
結愛の質問を、叔母が言い直す。
「したいです……」
家族の前で何を言わされているのだ。唯都は顔から火が出そうだった。だが恥ずかしさだけでは無い気持ちがある事も確かである。もうどうにでもなれという気分だった。
様子を窺うようにしながら、徐に体を起こす。叔母達があっさりと唯都と結愛の関係を認めくれる雰囲気だったので、思わず確認した。
「何でそんなにあっさり受入れるんだ……」
唯都の言葉に対して叔母は、「だって……」と叔父と顔を見合わせる。
「唯都はいつか、『ずっと女の子になりたかったんだ』って言い出すと思っていたんだもの。予想が外れてびっくりしたけど、こっちの方が抵抗も無いわ。最近独身も増えているし、好き合って結婚出来るならめでたいじゃないの! ねえ?」
ここにも特大の誤解が紛れていた。
どこから『女の子になりたい』という話が出たのか。
きちんと問い正さなければならないと思った。
「俺、女の子になりたいなんて一度も思った事無いけど……何でそんな風に誤解したんだよ」
叔母は今まで楽しそうに緩めていた顔を少し引き締める。真面目な顔つきで、幾分声を落として語りだした。
「姉さんに、唯都のことを預かって欲しいと頼まれた時に言われたのよ。――唯都は遊ぶ時、サッカーとか野球とか、ゲームをするよりも、編み物とか、お料理とか教える方が喜ぶの。喋り方も女の子みたいで、所謂オネエかもしれないんだけど、周りに迷惑をかけない範囲なら、好きにさせてあげてほしい。ちゃんと人を気遣える子だから――って。だけど、うちに来た時も、引き取られてからも、唯都はそんなところ全く見せないものだから、旦那と心配したわ。無理しているんじゃないかって」
初めて知る事実に、唯都は言葉を返せなかった。
(叔母さん達、ずっと知っていたの……?)
息を呑んだ唯都を見つめて、叔母が柔らかく微笑む。彼女が叔父を見たので、唯都も視線を移すが、彼も訳知り顔で頷いていた。
叔母は話を続ける。
「いい子でいようと頑張り過ぎているんだわ、気を遣い過ぎて、好きなように出来ないだって、心配していたのよ。私達が信頼出来ないから、そうさせているのかもしれないと、悩んだ事もあったわ。だけどそのうち、唯都が知られたくないと思っているのなら、あえて何も言わない方がいいと判断したのよ」
あまり喋らない叔父も、横から付け加えた。
「唯都。我慢しなくていいぞ。嫌われる心配とか、気を遣う必要は無い。好きなように生きていいんだ」
叔父の低く力強い声に、唯都は目頭が熱くなった。
本当の自分を出せるのは、母の前だけだと思っていた。母が居なくなってからは、心の休まる場所は無く、いつも痛む腹を押さえていた。
結愛を好きになってからは、とても救われたけれど、代わりに醜い独占欲で苦しむ事になった。
自分を偽らないといけないと、思い込んでいただけなのだ。
そうしないと、擬似的な幸福で周りを固める事が出来ないから。
一歩踏み出せば、いつでも本物が手に入ったのに。
「だから、唯都が女の子になったとしても、私達は家族よ」
もう泣いてしまいそうだと思った時に、叔母のとびきりの笑顔で一気に涙が乾いた。
叔母の誤解はまだ解けていない。
「だから! 口調はアレだけど! 女になりたい訳じゃ無いから!」
津田の彼女疑惑の時よりも必死に否定する。
今後一切そんな予定は無いのだ。
「大丈夫よ~、受入れる覚悟は出来ているから」
「俺は! 男として! 結愛が好きなんだ!!」
男らしい事を言わなければと思い、勢いで口走る。
はっとして、言葉の選択を間違えたと気付いた時には、叔父も叔母も微笑ましい表情で唯都を見ていた。羞恥が振り切れて、思考が真っ白に染まる。
唯都が横目で窺うと、結愛は真っ赤になって、冷めた味噌汁を啜った。
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