第49話
――あくまでも、目的のために友達を演じているに過ぎないのだから……“本当の自分”を知られたら、嫌われるかも知れない……なんて、考える必要は、無い。
でも、本当は……。
……上辺だけの付き合いだと思いながら、その実、自分の方が友人に見限られるのを恐れている。
唯都だって、彼らに嫌われたくは無いのだ。
※
手間と時間を掛けて築き上げてきた、“友人”達の前で、口を滑らせてしまった。
見なくても、結愛が心配そうに見上げているのが分かる。彼女の方こそ、今恐ろしい思いをしたばかりだというのに、唯都の事を気にかけてくれている。
唯都が本来の口調を知られる事を、酷く恐れていると、結愛も知っているから。
「……帰るわ。結愛、そのまま歩ける? 背負いましょうか? あ、でもスカートだから駄目ね。タクシー拾いましょう」
今更取り繕える物でも無いので、唯都は結愛と本来の口調でやり取りを続けた。
「唯ちゃん……あの、でも、警察の人がこっち見ている……私たちの事呼ぼうとしているんじゃ無いかな……」
「あ~事情聴取とかかしら。面倒くさいわね~」
早く帰って、ひたすら結愛を慰めて、ゆっくり休ませてやりたい所だが、そうもいかないらしい。
唯都は石化したように固まる協力者達を見て、もう一度頭を下げた。
「鈴色先輩、皆さん、今日はご迷惑お掛けしました。これで失礼させて頂きます。皆さんも、気をつけてお帰り下さい」
それだけ言うと、彼らをその場に残し、結愛の肩を抱いて振り返る。
律儀に待っていてくれた気の弱そうな警察官の所へ結愛と共に向かった。
叔母と叔父が駆けつけたり、警察に事情を聞かれたりと、結愛を休ませる暇も無く、夜になってしまった。
一応家には帰ってこられたが、結愛はずっと唯都の手を握って離そうとしない。その様子を見て、叔父と叔母は痛ましそうな表情をした。
唯都の心情も同じだった。
告白の時の反応や、芥子川と普通に接している事から、結愛が男性恐怖症だというのは唯都の想像に過ぎないのかもしれない、と考えていた。だが今回の事で、事実がどうであれ、結愛は本当に男性恐怖症になってしまうかもしれない。
酷ければ人間不信だ。
リビングのソファに並んで座り、結愛の手を握り返す。
痛くしないように、優しく。
叔母と叔父は、結愛を心配して寝られないようだったが、唯都が「俺が一緒にいるから大丈夫だよ」とやや強引に二人を寝室へ送った。
都合が良い事に、翌日唯都と結愛は休日だ。叔母達は平日、土日関係無く仕事があるので、「明日も早いだろう」と言って彼らを説得した。
だから、今リビングには、唯都と結愛の二人きりだ。
思い悩む表情の結愛に、声をかけようか迷う。
二人とも無言だ。
時計の音が大きく響く。
結局唯都は、何も言わない事にした。
ただ黙って寄り添っているのでも、彼女の慰めになっていれば良いと思う。
時々結愛が指に力を入れるのを感じて、唯都もそっと力を返す。そんな時間を過ごした。
明日が休みとは言え、そろそろ自分達も寝た方が良さそうだ。時計の針が真上に近くなって、唯都は結愛の手を、少しだけ強く握った。これから話しかけるよ、という合図のつもりで。
その合図に気が付いて、結愛が先に声を出した。
「唯ちゃん……」
結愛の言葉を遮らないように、ゆっくりと間を持たせてから、相槌を打つ。
「うん」
「ばれちゃったよ、唯ちゃん」
「……ばれる?」
「唯ちゃんの、本当の喋り方……」
まるで彼女が悪い事をしたかのように、結愛は落ち込んでいる。だが今日の事で、結愛に悪い所なんて一つも無い。
その事を考えていたのかと、唯都は嬉しくもあり、申し訳無くも思った。余計な事を気に病ませてしまったらしい。
唯都は、大した問題では無いと言うように、明るい声を出した。
「そうねえ、つい、かーっとなっちゃったわ。駄目ね。私ってああなると、口調が戻っちゃうみたい。こんな兄がいるせいで、結愛が学校で苛められたらどうしましょう……」
唯都が自分を貶めるような事を言うと、結愛は即座に否定した。
「平気だよ!!」
自分が慰められる側なのに、結愛は唯都を励まそうとする。
「私も大好きだもん。どんな唯ちゃんだって、皆好きになるはずだよ!」
確かに失態を犯してしまったが、唯都は案外、落ち込んではいなかった。
何故ならこのように、結愛だけは何があっても唯都の味方をしてくれるだろうと、信じているからだ。
唯都と結愛はお互いに、一番に思い合う味方同士だ。
予想通りの反応に、際限の無い愛しさが込み上げる。
「ねえ結愛、今日一緒に寝ましょうか?」
今の言葉に関して言えば、下心は全く無かった。ただ、一晩中、彼女の側に居たかったのだ。
自分でも、穏やかな笑顔を浮かべられたと思う。
結愛は今までに無かった提案に、瞬きを忘れたような顔をしたが、やがて頷いた。
「うん。一緒に居る」
唯都は結愛の手を取って、リビングを出る。
廊下で唯都は、唇の前で人差し指を立てて、結愛を見つめた。それを見て結愛は、心得たように無言で首を縦に振る。
二人は叔母達を起こさないように抜き足で階段を上った。唯都の部屋の扉を、慎重に開ける。二人は目を見合わせて、声を出さずに笑った。何だかおかしかった。そして隠れるように、こっそりと部屋の中へ消えた。
夜中、結愛の穏やかな寝息が途切れる事は無かった。
結愛の心を癒すのに、短い休日では足りない。休みの間、彼しか頼る相手が居ないというように、結愛は唯都から離れなかった。
嫌な記憶を思い出して、彼女が取り乱す場合もあるだろう。
そう思って身構えていたが、唯都の側にいる時、結愛は始終落ち着いていた。
結愛に寄り添える事は、幸せな事だった。
一緒にいると、頭を悩ませていた“友人”達の驚いた顔が、心を占める事も無かった。
常に温もりを感じる距離に結愛が居る。
結愛の事だけを考えていたかった。
そしてそれは、容易な事だった。
彼女も、唯都と同じだったのかもしれない。
※
幸せな休日は虹のようだった。すぐに消え去ってしまったが、唯都の心に美しい余韻を残してくれる。
憂鬱な登校日がやってきた。
今回ばれた唯都の口調に関しては、口止め等はしていない。
目撃者も多かったため、恐らく“友人”達の間で情報が共有されているはずである。
噂が立つだろうとは思っていた。だが特に何も対策は打っていない。
これからどうしようかと考えながら登校したが、教室で津田の声を聞いて心は決まった。
「おはよう、逢坂君。噂になっているよ~。どんな内容だと思う?」
あまりにもいつも通りの彼女の声に、少し強張っていた肩の力が抜ける。
「どんな噂か、聞きたくもないわね」
唯都が溜息を吐きながら答えると、近くに座っていた男子の椅子がガタッと鳴った。津田は呆けたように口を開けている。
「あれ、隠すのやめたんだ?」
「……その、前から知っていましたって口ぶりが怖いわ」
ある程度、予想はしていた。
実を言うと昨日までに、自称逢坂信者の友人達から、幾つかメールが届いていたのだ。
どんな唯都でも、変わらず応援する、といった趣旨のメールである。
流石に全員から届いた訳では無いので、多少の慰めにはなったが、それだけだ。
他の人間が知っていて、津田が知らないという事は無いような気がしていた。
「まあねえ、私は知っていたよ。むしろ逢坂君の方が、忘れているんじゃない」
「何の事よ」
何でも分かっていそうな顔をしている津田が、何でも無い事のように唯都に挨拶をしてくる。その事が、唯都の決意を後押ししてくれた。
「気にしなくていいよー。心配しなくても、私は逢坂君の友達やめたりしないからさ」
津田はにかっと笑う。
その笑顔が誰と似ているのか、唯都にはもう分かっていた。
小学生以来何年ぶりかになる、同級生との気負わぬ会話に、照れくさくなって顔を背ける。
「……それはどうも」
もしかしたら唯都には、もう本当の友達がいるのかも知れなかった。
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