第44話 幕間〈芥子川視点〉
来年受験生という事もあって、家に帰ってからも毎日欠かさず勉強をする。授業の復習と、翌日の予習を済ませ時計を見ると、既に深夜を回っていた。
ようやく床に就こうと部屋の電気を消した所で、点滅する光が暗闇の中をほの暗く照らす。
マナーモードに設定した携帯電話が振動していた。
メールでは無いと分かる長い振動。こんな非常識な時間に電話してくるのは、緊急の用事か、もしくは、ここ数日表示される見たくもない相手だ。
軽い頭痛を覚えながら、携帯電話を取る。
光る画面に見えたのは、常々縁を切りたいと思っている名前だった。
出たくは無い。本当は電源を切って、明日の朝まで静かに眠りたい。だが、過去家族が倒れた時、深夜に連絡が来た経験から、どうしても躊躇してしまう。
無視した時は、何度切れても連続して掛かってきた。夜中ずっと鳴り続ける音は、狂気じみた執着を感じる。
(勘弁してくれ……)
眠りが浅い日が続いていた。
習慣で勉強を続けていたが、今日は早く眠れば良かったと後悔する。
眠る時間をずらした所で、根本的な解決にはならないが、今は数日の疲れが溜まっていた。
誰からの着信かと考えると、途端に不快に感じる。布団を被ってやり過そうとするが、放って置くには耳障り過ぎた。
鈍る思考で、横になったまま、とうとう電話に出てしまった。
『やっと出てくれた』
声だけ聞けば可愛らしい、若い女性だ。
こちらが返事をしなくても、相手は喋り続ける。
『ねえ、より戻そうよ。最近別れた奴が、ストーカーっぽくて困っているの。やっぱり私の彼氏は芥子川じゃないと。他は全然駄目』
電話口の声は、甘えるように、毒を染み込ませる。
『私といると、楽しめたでしょう? もっと色々してあげる。あの宮藤って子、てんで子供じゃない。芥子川、あんなのがいいの?』
教えていないはずの名前を囁かれて、芥子川は飛び起きた。
「何で……」
返事があった事が嬉しいのか、相手は幾分声を高くする。
『だって、前言っていたじゃない。好きな子がいるから、って。だから調べたのよ』
自分の発言を思い出す。迂闊だった。最初に電話がきた時は、ここまでしつこくされるとは思っていなかったのだ。
『この子が、他の誰かの物になれば、私の恋人になってくれる?』
彼女は、結愛さえなければ、芥子川が自分に靡くと思っているらしい。
「好きな人」と溢してしまったばかりに、結愛まで目を付けられてしまった。
相手の女は、深夜の電話のみならず、芥子川の身辺についても調べているようだった。最近別れた男について、「ストーカーっぽい」と言ったが、それは、そのまま彼女に当てはまる言葉だ。
「変な事しないで下さいよ……」
芥子川は彼女に告白された時、まだ恋人が出来た事が無く、年上の綺麗な女性に声を掛けられた事で舞い上がってしまった。だが恋人同士になった後に、彼女が柄の悪い男たちと交流している事が分かり、恐ろしくなってすぐに分かれた。彼女は他に目当ての男でもいたのか、その時はあっさり開放してくれたが、芥子川の見た目を気に入っているらしく、こうしてまた連絡を寄越してきたのである。
芥子川は数日前、見慣れぬ番号から掛かってきた電話を、深く考えずに取ってしまったのだ。
『変な事ってなあに?』
「宮藤の事ですよ。関係ない人にまで、迷惑かけないでください」
『関係無く無いわよ。芥子川の好きな人だもの。その子が居るせいで、芥子川は私の所に戻ってきてくれないのだもの』
話の分かる相手では無かった。中学に入りたての芥子川に手を出す女なのだ。常識が通じない。
声に反して、実際会った時の見た目は幼い。だが成人に近いと思われる。もしかしたら、とっくに成人しているかもしれない。そう思わせる雰囲気が、この女にはあった。
(宮藤は関係無い……)
とんでもない女と関わってしまった。
自分のせいで、他人に害が及ぶかもしれない。一人では抱えきれそうになかった。だが、浮かれて彼女と付き合ってしまった事実を家族に知られたくない。
不安と虚勢が、芥子川を苦しめていた。
※
「唯ちゃんが、私の事、す、好きかもしれない」
結愛が、菊石と話している。
いつもの無表情を崩して、頬を染める彼女の顔は、今の芥子川とは正反対だ。
結愛が急に自信を持った理由が気になって、芥子川は教室に入るのを止めた。
女子二人の会話の方が本当の事を話してくれそうである。
申し訳無く思いつつ、彼女達に気付かれる前に、廊下の壁に背を預ける。
開けたままの、教室の扉にじりじりと近寄ると、耳をすませた。
「こ、告白、されたかもしれない」
「結愛、詳しく聞かせて」
「実は……」
結愛が話す内容を聞いて、芥子川は自分の目論見が外れた事を知った。
(逢坂さんて、宮藤の事が好きだったのか?)
唯都が結愛の事を恋愛対象として見ているとは、思っていなかった。
結愛をけしかけていたのは、彼女の気持ちに区切りを付けさせたかったからだ。
唯都に会って、確かに、結愛が好きになるのも納得出来た。だが、到底上手くいくとは思えなかったのだ。
あまりに高い理想に、そうそうに挫ける事になるだろうと考えていた。
いくら同じ家で暮らしているからと言って、必ず好きになるとは限らない。唯都にも出会いがあっただろうし、あの見た目だ。結愛が勝手に意識するのは仕方が無いが、唯都の方はもっと選択肢があるだろう。
だから、なるべく早く告白して、早いうちに、彼女には失恋して欲しかったのだ。
結愛はまだ中学生だが、大人になれば、唯都も“そういう目”で見るかもしれない。結愛が子供の内に、さっさと振られて、芥子川の事を見てくれるようになればいい。そういう考えだった。
傷心につけこむような真似は、卑怯だと言われるかもしれないが、これが精一杯なのだ。結愛の機嫌も損なわずに、彼女の気を惹くための、芥子川なりの駆け引きだった。
それなのに、まさか、結愛からでは無く、唯都から告白してしまうとは、全くの予想外だ。
落ち込んだ結愛を慰めるつもりだった。
寝不足で疲労が溜まった体には応える衝撃である。
芥子川は奈落の底へ突き落とされる羽目に陥った。
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