第42話


 二人とも無言になったため、部屋の外の音が耳に入った。誰かが階段を上ってくる。津田は恐らく帰ったはずだから、今度こそ叔母だろう。

 先ほどは、いつになく大声を出してしまった。唯都は足音に冷静さを取り戻し、焦りを覚えた。叔母にこの口調が聞かれたかもしれないからだ。

 今日はやけにノックが多い。扉の向こうから叔母の声が掛かった。


「結愛、騒がしいけど何かあった? 唯都の具合が悪いの?」


 聞かれた内容に安堵する。唯都がまた倒れたと思ったらしい。どうやら唯都が叫んだ詳細までは分からなかったようだ。


「ごめん、大丈夫だよ」


 先に持ち直したのは唯都だ。結愛はまだ呆然としている。

 このまま部屋に篭っていたら、また叔母に心配をかけそうなので、唯都は結愛の手を取って立たせた。だがすぐに離す。まだ恥ずかしかったのだ。

 何食わぬ表情で部屋を出て、叔母に顔を見せる。


「もう具合はすっかり良いから。騒がしくてごめん。ちょっとふざけ過ぎた」


「結愛と? 珍しいわねえ」


 叔母は不思議そうにした後、再び階段を下りる。途中で、「じゃあご飯食べるわね?」と唯都を振り返った。


「あら、結愛は?」


 叔母がきょとんとしていたので、唯都も後ろを見たが、結愛はまだ部屋の中だった。覗くと、唯都に立たされた体勢のまま、一歩も動いていない。


「ほら、結愛、夕飯だって。行こう」


 ロボットよりもぎこちない動きをする結愛を引き摺るようにして、唯都は外から扉を閉めた。






 叔父はまだ仕事が終わらないので、三人で夕食をとる。叔母が機嫌良さそうに「津田さんて良い子ねえ」と言うので、唯都は必死に「本当に彼女じゃないから」と言い返した。

 なんとか叔母の誤解を解く事が出来たが、結愛とは一言も言葉を交わさずに食事が終わる。

 喧嘩もどきは終わったと思ったのだが、結愛がフリーズしてしまったため、食事の後もろくに話を出来なかった。


 翌日は少し期待しながら結愛を起こしに行った。

 だが廊下に出た時点で、昨日までと同じように、既に支度を整えた結愛が立っている。

 その上、小動物じみたすばやい動きで、すぐに唯都の視界から姿を消した。

 昨日よりもっと酷い。

 会話どころか、顔色を窺う事すら出来ない。

「唯ちゃんを取らないで」と可愛く泣いていたのは何だったのか。昨日の態度とは裏腹に、今日は朝から話をする機会も与えてくれない。


 唯都は絶望しかけたが、結愛の泣き顔を思い出して耐えた。

 決して嫌がっているようには見えなかったのだ。

 酷い避けられ様に、落ち込まない訳では無かったが、それ以上に唯都は欲深い自分を見た。

 結愛のうろたえ様が、唯都をそういう意味で意識しての事なのだと思うと、もっと見ていたいような気持ちにもなる。


 結愛が先に一階へ下りてしまったため、部屋の前の廊下で一人佇む唯都は、自分に言い聞かせるようにぶつぶつと独り言を溢した。


 恥かしがっているだけ。そうだ。そうとしか見えない。


 根拠が無い自信とも言い切れなかった。

 結愛の気持ちが何であれ、昨日の一件で嫌われた訳では無いはずだ。

 結愛と唯都の「好き」は違うかもしれないが、押せばいけるかもしれない。

 そう考える唯都は、珍しく強気だった。







 登校すると、唯都は真っ先に津田を探した。平和そうな顔で自分の席に座っている津田を見つけると、彼女の所へつかつかと歩み寄る。

 津田は、今日も謎のポニーテイルだった。

 唯都は津田と連絡先を交換してから、極力教室では彼女と会話しないようにしていた。その唯都が自分から近寄って来た事に、津田は驚いた顔を見せる。


「逢坂君じゃん、おはよー。何、昨日の報告してくれるの? 珍しいね直接来るなんて」


 気の抜けた声を出す。


「おはよう、津田さん。ちょっと話があるんだけど」


 唯都は挨拶を返しながら、含みのありそうな笑顔を意識して顔に乗せた。


「やだ、告白? じゃあ昨日あれから上手くいかなかったんだ……可哀想に……」


 内心違うと思っているだろうに、心底哀れむような目を向ける津田に若干いらつく。

 だがここで言い返しはしなかった。


「……昨日は、送ってくれてどうも有難う。しんどかったから、助かったよ」


 助けてもらったのは事実なので、そこだけは感謝している。


「おや、言い返さないんだ。余裕だね逢坂君。恋の病は治ったの?」


「ここ教室だからちょっと場所移してもいい?」


 長話になる前にと、唯都は教室を出るよう促す。

 恋の病云々も人に聞かれたい話題では無い。

 朝で、まだ人は少ないとはいえ、誤解製造機の津田と喋り続けていると、また新たな噂が立ちそうである。

 津田は「んー」と悩んだ素振りを見せ、首を振った。


「授業始まるし、どうせなら、後でゆっくり話そうよ。今日お昼一緒に食べよう」


 津田には得体の知れない怖さがあったが、彼女の繋がりが少し分かった事で、警戒心は薄れていた。

 それに、昨日の恩もある。人をからかいたいだけの人間かと疑っていたが、意外と優しい面もあるのだ。

 口調の事さえばれなければ、そこまで神経質に避けなくてもいいか……と、唯都は津田の提案を呑んだ。





 昼の休憩時間、学食でさっさと食事を済ませ、人気の無い教室に移動した。今は使われていないのか、物置と化しており、古い楽器や机、キャンパス等が置いてある。


 二人きりになると、唯都は深呼吸して、ずっと我慢して言わなかった事を吐き出した。


「津田!! 君さ、わざと誤解を招く言い回しをしていただろう!!」


 思わず呼び捨てにしながら、津田の両肩を掴んで、正面から彼女を睨んだ。




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