第37話〈結愛視点〉

 唯都と菊石がベランダに出て数分経った。

 一方室内に残された二人は、当然色めいた事態になどなっていない。

 芥子川はさして緊張した素振りも無く、教室に居る時と同じような声で結愛に話しかけている。


「――正直、逢坂さんって感情が読めない。別に悪い意味じゃないぞ。ちゃんと笑うんだけど……行動も一々スマートだし、歳二つ違うと結構差が出るよなあ……って言い訳だけどさ。でもやっぱり顔の作りが俺ら男子とは違い過ぎるんだよ。宮藤、あんなイケメンと一つ屋根の下で、緊張しないのかよ」


 この調子である。


「どうしたの急に。気持ち悪い」


 ここ最近、「逢坂さんって格好良いよな」といい、やたらと唯都の事を褒めている。今まで直接会話する機会が無かったため、容姿に関して言う事が多かったが、今日話した後でまた見方が変わったようだ。


「宮藤にどれくらい脈があるのかと思って、今日観察してみた。でもわかんねえや。逢坂先輩は宮藤の事どう思っているんだろう。……宮藤は今日、告白するつもりだったんだろ?」


 芥子川にとっては恋敵だというのに、あっさりと唯都の凄さを認めるあたり、結愛に対して、作戦を心得ている。効果があるかは別として、唯都を褒められて悪い気はしない。

 しかし、芥子川がさらりと付け足した「告白予定」に、結愛はぎょっとした。


「何で知っているの……」


 図星であった。

 時が来たら、きちんと言おう。もう一度、ちゃんと告げよう、と思っていた。

 芥子川が行動を起こして、それが本気だと分かる度に、結愛の決意も固まっていったのだ。

 芥子川に流されるつもりは無い。だが唯都がどう思うかは分からない。

 早く。早く言わないと。結愛は自分を急かした。

 唯都から結愛に向けられる“好き”が恋に変わるのを、ただ待っているだけでは駄目だ。唯都の想いが、他の誰かのに向かってしまうかもしれない。

 今日、唯都はいつもどおり接してくれた。何も気まずい雰囲気では無かったはずだ。

 まさか、芥子川に指摘されるとは思わなかった。


「宮藤、今日可愛い格好しているし……俺のためじゃないだろ、それ。あと移動中あんだけ挙動不審だったら流石に勘付くよ。逢坂さんの事ずーと熱っぽい目で見ているし。あれじゃ逢坂さんも気が付くと思うけど……それに、菊石も」


 そこまで挙動不審だっただろうか。

 急に恥ずかしくなる。


「お菊ちゃんが何?」


「菊石も」と言った意味を聞くと、芥子川が「可愛いはスルーか……」とぼそぼそ呟いたが、何の事がいまいち分からなかったので、首を傾げる。


「いや……何でも無い。それより二人戻ってきちゃったぞ、いいのか?」


 芥子川に言われてベランダを見ると、唯都達が窓を開けて入ってくるところだった。


「逢坂さんと二人きりになりたかったんだろう。途中で菊石と替わってもらうんじゃなかったのか」


 再び思惑を言い当てられて、首筋が鳴った。ぐぎぎ、と音がしそうな、壊れた機械みたいな動きで、こちらに近づいてくる唯都と、目の前に居る芥子川を交互に見やる。


「な、なんで、そんな、何でも知って……」


 芥子川が動揺する結愛を見返す。前髪を切った事で、彼の目もとは涼しくなっていた。冷静な瞳がよく見える。

 菊石が『後で替わるわ。二人きりにしてあげるから、頃合いを見て来て』と結愛にだけ言ったが、芥子川は知らないはずである。


「いや普通に聞こえたし。菊石が宮藤にこそこそ言っていた時」


 事も無げに返される。


「耳良すぎでしょ……」


 もしや唯都にも聞こえていないだろうか、と不安になるが、もっと凄い事を聞かせるつもりなのだから、気にする事もないかと思い直した。


 テーブルまで戻ってきた唯都が、「寒くなってきたから戻ってきた」と菊石の座る椅子を引いたので、結愛はもう一度ベランダに行こうとは言えなくなった。

 菊石が何か言いたげに結愛を窺ってくる。『来なくて良かったの?』と思っているのだろう。

 その後も菊石が何かと気をつかってくれたのだが、結局踏み出せないまま、デートという名目の遠出は終わった。





 帰りの電車で、芥子川の視線を感じた。あまり黙っていると、芥子川が目で訴えてくるのだ。

 何故、結愛の事を好きだと言ってくる芥子川が、行動を起こさせようとするのか、理解出来なかった。これではまるで、彼が結愛を応援しているみたいである。

 四人でいる時に告白は無理だ。せめて何か話せよ、という無言の訴えに負けて、結愛は細々と唯都に言葉をかけた。


 外にいる時の唯都と話すと、緊張して上手く話せなくなる。

 以前よりはましになった。だがまだ、彼が低く出す外用の声を聞くと、耳が、脳が、震えてしまう。


「どうした、結愛」


 話の途中で、唯都を見つめたまま黙った結愛に、唯都が優しい声で聞いてくる。


 結愛の頭に、ある想像が浮かんだ。

 ――例えば、今この電車の中で、結愛と同じくらいの女性が倒れたとする。

 そこに唯都が駆け寄って、『どうしましたか』と、声をかける。

 こんな綺麗な顔で、楽器の低い音を一つ響かせたような美声で、心配そうに見つめられたら、誰だって恋に落ちるだろう。


 今まさに、そんな心境なのだ。

 家に居る時と、結愛を見つめる眼差しは同じなのに、こうも威力が増すものなのか。

 “オネエなおにいちゃん”と、重ねてみる。


『どうしたの? 結愛』


 同じ顔だ。同じ表情だ。だが声は少しだけ高く出している。

 こちらは安心する声のはずなのに……。


(あ、あれ……?)


 落ち着かない。

 どちらの唯都でも、どきどきしてしまうのは、もう手遅れである証拠だろう。




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