第34話

 

 結愛に続いて菊石までもがぼんやりと考え込むようになり、唯都は芥子川を肘でそっと小突いた。


「芥子川君……君、結愛と話したいんじゃないのか? さっきから全然話してないけど……」


 菊石の歩みが遅くなったタイミングで入れ替わり、芥子川の隣へ行く。小声で、敵に塩を送るような事を言った。

 芥子川も声を潜める。


「いや、あの……なんていうか……いっぱいいっぱいというか」


 ここでようやく、芥子川の表情が変わった。顔色は然程変化無いが、僅かに耳が赤い。


「宮藤、今日、いつもと違うから……」


 そう言うと一瞬後ろの結愛を見て、さっと前に向き直る。


「なんか、可愛い格好しているし……」


「……」


 思っていたのと違う反応に、唯都は不覚にも、ほんの少しだけ、気に食わない感情が芽生えた。


(中学生が……何なの? ピュアなの? 結愛はいっつも可愛いわよ?)


 好きな子の兄的な相手に、恥ずかしげも無く良く言えるな、とも思う。

 だが何となく、あの服俺が選んだんだぜ、とは言えなかった。





 海沿いを歩いて、他愛ない話をして、(女子二人は無言の時間が長かったが)店内から海が見える、洒落たカフェに落ち着いた。

 小高い丘に位置するその店は、眼鏡をかけた若い女性が一人で接客している。おっとりした女性の喋り口と、少し開いた窓から薫る潮風に、唯都はすぐにこの店が気に入った。

 店内に流れる静かな音楽が耳に心地良い。


(この店を選んだのは芥子川君かしら……だとしたらちょっと見直しちゃうわね……さっきの言動といい、何か調子狂うわ)


 せっかく遊び(唯都はもうこれはデートでは無いと思っている)に誘ったのに、好きな子を意識して上手く話せない芥子川は、何とも初々しいではないか。

 好きだから苛めて、仲良くなりたくて優しくして、自分と出掛ける用事にお洒落してきてくれた子を直視出来なくて……考えると、芥子川はそれほど悪い奴でも無いのだ。至って普通の男子中学生。それもちょっと格好良い。

 中学生でも遊んでいる――素行の悪い奴はいる。芥子川はもてそうなのに、擦れていない。おそらく彼は小学生の頃のあの一件から、ずっと結愛の事が好きなのだろう。

 彼の一途さは、過去の汚名を雪ぐ美点かもしれない。



(私が好感度上げてどうすんのよ……)


 敵視していた自分が揺らぐ。

 こんな後輩がいたら可愛いだろうな、なんて。

 それでも結愛を人に任せたくはないのだけど。


 芥子川は恐らく知らない。

 唯都が結愛に向ける感情も、大人気なく芥子川に敵意を抱いている事も。

 別に大人気なくてもいいか、と唯都は思う。

 恋愛なんて大人げないものだ。

 芥子川がいくら結愛を好きだからと言って、唯都がそれで負けている訳では無い。

 思いの重さで負けている訳では無いから、落ち込む事は無い。


 結愛が芥子川を好きだと言った時に落ち込めばいいのだ。





 四人掛けの丸いテーブルについた。各々メニューを見て注文しながら、大きな窓から見える景色に目を和ませる。正午を過ぎて、海面は太陽の光を反射して輝いていた。

 こういう遠出もいいかもしれない。自分も今度カフェを探して、結愛と二人で出掛けよう。楽しい想像に、自然と口角が緩んだ。


 メニューに、「海面ソーダゼリー」というのがあった。炭酸水の中に、海に見立てた何種類かの青いゼリーが浮かんでいる。

 青いゼリーは何味なのか気になる。載っている写真も綺麗だ。ゼリー以外にも何か入っているのか、今見た海面のようにキラキラ光って見える。

 それに、結愛もこういうのが好きそうだ。

 唯都は炭酸があまり好きでは無かったが、見た目に心擽られてそれを頼んだ。


「唯ちゃんと同じのが良い……」


 メニューで顔を隠しながら、結愛がぽそぽそと言う。やはり彼女の好みでもあったようだ。

 芥子川の「逢坂さん、炭酸とか飲むんですね……あ、じゃあ俺コーラ」という言葉で、女子みたいな選択をしてしまっただろうかと少し焦った。男子高校生はこんな可愛い飲み物を注文しないのかもしれない。気が抜けていた。

 それと芥子川は、一体唯都にどんな印象を持っているのか。


(だって可愛いじゃないの……)


 飲み物が運ばれてきたら写真を撮りたいが、流石に不審だろうなと思う。久々に外で触れた可愛いものに、浮つく心を抑えた。


 芥子川が今日に限って、結愛の前で使い物にならなくなった辺りで、菊石が復活した。


「店員さん、ベランダに出てもいいですか?」


 菊石が許可を求めると、おっとりした店員は、快く承諾した。

 店内に唯都達以外の客はおらず、唯都の席から見えるベランダも無人だった。煙草を吸う人のため極小さいテーブルに灰皿が置いてある以外は、何も無い場所だ。ただ、景観は申し分無い。風にふかれながらベランダから見る海もまた違うはずだ。それが目的だろうと、ぼんやり菊石の動向を眺めていると、彼女は立ち上がって唯都の側まで回りこんできた。


「先輩、一緒に来てもらえますか」


 お願いと言うには、やけに強い眼差しだった。

 忘れかけていたが、彼女もこの遠出に一枚かんでいるのだ。

 何か仕掛けてくるのかと考えて、ここは、芥子川と結愛を二人きりにさせたいのだろうなと思った。

 そこではっとする。


 今唯都が去った後、芥子川は改まって告白するつもりなのではないか。

 結愛はその計画に気付いていて、だからあんなに緊張していたのだ。

 芥子川がわざわざこんなに遠くに来たのも、人前では素直に気持ちを返してくれない結愛から、良い返事を貰うために違いない。

 そして煮え切らない結愛を連れ出すために、唯都も呼んだ。

 菊石が居たのは、唯都をそっと引き剥がすためだ。


 結愛が「えっ唯ちゃんが行くなら私も……」と言いかけていたが、菊石が彼女に何か耳打ちする。すると結愛は大人しくなった。

 待つ姿勢である。


 ここで無理やり居座るのも、場の雰囲気が読めなさ過ぎる。

 邪魔をしたかった。

 結愛に何を言ったかは知らないが、彼女は芥子川の話を聞く事を受入れたのだ。

 今席を立って、戻ってきたら、どうなっているのだろう。

 菊石が芥子川に目配せするのを見てしまう。


(やっぱり、来なければ良かった)


 ここに唯都の味方は一人も居ない。



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