第31話〈菊石視点〉

 

 両親の仲が良かった頃、彼らの愛情は全て姉の物だった。

 姉の敏子(としこ)はいつも可愛がられ、表情の乏しい妹は「笑わない子ね」と言われて疎まれた。

 敏子と妹はたった二つ違い。妹の「めろん」はいつも姉のお下がりの服を着ていた。姉が我侭を言っても、両親は目を細めて頭を撫でるが、妹が何か言えば「我慢しなさい」と窘められる。


 母が鏡の前に立ち、敏子の髪を楽しげに梳かしていても、めろんは自分もやって欲しいと言い出せなかった。

 敏子は簡単にお願いする。


「お母さん、髪しばって!」


「はいはい、敏子ちゃんはどういうのがいい?」


「トーサカのおばちゃんみたいなの!」


「ポニーテイルね、分かったわよ~」


 母は敏子の我侭なら聞いてくれる。

 だが、めろんがポニーテイルにして欲しいと言っても応えてはくれないだろう。

 家族で出掛ける先も、食事のメニューも、選択権は姉にあった。


 敏子は、めろんに優しかった。

 遊びには必ず誘ってくれたし、親が敏子にだけ「何が食べたい?」と聞いても、「めろんちゃんは何が食べたい?」と妹を会話に入れようとしてくれた。

 それを嬉しく思うのに、どうしても敏子を好きになれない。自分の醜い気持ちが嫌になる。考えてしまうのだ。敏子さえいなければ、自分は両親に愛されたかもしれないのに、と。

 敏子に優しくされる度、酷く切なくて、泣きそうになる。両親に冷たくされるより、よほど胸が痛んだ。


 めろんはいらない子だった。

 敏子は第一子で、両親はその出生を喜んだ。だが二人目は望まれていなかった。

 めろんを妊娠した事は予定外だったため、産まないつもりだったらしい。

 彼女が生まれる事になったのは、敏子の発言がきっかけだ。

 としこ、いもうとがほしい。彼女はそう無邪気に、何の考えも無く言った。両親は敏子のためだけに、めろんを生かした。


 物心ついた時から、母親は敏子を優先していた。めろんに対しては、子供二人も育てるなんて面倒だと溢して、敏子には、手の掛からないいい子ね、と言って甘やかした。

 幼い頃は、どうしてお姉ちゃんばっかり! と泣き喚く事もあったが、その内嫌でも理解する。めろんは好かれていないのだと。

 思い込みと言うには、親の態度はあからさま過ぎた。


 諦め始めたのは、夕食で出された果物の名前を知った時だった。

 母親は敏子に言った。

 今日は敏子ちゃんの大好きなメロンよ。

 自分の名前を呼ばれたと思ったが、敏子がテーブルに並んだ果物を見て「メロンだ!」と言ったため、食べ物の事だと分かった。それは敏子の好物だった。

 母が自分に関心を持ってくれた訳ではなかったので、気分が重たくなる。もやもやとして、目の前の果物がとても気持ち悪い物のように感じた。自分の名前が姉の好物だと知って、何故か、嫌だと思った。

 めろんが生まれる前というと、敏子は二歳未満だ。離乳食を卒業したばかりの幼児が、果物のメロンを好きだったかどうかは分からない。そう考えるだけの知識はその時無かった。ただ本能的に自分の名前の意味を理解したのだ。


 母は言う。めろんは敏子ちゃんのために産んだのよ。

 幸せそうに果物を口に運ぶ敏子を見ながら、母親はさらりと続ける。名前もね、敏子ちゃんが好きなものからとったのよ。

 めろんの顔は全く見ずに、敏子だけを見つめて、二人目の娘の名前を口にした。敏子のお気に入りの玩具を呼ぶように。


 敏子に名前を呼ばれるのが嫌だった。

 めろんちゃん、と言われる度に、私の玩具、と言われているような気がした。

 優しくされても、傷ついたような顔をされても、仲良くなりたいと言われても、めろんちゃんはお姉ちゃんが嫌い? と泣かれても、姉が憎かった。

 選択肢は全て敏子の手にある。めろんが存在する事も、一生使う名前も、敏子が選んだ。決めたのは両親でも、きっかけは敏子だ。


 敏子が「めろんちゃんの分は?」と言うから、父はめろんにも土産を買ってきてくれた。だが、選ばせる場合は絶対敏子に好きな方を取らせて、めろんは余った方を貰った。


 めろんの体に、障害や欠損があった訳では無い。知能も言動も全く問題の無い子供だ。両親と似ていないという事も無く、見た目も可愛らしいと言えるものだった。それなのに、めろんは歪な家庭環境の中で育った。

 全ての原因は、姉にあるような気がしてならなかった。


 姉ばかりが可愛がられ、自分の名前も好きになれない中、父方の祖母と会う機会があった。

 小学校に通うようになっていためろんは、初対面の祖母にきちんと自己紹介をした。


「はじめまして。つだ、めろんです」


 祖母は母と違い、「かわいいねえ」と言って優しく頭を撫でてくれた。そして母をじろりと睨みつけて、「でも、めろんって名前はどうかと思うよ」と不満を口にした。

 お前も可哀想にねえ、そんな名前を付けられて。

 再びめろんを見て祖母が言うので、可哀想な名前なんだと、ますます自分の名前を恥ずかしく思った。

 そこから、母と祖母の言い争いが始まった。会話から、この二人は以前から仲が良くないらしい事をめろんは察した。


 保護者の殺伐とした空気など無いかのように、敏子が耳打ちしてくる。わたし、めろんちゃんって名前、かわいいと思うよ。

 お前にだけは言われたく無いと、めろんは思った。

 めろんも、敏子のように親からもらった名前が欲しかった。姉の好物などでは無く、親が悩んでつけてくれた名前を呼ばれたかった。

 そう思うのに、あろう事か、敏子は言った。

 わたし、敏子って名前やだなあ。かわいくないもん。

 敏子の発言を耳に留めた祖母と母が、また激しくもめ始める。どうやら、「敏子」というのは、祖母がごり押しして決めた名前らしいのだ。


 敏子の名前も、親が決めた訳では無いと知った所で、めろんは姉に仲間意識を持つ事など出来なかった。食べ物の名前よりも、敏子という人間らしい名前の方が余程良い。

 かわいいと言って、めろんを優しい目で見てくれた祖母。彼女が名付け親である敏子のことが、妬ましかった。



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