第29話
晴れた土曜日、約束の時間に合わせて、二人で玄関に立つ。
夏本番には少し早い季節、結愛は唯都の見立てた服に身を包んでいた。
膝下まで十分に隠すワンピースは、白の布地に、薄ピンクの花柄。腰で絞ってあり、装飾は少ない。二の腕まであるスリーブは、薄いレースの上に胴部分と同じ厚めの白が重ねられ、レースが見え隠れする。二重にされた裾は、腕を動かすたびにひらひらと揺れた。首周りは丸く切り取られて、襟が付いている。胸元には袖の重ね生地と同じ、レースのリボン。
歩きやすいようにと、靴はスニーカーを履かせた。小さい鞄と色を合わせて調和を取る。
最終的には膝下のワンピースを着せたが、本当はあまり足も出させたくなかった。まだ中学生であるし、過度な露出はなるべく避けたい。足首まであるロングスカートと迷ったが、唯都の好みを取った結果、この服装になった。
結愛は親から受け取るお小遣いを無駄に使い込まないので、持っている服自体はそれほど多くない。だが唯都は大いに悩んだ。どれと迷っても文句を言わない、むしろ「これなんてどうかしら。やだ、どれも似合うから決まらないわ!」と時間をかける唯都に、結愛は嬉しそうな顔を向けた。そんな結愛を見ているのが楽しくて、つい長引かせてしまったのだ。
唯都はもう子供の時のように女子の服を着る事は無いので、女性の流行には詳しく無い。当日の朝雑誌を見ながら、格好に合わせてすいすいと結愛の髪型を整えた。
長い黒髪のトップを取り、編みこんでいく。サイドから取った髪も編みこみ、にじりながら纏めて……と、たまに雑誌に目をやりつつ、迷い無く手を動かす様子に、結愛は感心しきりだった。
結愛も最初自分で挑戦していたが、上手く出来ず四苦八苦していた。唯都が「私もやりたいわ!」とうずうずと手を出して、それに任せた結愛は鏡を見ながら「唯ちゃんすごい! 器用!」と声を沸かせ、ほどなくハーフアップが完成した。
慣れているのかと聞かれ、「長い髪をいじる機会なんて無いわよ~、でも結愛の髪を編むの楽しいわ。今度また別のヘアアレンジ試してみない?」と返した唯都に、「どんどんやって!」と結愛は目を輝かせた。
これから別の相手とデートだなんて嘘だろう、と言われそうなくらい二人で楽しげな声を上げていたが、時間はやってくる。
玄関を出ると、宮藤家の塀に凭れるように、芥子川が立っていた。
家の場所を把握されている事に、若干の気持ち悪さを覚える。迎えに来る勢いとは言ったが、本当に来ているとは思わなかった。唯都達が出てきたのを見て、芥子川が距離を詰めてくる。
彼が動いた事で、待っていたのが一人では無い事に気が付いた。後ろにもう一人、小柄な人物が見える。
「……どうも、逢坂さん。おはようございます。宮藤、おはよう」
芥子川は結愛より前に出ていた唯都にまず挨拶をした。会釈して、結愛にも目を向ける。
結愛は唯都の背に隠れるようにして小さく「おはよう……」と返す。
「おはよう芥子川君。それと……菊石さん」
唯都はもう一人の人物に声をかけた。
「おはようございます、先輩」
菊石は通りすがりという風でも無く、丁寧に頭を下げた。
この状況で偶然とは考えられない。芥子川を宮藤家まで案内したのは、彼女では無いかと唯都は推測した。
「お菊ちゃん?」
結愛が唯都の後ろから出てきて、友人に駆け寄る。「どうしたの?」と休日に偶然会えた喜びを滲ませているが、一緒に喜べない。
(多分偶然じゃないわよ結愛……)
これから起こる事を予想して気が重くなった。
兄同伴を許すなんておかしいと思っていた。芥子川の顔を見る。彼の表情が以前よりはっきりと見えた。何故なら、彼は長かった前髪をばっさり切ってきたからだ。
(何よ、イメチェン?)
長すぎる前髪は目を隠していたが、それでも時々覗く顔立ちは整っている。何せ、芥子川に好意を寄せる女子から、結愛が嫌がらせを受けるほどなのだ。彼の人柄も相俟って人気があるのだろうが、野暮ったい髪を整えた事でより好感が増す事は想像に難くない。
芥子川は静かな目を結愛に向けるだけで、感情を顕わにはしていない。しかし、唯都にはその表情が余裕に見えてならなかった。
「結愛、聞いてないの? 今日は私も一緒に行くのよ」
「そうなの?」
「私が一緒じゃ嫌?」
「そんな事無いよ!」
結愛は菊石と楽しそうに会話をしている。俄然嬉しそうだ。だが毎日教室で結愛と会っているはずの菊石が「聞いていないの?」と確認する事には違和感しか無い。恐らく意図的に黙っていたのだろう。彼女は芥子川の味方と考えた方がいい。結愛と芥子川の仲を応援している可能性の方が大きかった。
今回菊石が結愛のために取る行動は、唯都にとって障害になりそうである。
せめて結愛には、唯都に説明した通りの意思を強く持っていて欲しい。たとえ口だけでも、照れ隠しだとしても、彼女はまだ交際を望んではいないのだと。
「先輩、私服もかっこいいですね」
結愛とのじゃれ合いから落ち着いた菊石が、唯都を見ながら言う。結愛は得意顔で頷いている。「そうでしょう」と表情が物語っていた。
菊石の言葉よりも結愛の様子に照れながら、唯都は「前に家に来てくれた時とそんなに変わらないよ」と苦笑した。
唯都は黒のスキニーにスニーカー、明るい灰色のカットソーというシンプルな格好をしていた。普段とあまり変わらないので、本人としては気張った印象は無い。だが付き添いとは言えデートなので、それらしく身だしなみに気にかけてはいた。
「俺がいてもお邪魔じゃないかな」
菊石がいるのであれば、結愛と芥子川が二人きりになる状況は免れる。一応確認を取った。もし唯都が居なくても良いのなら、さっさと退散するつもりだ。一瞬結愛の寂しそうな顔が見えたが、見てみぬ振りをする。四人でいれば自然と二人組みに別れるのは自明だ。芥子川は結愛と。唯都は菊石と。
菊石が苦手というより、結愛以外の人が全員苦手だ。気を使う会話はしなくて済むに超した事は無い。彼女が話しやすい相手だというのは、前回会ったとき証明されてはいるが、一対一で長時間話すのは避けたい所である。
しかし当然唯都が抜ける事は却下された。グルであろう芥子川と菊石が「元々誘ったの俺ですから、大丈夫です」「邪魔だなんてとんでもない! 一緒に行きましょう」と唯都を引き止める。事情を正確に把握していないと思われる結愛も、「唯ちゃんが居ないと意味が無いよ!」と慌てている。
唯都は腹を括って、同行する事にした。
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