第27話

 


 次の日が休日という時に、結愛は難しい顔をして唯都の部屋にやってきた。

 携帯電話を握り締め、顎にしわがよるほど、唇を悩ましげに窄めている。無言で困り顔をしている彼女に、理由が分からず眉を下げた。


「結愛……どうしたの?」


 部屋に入りやすいように、ドアから半歩下がる。唯都の脇を、無言の結愛がのそのそと通った。

 ドアを閉めながら、機嫌を損ねる事をしただろうかと考えを巡らせる。彼女は怒っているより、悩んでいる態度だ。どちらにせよ、心当たりは無かった。

 先日菊石が家に来て以来、結愛との間で事件は起きていない。もしや菊石と何かあったのだろうか。


 唯都は先に学校から戻り、自分の部屋で過ごしていた。制服姿の結愛を見るに、帰ってきてすぐに来たのだろう。結愛が遅かった理由と、彼女の様子は関係があるかもしれない。唯都は結愛に学校での出来事を尋ねた。


「今日は少し遅かったじゃない。学校で何かあった? 居残りでもさせられたの?」


 部屋に進んだままの姿で、唯都に背を向けていた結愛が、困り顔のまま振り返る。何かあったのだ、と言わんばかりだ。


「あのね唯ちゃん、絶対に誤解しないで聞いてくれる……?」


 やっと口を開いた彼女がもったいぶるので、唯都は身構える。

 改まって言うほどである。何か重大な話が始まる予感がした。

 自分は絶対的に結愛の味方だという気持ちで、笑顔で先を促す。


「ええ。ちゃんと聞くわよ。何かしら?」


 唯都が力強く頷いたのを見て、結愛も一度頷いた。彼女は握り締めていた携帯電話の画面を開くと、確認するように目で追う。

 そして一言。


「芥子川からデートに誘われた」


 世界が凍った感覚がした。


 誤解しないようにと前置きされたにも関わらず、結愛と芥子川の関係を決定づけられたと感じた。固まった笑顔の裏で、必死に言葉を探す。


(駄目だわ何も出てこない……)


 期待したり落ち込んだりを繰り返してきたが、いよいよ終わった。不自然に口角が上がったままの顔を引きつらせる。

 思わせぶりなこの妹は、散々芥子川という存在をちらつかせておきながら、唯都の事を世界中で一番好きなのだと錯覚させる。

 だがやはり自分の異常さが見せるまやかしだったのだ。とうとう結愛にも、唯都が恐れていた存在が現れてしまった。


「――唯ちゃん、聞いている?」


 茫然自失していた唯都の前で、結愛が首を傾げる。少しだけ非難が混じったその目が、下から唯都を見上げた。

 我に返る。


「ごめんなさい、ちゃんと聞くって言ったのにね。びっくりしすぎて、ちょっとぼんやりしていたわ」


「もう。私本当に困っているんだよ。唯ちゃんだけが頼りなの」


 困っていると言う結愛は、唯都の両腕を掴んで頬を膨らませた。甘えた仕草に、遠い目になる。この可愛らしい表情を、芥子川の前でもするのだろうか……。


「……それで、なんだったかしら」


 気を取り直して、再度説明を求める。

 持ちかけられる相談が、明日のデートの服が決まらない、だったら立ち直れそうもない。


「だからね、芥子川が……しつこいの。明日デートしようって。断ったんだけど……迎えに来る勢いだから、唯ちゃんと一緒じゃないと嫌って言っちゃった。そうしたら、別にいいよって。本当にしつこいんだもん。唯ちゃん、ついてきて……?」


 一瞬、惚気だろうか、と思った。

 つれない恋人である結愛に、芥子川がしつこく誘ってくるという話だろうか。一体いつから……。唯都が砂になりかけていると、結愛が「駄目……?」とほとほと困り果てた顔で懇願してくる。

 思考が馬鹿になっている唯都だが、結愛が本当に困っている事は辛うじて理解出来た。惚気でも何でもなく、助けを求められている。


(もしかして二人は付き合っていないのかしら)


 よく考えれば、唯都の情報網にもそういった事実は確認出来ていない。二人が隠しているなら話は別だが、少なくとも芥子川は結愛への好意を隠してはいないはずだ。

 デートの件を唯都に話すなら、まず先に彼氏が出来たという報告があってもいいだろう。普通の兄妹間でそういう話はしないのかもしれないが、唯都と結愛は普通とは言い難い親密さだった。

 望みをかけて、先に大事な事を確認しておく。


「芥子川君とは、デートをするような間柄なの?」


「まさか!!」


 結愛は間髪を容れずに否定する。


「付き合ってもいないよ! その予定も無いよ! だから困っているの!」


 全く心外だと言わんばかりに、結愛が拳を握って上下に振る。唯都は、彼女の全面否定に心底安堵した。素直になれないだけかもしれないが、今はまだ、その予定は無いらしい。


「じゃあ、どうしてそんな話になったのよ?」


「私が聞きたいよー! 今回デートしてくれれば、しつこくしないっ、て言うんだもん。絶対二人だけで出掛けたくないよ……お願い、もしかして、明日予定ある……?」


 予定は無かった。というより、休日は基本、結愛のために空けてある。自由に出来る時間の全ては、結愛と過ごす事にあてたいのだ。


 結愛によると、芥子川が人前でも平気で言い寄ってくるので、二人は恋人同士だと学校で噂になっていて、困っていた。不本意な噂を嫌がる結愛に配慮して、芥子川も少し大人しくなったのだが、学校であまり絡まない分、外で会おうと言ってくるのだという。これでは何の意味も無い、と結愛は文句を言っている。

 デートという直接的な表現でないにしろ、何かと結愛と出掛ける用事を作ろうとするらしい。


「本当は唯ちゃんとデートしたいよ……唯ちゃん、一緒に来てくれる……?」


 不安そうに聞いてくる結愛の言葉に、咄嗟に緩む口元を手で押さえる。「本当は唯ちゃんとデートしたい」。言葉の綾だろうが、嬉しかった。

 はたと気付く。では、芥子川は恋人でも無い女の子をしつこくデートに誘う輩という事になるのではないか。


(前にも思ったけど、ストーカーじみているわね……でも、好きな子が自分に気があるかもしれないと思えば、必死になるのも分かるわ……)


 どうあっても、結愛が芥子川に好意を持っているという思いは、唯都の中から払拭されなかった。




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