第21話

 


 あまり重く考えてはいなかったが、病院にいった方がいいのだろうか。たまにそう考える時がある。

 結愛が自分から離れていく事が何よりもストレスだ。その事を恐れるあまり、一瞬ではあったが、おさまったと思っていた腹痛があったため、唯都は少し用心していた。しかしあれから、離れていくどころか、結愛はより側にいようとするので、過度なストレスを感じる事は無い。

 痛みが無いなら、問題ないか。そう結論づけてしまい、結局いつも、何も対処せずに終わっている。

 誰にも相談した事は無いから、病院に行った事が分かれば、何があったと心配をかけてしまう。行かなくて済むなら、その方が良かった。



 津田の言った事が、頭の中を巡る。


 ――妹にそんなに執着しているなんて、危ない人だなあ

 ――知っている人は知っているよ、逢坂君が異常なシスコンだって事


 正直、頭を抱えたい気分だ。

 客観的に、自分の異常さを指摘されて、唯都は改めて自分の想いが、普通では無いと思った。普通の兄は、妹をそうやって気にかけはしないのだろう。隠れるように結愛と親しくしてきたから、分からなかった。変だと教えてくれる人は居なかった。

 津田に言われた通りだ。やるなら、ちゃんとやらないと。万が一にでも、結愛の耳に入らないようにしなければならない。いくら結愛が、自分を(兄として)好きだと言ってくれていても、こそこそと妹の学校生活を見張るような自分を知られては、軽蔑されても仕方が無い。


 もし本当に、いつか結愛に嫌われる日が来るとしたら、どうなってしまうのだろう。

 息が止まってしまうかもしれない。

 考えるのも恐ろしいので、嫌な事を想像するのは止めた。



 中学に在籍中の“友人”達の中に、津田という名字の人は居なかった。

 クラスメイトの津田は、妹がいると言っていた。妹が、唯都の友人の友人なのだと。だが、調べた限り、彼女の妹だと断定できる人物は見付からない。

 何となくだが、直感していた。津田は、自分と似ている。彼女の言う妹は、本当の妹では無いのかも知れない。嘘をついている可能性もあるが、どちらでも良かった。津田にも、津田の事情があるのだろう。

 少なくとも、妹の事を語る津田の目は、唯都とは少し違うが、同じ熱量があるように見えた。

 害にならなければ、真実などどうでもいい。


 軽く、そう考えていた。







 誰もいない宮藤家に、まず結愛が帰宅する。その次に、唯都。数時間二人で仲良く過ごした頃、叔母が帰ってくる。夕食の支度が整う頃に、叔父が最後に揃う。

 会話は、それほど多くは無い。気まずい沈黙でも無いと、唯都は感じていたため、その日、叔母が言った事は、寝耳に水だった。


「ねえ、唯都、結愛。何か悩みがあったら、遠慮なく言いなさいね」


 食事中箸を置き、叔母が神妙な顔で、唯都と結愛を順に見る。突然何の話だと思ったが、あまりに真剣な顔なので、黙って頷いた。

 悩みが無い人間の方が珍しい、だから思い当たる事はあるのだが、叔母に心配をかけるような事をした覚えも無い。内心首を傾げていると、叔母は補足した。


「職場でね……お子さんのいる人がね、子供がしょっちゅうお友達を連れてくる、って話をしていたのよ。そういえば、うちでは一度も無いなあ、って気付いて。あなた達、家でもあまり煩くしないし、授業参観とか、三者面談とかで聞く学校の様子も、そんなに賑やかじゃないみたいだし、ちょっと心配になったのよね。あのね、もし学校とかで嫌な事があるなら、言いなさいね。溜め込んじゃ駄目よ」


 唯都も結愛も、素直に礼を言い、問題無い事を伝えた。結愛の様子を窺うと、彼女も疑問を顔に浮かべていたので、唯都と同じ気持ちのようだ。職場で言われたにしても、今に始まった話では無いし、何故急に。

 宮藤家では、食事中テレビをつける。テレビを家族一緒に見ていると、共通の話題が出来るので、場が和む。放っておくと、一番お喋りな叔母を除いて、叔父も、唯都も、結愛も、ずっと黙ったままでいるので、食卓が静か過ぎるのだ。

 叔母が、音を小さく設定しているテレビに一瞬目を向けた。唯都もテレビを見ると、画面には、『いじめを苦にして男子中学生自殺』と映っていた。変わった画面には、『その中学生は家に一度も友人を連れてきた事が無かった』『いつも口数が少なく、家族とのコミュニケーションも上手くいっていなかった』『家にも学校にも居場所が無い生徒が増えている』等と、暗い内容のニュースが流れている。

 なるほど、分かりやすい。

 唯都は安心した。叔母はテレビが好きで、よく影響を受けている。職場で聞いた事と、ニュースの内容が偶然重なって、不安になったのだろう。自分達の行動に何か不自然な所があったのか――結愛との“秘密”がばれてしまったのかと思ったが、そうでは無かった。


 そこで話は終わるかと思ったのだが、結愛が返した言葉が意外過ぎて、唯都は驚いた。


「お母さん、じゃあ、今度友達連れてきてもいい?」


「え」と素で驚いて、結愛の顔を凝視してしまった。今まで一度もそんな話、聞いた事が無い。叔母も、結愛がすぐに何か言うとは思っていなかったのか、目を丸くしている。


「お母さんが仕事に行っている時間になっちゃうと思うんだけど……」


 結愛が、叔母の不在時に人を招いても構わないかと、伺いを立てる。


「え、ええ。構わないわよ」


 叔母は少しして、笑顔になると、快諾した。箸を持ち直し、食事を再開する。結愛から友人の話をあまり聞かなかったからか、嬉しそうにしている。


 唯都は、まだ戸惑っていた。いつもなら、何よりも唯都との時間を優先せてくれるのだ。それが、話題にも出ていない、友人。嫌な予感しかしない。具体的に言うと、芥子川しか思い浮かばない。

 あれから何も無いな、と安心していた所だった。だが唯都が知らなかっただけで、芥子川の存在は着々と結愛の中に染み込んでいたのだろうか。

 食器を持つ手が震える。唯都はおそるおそる、「誰を呼ぶんだ?」と平静を装って聞く。

 覚悟していた唯都の耳に届いたのは、予想していた音では無かった。


「お菊ちゃん」


 渾名であろう、聞きなれない名前を、結愛は嬉しそうに告げた。




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