第20話〈結愛視点〉
(唯ちゃんが女の子と一緒にいる)
芥子川に、自分と唯都の仲の良さを見せ付けてやろうと思っていた結愛は、唯都が女子生徒を連れてきた事で、逆に落ち込んでしまった。
彼は結愛が気落ちした事は察したようだが、その理由までは気が付いていないように見えた。
唯都と結愛の気持ちには、大きな差がある。唯都がこうして、自分の知らない誰かと過ごしているのかと思うと、早く彼と同じ高校に入りたくて仕方が無い。お互いに、秘密はあるかもしれない。特に結愛には。だが、唯都に関して知らない事があるのは嫌なのだ。少なくとも、唯都に付いてきて、親しげに「逢坂君」と呼びかける彼女だけが知っている唯都がいる事が、嫌なのだ。
見せ付ける相手が増えた。恥ずかしさもあって、少し躊躇ったが、芥子川が見ている事も確認し、唯都に抱きついて見せた。
私の唯ちゃんなんだよ。
そう言ってやるつもりで。
唯都のぬくもりを感じた時、少し泣きたくなった。片時でも離れたく無かった。やっと彼に触れた。制服から、唯都の匂いがした。シャツを洗う洗剤は、結愛も同じ物を使っているはずなのに、唯都が纏うだけで愛しく感じた。
どうして唯ちゃんは、私のものじゃないんだろう。
自分のものだと言い聞かせているだけで、本当はそうではないと、分かっていた。唯都は、唯都の物。結愛のためだけに存在している訳ではない。彼にも友人が居いるし、結愛にも言えない秘密を、きっと持っている。
だけど、結愛の事を一番の仲良しだと、言ってくれた。だから、唯都の妹で良かった。そう思っていた。
――やっぱり妹さんだったんだ。
妹だと思われて、駄目な事があるの?
結愛は自分に問う。唯都の妹……正確には従兄妹、という立場は、幸せな事だと思う。それでも否定が口を出たのは、それが本音だったからだろう。
大好きな人だ。
良い“オネエちゃん”だ。
(でも、でもね……あの人、私が妹だと思って、安心したんじゃないの?)
心の中で、結愛も知らなかった結愛自身が、そっと囁く。
(唯ちゃんの彼女じゃない、と安心したんじゃないの?)
その日初めて見た、唯都の知り合いらしき女子生徒。彼女と唯都の距離は近かった。妹なら、恋敵にはならないと、その目が一瞬和らいだように見えた。
知ったような顔をして。
それが結愛の敵愾心に火をつけたのだ。妹では足りない。結愛が望むのは、それだけでは無い。唯都も聞いているというのに、結愛は後先考えず、口にしてしまった。
直接的な言い方をしたわけでは無いが、あれほど強く否定する理由など、少し考えれば分かってしまう。
唯都は頭が良い。結愛が、自分でも整理が付けられないでいた気持ちを、理解してしまったかもしれない。
案の定、どういう事かと聞かれかけたが、結愛も勢いで言ってしまったので、はっきりと言い直す勇気は無かった。だから当初の目的だけ端的に告げた。
唯都がその時どう思ったのかは、結愛には分からない。
(唯ちゃん、私の事、避けないでね……)
赤い顔を見られてしまった。
(私が、勝手に想っているだけだから、嫌いにならないでね……)
祈りながら、腕を組んだ。逃げられないように。
(お願いだから、迷惑だと思わないで……)
気付いていても、優しく見守って欲しい。この気持ちを遠ざけられたくない。穏やかな時間を壊したくない。
(唯ちゃん……大好き)
それは、以前とは違う感情を乗せて。
優しい唯都は、どのような行動をとるだろうか。少しの間不安に思っていたが、杞憂だった。唯都の態度は変わる事は無かった。気まずげにするでも、距離を取ろうとするでも無い。彼は結愛を避けない。
家族としての関係を望んでの事なのかもしれないが、結愛は希望を持つ事が出来た。いきなり機会を奪われる心配はなさそうである。時が来たら、きちんと言おう。もう一度、ちゃんと告げよう。すっかり前向きに捉えていた結愛は、そう決心した。
いつかは、自分と同じ意味で、好きになってもらえるといい。
それまで、彼に好きな人が出来ませんように。
『すぐ帰るから、結愛も寄り道せずに帰るのよ』
唯都からのメッセージに対して、結愛は迷わず、『大好き』と言葉を贈る。無表情の中に喜びをうっすら滲ませながら、結愛は直前まで雑談していた菊石に、「早く帰らないと」と言ってその場を離れようとした。
「何かあったの? 急ぎ? 誰、親から?」
心配そうに、菊石が聞いてくる。結愛は今とてもはしゃいでいるのだが、外見には分からないのだ。余程親しい――唯都くらいの――間柄でないと、結愛の表情は基本無感情にしか見えない。
携帯電話を見て、急ぎ始めた結愛の様子から、菊石は良くない事態が起こったのではないかと案じたようだ。
結愛は咄嗟に、「ううん、おにい……」と言いかけた。
少し考えて、言いなおす。
「オネエちゃん、かな」
この方がしっくりくる。
何故わざわざ言い換えたのか、自分でもよく分からなかった。しかし、よくよく考えれば、オネエというのはトップシークレットだ。普通に音だけ聞けば、「お姉ちゃん」と思われるはずなので、親戚の誰かだと思ってくれるだろうが。
「え、お姉さんいるんだ」
菊石が意外そうに言った。
結愛は訂正しないで、やはり無表情にしか見えないだろうが、意識して微笑む。
「一緒に出掛ける用事か出来たから、帰るね」
足取り軽やかに、教室を出た。今日は、芥子川に捕まっていない。良い日である。
唯都も本当は、兄では無いのだし、親戚のオネエさんでもあるし、嘘は何も言っていない。唯都がオネエであるとは、とても思われないだろう。誤魔化しようもあるし、もしうっかり、何かの拍子にメッセージのやり取りを覗かれたとしても、言い訳になるかもしれない。良い方に考える事にする。
「早く唯ちゃんに会いたいなあ」
スキップでもしたい気分で、靴を履き替える。校舎を出ると、実際にぴょん、と少し跳ねた。
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