第18話
高校生活は順風満帆である。
入学して数ヶ月。唯都は中学の時とは違い、積極的にクラスメイトと関わるようにしていた。相変わらず味方作りに励んでいる。
結愛が来年同じ学校に進学する事を疑っていないからだ。
彼女が入学してきた時、少しでも快適に過ごせるようにと、着々と準備を進めている。どの部活、委員会に入っても、どこかに必ず味方がいるように。何か被害を受けても、唯都の耳にすぐ入るように。
愛想笑いは完璧だ。もう見破られたりしない。本当の唯都に気付いてくれる友人を作るべきだとは思わなかった。殻を固く、厚くしただけだ。それでいいと、唯都は思っていた。
行動理由は全て、結愛のためだと思わなければ、何をしていいか分からなくなる。唯都の心の中は、どこを探しても、結愛の居ない所は無かった。だから結愛に会えない時間が長くなると、唯都はぼんやりとしてしまう事がある。
彼女に出会う前は、自分はどのように行動していたのだったか。
自分は今、何をしたいのだろうか。
(結愛に会いたい……)
家に帰れば会えるのに、少しの間離れていただけで、足りなく感じる。毎日一緒に過ごしているのに。結愛と共にいない時間は、まるで作り物のようだ。もしくは、本番に向けたただの準備時間にしか過ぎない気がして、実感が無い。もう手遅れな程に、良くない物が侵食している事を感じた。
「逢坂君、結愛って誰? 彼女?」
クラスで聞いたことのある声が横から聞こえた事で、唯都は自分が彼女と並んで歩いている事に気が付く。そして、思っている事を口に出してしまった事にも。
ぼんやりするにも程がある。下校しようとした所で、「同じ方向だよね?」と言われた記憶がある。捕まったらしい。
やんわり断っても食い下がってくるので、適当に流しながら歩き出したが、彼女の存在を無視しすぎて、忘れてしまっていたようだ。
「いや、妹だよ」
つい、クラスにいる時の癖で、返事をしてしまう。
実際には従兄妹だが、説明が面倒なのでそう言って置いた。
さり気なく顔を盗み見ながら、まだおぼろげなクラスメイトを思い出そうとする。
(誰だったかしらこの子…………そうだ、津田さんだわ。確か他の子が、「絶対逢坂君に気があるよ!」とか言っていた津田さんね。接点はあまり無いと思うけれど……)
クラスメイトの顔と名前を覚えてくると、唯都に狙いをつけて、親しくなろうとする女子も増えてくる。それは中学時代と変わらなかった。
「へええ、逢坂君、妹いたんだ? 妹さん好きなの?」
津田が続けた言葉に、一瞬不意をつかれて、すぐに返事が出来なかった。他意が無い事は理解しているが、反応せずにはいられない。
「……まあね」
好き、と言うのは、何となく避けたいと思った。
感情が篭りすぎてしまう気がした。
「逢坂君の言う妹ってさ、もしかして、長い黒髪で、日本人形を可愛くした感じの子?」
的確な表現に、唯都は遠くに行きそうになる意識を全て、津田に集中させた。何故知っている、と思いながら、彼女の顔を見る。感情が顔に出てしまっただろう。津田は何もかも知っている、というような顔で、「やっぱりね」と言って、唯都を見返した。「ところでその子、今校門前に居る子と似てない?」津田は視線を前方に向けて、腕を持ち上げた。
彼女の指差す先に顔を向ける。
結愛がいた。
それも男と一緒だ。
唯都が通う高校にいるという事は、十中八九唯都に会いに来たのだろうが、あの男子と一緒にいるのは気に食わない。唯都は、津田が何故結愛の事を知っている風だったのかなんて事は頭の隅に追いやって、結愛のもとへ急いだ。津田も早足で唯都についてくる。
唯都が駆け寄ると、若干不機嫌そうな顔をしていた結愛が気付き、表情を明るくさせた。恐らく、「唯ちゃん」と言いかけたのだろうが、口を開いた後、また表情を曇らせて、何も言わずに閉じてしまった。
(どうしたのかしら?)
声を出せない理由でも……例えば教師がいただとか……あっただろうかと、唯都は顔だけ振向いて後ろを見るが、訳知り顔の津田がいるだけである。
「結愛、どうしたんだ」
唯都は声を掛けながら、ちらりと芥子川を見た。中学校からはそれなりに距離がある。それを結愛と二人で歩いてきたのかと考えて、嫌な事実に気付いてしまった。どんな理由にせよ、結愛はこの男に、隣で歩く事を許したのだ。
結愛の用事は、唯都に会いに来る事で合っているだろうが、このまま結愛と仲良く下校とはならない気がした。男性が苦手なはずの結愛が、例外的に一緒に並ぶ男の存在に、もやもやとする。それも、結愛が男性を苦手になる原因を作ったと思われる人物である。何より許せないのが、彼が結愛に気がありそうだという事だ。
結愛は唯都を見つめたまま、なかなか話し出そうとしない。時々、津田の方を見ていたので、紹介した方がいいかとも思ったが、自分も津田と親しくないなと思ったので、結局結愛が何か言うのを待った。
結愛が迷ったように、芥子川を見た時、無性に苛立ちを覚えた。彼に意見を求めるような素振りが不快だった。そして彼の顔を見た後、結愛は決心したように、行動を起こした。
「唯ちゃん!」
唯都に結愛が抱きつく。どういう考えの末にこの行動に結びついたのか分からず、唯都は混乱した。
(結愛ったら、どうしたの? まだ外よ? 何かあったの?)
それきり無言で抱きついたままの結愛。ただ固まる唯都の横で、「やっぱり妹さんだったんだ」と津田が言った。
唯都も何か言おうとしたのだが、津田の言葉に一番早く返したのは、結愛だった。
「妹じゃないもん!!」
普段の彼女らしくもない、大きな声が鼓膜を揺さぶる。
芥子川が目を見開く様子が見えた。津田が横で息をのんだのが分かった。彼女の強い否定は、唯都には、ただただ衝撃だった。今の状況と矛盾しているような気もしたが、結愛に否定されたと思って、狼狽する。
彼女は、唯都を家族では無いと、線引きしたかったのだろうか? あくまでただの同居人だと、そう言いたいのだろうか? いや、結愛に限ってそんな事は……。
「だ、そうですけど。妹じゃないの?」
津田は冷静な声で、唯都に説明を求める。結愛が津田を睨み付けた。唯都は結愛の言葉の真意を把握出来なかったので、事実だけを述べた。「……正確には、従兄妹だよ。兄妹みたいなものだから……」ショックから抜け出せず、声には力が入らなかった。
反対に、結愛の腕にはより力が込められる。
「従兄妹だったのか」
芥子川がこの場で初めて口を開く。唯都は、(本当、何であんたがここにいるのよ……)と思いながら、「結愛、何か用事があったんじゃないのか」と、促す。
結愛は、唯都から離れないまま、芥子川を見ながら言った。
「唯ちゃん。この人、クラスメイトの芥子川」
結愛は知らずに言ったのかもしれないが、唯都は前から彼の事は知っている。名前も、クラスでの立場も、結愛に構う理由も、恐らく。
――もしかして、わざわざ紹介するためだけに来たの?
唯都はその可能性に気付いた瞬間、痛みを自覚した。
急に襲ってきた痛みに、声を上げそうになる。
酷い痛みだ。久しぶりの感覚である。
思わず腹を押さえた。
「芥子川です」
芥子川が紹介を受けて、軽く頭を下げる。
「初めまして、じゃないけど……逢坂です」
唯都が名乗ると、「逢坂?」と芥子川が聞き返した。「宮藤じゃないのか……ああ、従兄妹だから当たり前か」
芥子川は、「よろしく、逢坂さん」と言った。普通に、礼儀正しい男子にしか見えなかった。
「宮藤が、“ゆいちゃん”ってしょっちゅう言っているんですけど、下の名前なんて言うんですか」
「……唯都」
「ああ、それで。ありがとうございます」
“しょっちゅう”、結愛は、芥子川と話しているようだ。それも、“ゆいちゃん”の名前を出して。わざわざ高校まで来て、紹介するくらいには、親しくしているらしい。
と、言うより。
ただのクラスメイトを、わざわざ紹介しに来るだろうか。
特別な相手なのではないか。
そうでなければ、唯都に芥子川を会わせた理由の説明がつかない。
他に用事があるのかと待ってみれば、本当に何も無かった。結愛の「じゃあ唯ちゃん、帰ろう」の一言で、解散となった。津田も芥子川も、結愛の有無を言わせぬ雰囲気に、素直に距離を空けて歩き出した。
「結愛、さっきの……」
どういう事だったの、そう聞きたかった。唯都と腕を組んで歩く結愛は、唯都が話しかけると、顔を真っ赤にして、俯いた。それで、続きを聞くのが、怖くなった。
――何で赤くなるの。
望んでいない事を言われそうな気がして、口を噤んだ。
しかし、せっかく唯都が黙ったのに、結愛が答えを言ってしまう。
「唯ちゃんの事を見せたかったの……芥子川に」
ぼそぼそと呟かれたそれは、恐らく言葉が足りなかった。
つまり、こういう事だろうか。
唯都に紹介したかったというよりは、芥子川に、唯都の事を紹介したかったと。
自分の身内を紹介するというのは、それなりに付き合いがあるからではないのか。
どう考えてもそれは……。
(……まだ、認めないわよ)
思ったよりも早かった。
唯都が卒業してすぐとは、芥子川も上手くやったものだ。彼の執念には恐れ入る。
意地悪をして、泣かせた相手を惚れさせるなんて、一体どんな手を使ったのか。
そんな方法があるなら、自分にも是非教えて貰いたい。
唯都はずっと優しくしてきたつもりだが、つい先ほど兄妹である事を否定された所なのだ。
奴の何が良かったのだろう。
何が結愛の顔を赤くさせるのだろう。
(芥子川君、彼のせいで被った迷惑は、数知れないのよ。結愛が知らないだけで、本当はもっとあるんだから)
結愛の心が唯都から離れて、芥子川に移っていくとしても、それを認めたくない。
他の男なら良いのかと言われれば、肯定は出来ないが、しかし、彼だけは。
結愛を守るどころか、彼女に向かう嫉妬を防いでやれない男になど。
負けたくない。
(可愛い結愛を、簡単に手放すものですか)
唯都は、組んだ腕をしっかりと絡ませた。
結愛が離れていかないように。
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