第17話〈結愛視点〉


 唯都が中学を卒業するまで、登下校は一緒だった。

 受験勉強で忙しくしていても、唯都が結愛との時間を疎かにすることは無い。

「早く学校に行かなければならないから、一緒に行けない」と唯都が言うと、結愛は彼に合わせて、早く登校するようにした。二人は、中学で重なる一年を、大切に過ごした。



 家では、甘くて優しいお姉ちゃん。

 男性なのに、女性的な話し方をする人を、“オネエ”というらしい、と結愛は知った。


(じゃあ、オネエちゃんだ)


 結愛は頭の中で、あてる字を訂正する。


(オネエな、おにいちゃん、だ)




 結愛は中学二年生に学年が上がって、唯都は学校から居なくなった。寂しい気持ちもあったが、家に帰れば会えるので、気持ちを引きずる事は無かった。

 結愛には、目標がある。唯都と同じ学校へ入学するのだ。残りの中学生活で、無駄なく勉強しようと、結愛は決意していた。高校に行っても、また一年しか重ならない。それでも、高校で過ごす唯都を、近くで見たい。

 たった一年でも。


 外では、クールでイケメンなお兄ちゃん。

 彼を魅力的だと思うのは、結愛だけでは無い。唯都は本当に、格好良いのだ。

 結愛は、外の唯都も好きだ。最初は戸惑ったが、すぐに独占欲が勝ってしまった。家の唯都も、外の唯都も、どちらも知っている。外の唯都だけを知る人が、彼に熱を上げるのは、何だか許せなかった。自分が一番唯都を知っているのだと、周りに分からせてやりたい。そんな思いがあって、結愛は、外でも唯都を避ける事は無かった。


 結愛は、恋をしたことが無い。

 初恋はいつかと聞かれても、答えられない。

 だが、外で、唯都と並んで歩いていると、よく考えることがある。

 もしかして。


 見上げた時に目が合うと、見惚れてしまう。

 微笑まれると、顔が熱くなる。

 名前を呼ばれると、抱きつきたくなる。

 頭を撫でられると、嬉しくて、嬉しくて、顔が緩む。


 もしかして、もしかして。


 いつも胸が高鳴る。

 唯都の目が自分だけを映している時、胸がいっぱいになる。

 たまに、少し苦しくなる。


 もしかして、もしかして、もしかして。


“大好きな唯ちゃん”に、「大好き」と言うのも、緊張するようになった。

 前はそんなこと無かったのに。


 唯都は学校に行く以外の時間、殆ど結愛と過ごしているため、恋人はまだ居ないだろう。結愛の思惑通りなのだが、少し腑に落ちないものもある。

 こんなに素敵な人なのに、何故恋人がいないのだろう。

 もちろん、結愛にも原因があることは、十分承知している。しかし、唯都は妹思いとは言っても、妹が全て、という程ではないと結愛は思っている。


 テレビでオネエのタレントが出てくる事があると、結愛はつい見入ってしまう。そして、ある可能性を考えた。


(唯ちゃんは、もしかして、同性が好きなのかな……)


 考えれば考えるほど、そのような気がするのだ。

 そうなると、全てに納得が行く気もしてくる。

 恋愛的な意味では、女性を好きになれないのかもしれない。

 ある意味では、安心と言えなくもないが、そう仮定すると、結愛は僅かにあった希望も砕かれる事になる。

 唯都が、結愛を、恋愛対象として見る事はないのだと。


 結愛は、唯都にそういう意味で想われたいのだ。つまり、それは、そういうことなのではないか?

 芥子川に好意を寄せられても、嬉しくない。だが、唯都は。

 唯都は、兄のような存在だ。普通、家族にそういった感情を向けられるのは、困る。異常だ。

 自分に恋をして欲しい、イコール、自分も相手が好き、では無いと、断言出来ない。

 好きじゃなかったら、そう思わない。


 いつか、女性ではなく、男性に唯都を取られるかもしれない。

 でも結愛には、どうすることも出来ない。


 そう思った矢先の出来事だった。






「宮藤、一緒に帰らないか?」


 またきた。懲りずに来る芥子川の顔を見るのも嫌で、結愛はさりげなく、顔を背けた。


「帰らない」


 決まった返事だ。

 唯都が卒業してから、結愛は菊石と一緒に下校していたのだが、彼女が部活動を始めてからは、また一人になった。その隙をついて、芥子川がやってくる。もう何度も断っているのだが、やはりめげない。


「そう言わずにさ」


 なおも言ってくる芥子川を無視して、結愛は立ち上がる。椅子を戻して、鞄を肩にかけた。早足で教室の出入り口に向かい、そのまま歩みを止めずに進む。

 芥子川がついてくる事は分かっていた。

 あのまま教室で、やり取りを見られていたくなかったのだ。また噂がたってしまう。


 いくら早歩きをしても、芥子川の方が足は長い。悠々と追いつかれる。


 本当に、いい迷惑だ。



 周りの、無関係な人間に、芥子川の話をされる。内容は、彼を褒めるものばかりだ。

 芥子川は、いいやつだよ。から始まり、彼の成績がいい事や、友人が多い事、髪が少々野暮ったいが、見た目は悪くない事、女子に人気がある事……どうでもいい事を、彼の友人達から教えられる。知りたくも無いのに、芥子川について詳しくなってしまった。

 芥子川を応援していると言っていたが、そんなもの、結愛には関係が無い。


 女子に人気があると言うが、それなら、結愛になど構わないで欲しいものだ。そのせいで、今弊害が出ている。

 菊石に相談してからは、「まかせて」と言われて、ぱったりと無くなったが、最近は嬉しくない手紙をもらう事が多かった。逆に、私物が無くなることが続く時もあった。それも、菊石に相談すると、「報告しておくわ」と言って、次の日から被害は無くなったのだが、彼女は一体誰と繋がっているのだろう。


 芥子川は、随分と過激な女子に人気のようだ。そんな彼と一緒にいても、良い事など無い。それが結愛の結論だった。



 結局芥子川は、結愛の帰り道、勝手についてきた。

 話しかけると、会話が成立してしまうので、結愛は無言を貫いた。芥子川がたまに話しかけてきても、徹底して無視していたが、彼が唯都の名前を口にした時、とうとう堪忍袋の緒が切れた。


「まだ、“ゆいちゃん”って奴の事が好きなのか?」


 彼が、結愛が言った呼び方をそのまま使っているだけだと分かるのだが、無性に、呼ばれたくないと思った。


「知らないくせに、親しげに呼ばないでよ」


 先を歩いていた結愛が立ち止まり、振り向いて睨みつける。


「そうは言っても……俺、名前知らないし」


「知らなくていい」


「無茶言うなよ。じゃあさあ、これから会いに行こうぜ、紹介してよ」


「はあ!? 何言っているの?」


 芥子川は、妙に強気だった。結愛が反応したのも良くなかった。


「そんなにそいつがいいのか? 宮藤が一緒に帰っているの見た事はあるけど、見たところ彼氏ではないんだろ。脈が無いならやめておけよ」


 脈が無い……客観的に言われた言葉に、結愛はショックを受けた。

 そして、腹立たしく思う。

 確かに、恋愛的な関係では無い。だが、自分達が、どれだけ仲がいいか、知らないくせに。芥子川が考えているよりも、ずっと、唯都と結愛の絆は強いのに。


 仲のいい所を見て、さっさと諦めればいいと思った。全く予定は無かったが、唯都に会いに行くのもいい。今から向かえば、高校の近くで唯都を捕まえられるかもしれない。

 唯都に会ったら、思い切り甘えてやろう。芥子川に見せ付けてやろう。


 そんな浅はかさで、結愛は芥子川に、並んで歩くことを許した。



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