第14話

 

 学校から帰宅後、神妙な顔で、結愛を部屋へ招いた。


「結愛、ちょっと話があるの。部屋に来てもらえる?」


 着替えもせずに、すぐに二人で座り込む。何かに怒っている訳ではないが、そう誤解されそうな表情をしていたかもしれない。唯都は困り顔で、何度か唸った。

 覚悟を決める。そうしろと言ったわけでも無いのに正座で待っている結愛の目を、真っ直ぐ見つめた。


「結愛、登下校、別々に行きましょうか」


 結愛は目を見開いて、すぐに悲しそうな顔をした。


「何で!? 唯ちゃん!!」


 到底受け入れ難いと言う様に、悲痛な声を上げる。

 冷静に返してくると思っていた唯都は、意表をつかれた。

 大げさとも言える結愛の態度は、中々貴重だ。だだをこねる、といった感じである。これは初めてのパターンかと考えている唯都は、意外と冷静だった。


「あのね、私気付いたのよ。結愛、もしかして……男性が苦手なんじゃない?」


 唯都がゆっくりと、諭すように言う。結愛はむっとして、黙り込んだ。

 拗ねている。

 子供に戻ったみたいで、(結愛は昔から大人しい子だったが)これはまた可愛らしいなと、唯都は真剣な表情の裏でそんな事を考えた。

 結愛が黙ったままでいるので、先を続ける。


「結愛、女子と話す時は普通だけど、男子と話す時、凄く緊張していない? ほら、私とここまで仲良くなったのだって、この口調がばれてからでしょ? 結愛も、こっちの口調の方が好きって言っていたわよね。だからね、言いづらいかも知れないのだけど、結愛がどう思っているのか教えて欲しいのよ」


 聞いた内容を、じっくり理解しようとしているのか、結愛は鷹揚に頷いた。その目はまだ険しい。唇はへの字に閉じて、顎にはしわがよっている。真面目な話をしているのだが、唯都は結愛のその表情をどこか楽しんでいた。


 数分経過しても、結愛は口を開かない。何をそんなに悩むのだろう。そこまで、男性が苦手だというのは、打ち明けづらいものなのだろうか。


「……唯ちゃん、私と一緒に登校するの嫌? 私が家に居る時みたいに出来ないから……」


 暗い声で、結愛は言った。

 彼女が否定しなかった事で、唯都はさらに確信を深める。


「そんなわけないじゃない」


 俯く妹に、穏やかな声音で答える。

 もちろん、唯都は結愛となるべく一緒にいたいと思っている。ただ、知らないで彼女に嫌われたくはないから、確認したいだけだ。

 登下校を通して、どんどん距離が開いてしまうなら、長い目で見れば、避けた方がいいと思ったのだ。


「私が結愛を嫌になる事なんてないわ。結愛に辛い思いはして欲しくないから、聞いただけよ」


 本当は、唯都の都合が大きかったが、結愛の心を慮っているのも、本心だった。


 次に結愛は、顔を上げて、何か決心したような目で、唯都を見つめてきた。


「私が、男の人が怖くても、唯ちゃんは別だよ。中学校が重なるのは、一年だけだから、一緒に行きたい……」


「そう……」


 唯ちゃんは別。その言葉が聞ける内に、保身に走りたかったが、結愛にお願いされては、唯都は現状維持に努めるしかない。


「ねえ、言いたくなかったら、無理には聞かないけれど……男性が苦手なのって、小学生の時意地悪されたのが原因?」


「え? ……えと、よく分からないけど……多分……」


 原因をはっきりとは自覚していないらしく、結愛は濁すように曖昧な言い方をした。


 無理に治そうとしているわけではない。唯都の存在が結愛の中で、まだ特別でいられるなら、むしろ男性が苦手というのは好都合だった。

 結愛が異性と親しくする事を想像すると、心穏やかではいられない程度には、唯都は重症だからだ。


「いいわ、変な事聞いてごめんなさい、結愛。今まで通り一緒に行きましょうね」


 それ以上は聞かず、条件反射のように結愛の頭を撫でる。

 すると結愛は、今日一番嬉しそうな顔で、返事をした。


「うん、唯ちゃん」






 先に卒業してしまう。その後が心配だ。自分が結愛を守らなければ……唯都はこの時、ある意思を固めていた。



(友達を遠ざけてばかりじゃ駄目よね。下級生にも、友達が居た方がいいわ。委員会で、積極的に話しかけてみようかしら)



 自分が居なくなった後、結愛を助けてやれるように、自分の目を忍ばせる準備をするという事を。

 外面を作れば、交友関係を作り上げるのは、案外簡単だ。唯都はそう思っている。ただ、維持するのが非常に疲れるというだけで。

 だがそれも、結愛の力になれるのなら、幾らでもやれる。

 クラスメイト達に心を開いたわけではない。この先自分だけでは限界があると気が付いたから、手段を増やしておくのだ。


 危ない思考をしているなと、唯都は自嘲した。利用するために、友人を作ろうとしている。そして結愛を守ると建前を掲げながら、彼女に他の男を近づけさせないように出来ないかと思っている。


 唯都も所詮、一人の男だ。結愛が好きでいてくれるのは、彼に女性らしい面があるからだ。

 複雑な気持ちだった。

 本来の自分を受入れてもらえて、嬉しいのに、男として見られない事が、苦しいと思うのだ。

 口調も、今考える内面も、どちらも唯都で、両方好かれたいと考えてしまう。

 今のままでいれば、ずっと姉として慕ってくれるかもしれない。だが、男の自分は、強く拒絶されるかもしれない。

 今度は、逆なのだ。昔の自分と。半分は受入れられて、半分は否定される。


 結愛に全部許されたい。

 唯ちゃん、大好き、と言ってくれる時に、全部が好きだと思ってほしい。

 オネエなおにいちゃんだから、大好きなのではなくて。

 唯都だから、オネエでも、普通の男でも、好きなのだと。


 結愛の男性に対する苦手意識が無くなれば、それもありえる事だ。

 だからと言って、その時自分は満足出来るのか?

 答えは分かりきっていた。

 きっとまた、欲が出る。全部受入れてもらえたら、今度は唯都の、妹に向けるべきではない感情も、認めてもらいたいと思うようになる。結愛に恋しい相手がいたら、兄として見守る事など、出来そうも無い。

 どこまでいっても、終わりが見えない。

 だから、今が一番良い状態だと、現状維持に努めるのが得策だ。唯都は姉として好かれたままで、結愛は男性が苦手なまま。心は半分満たされないが、結愛の未来の彼氏に嫉妬する事も無い。


 人の心は、変わってしまうものだ。唯都が結愛に対して、そうだったように。

 唯都がいくら変わりたくないと足掻いても、結愛が変わろうとすれば、それを止める事は出来ない。


 その事実からは、目を逸らした。






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