第13話

 

 そのまま暫く結愛を見ていると、彼女に近づく男子生徒がいた。

 唯都は彼に見覚えは無く、以前校門前で見た生徒とは別人だ。

 彼が声を掛けたようで、結愛が振り向いた。彼女の視界に入らないように、さっと体をずらす。

 結愛の顔が見える。相変わらずの無表情だった。


(あら……?)


 その表情に違和感を覚えた。

 唯都は、結愛が無表情の時でも、感情を読み取る事が出来ていた。僅かな変化も、見逃さなかった。


 しかし唯都は、今の結愛の感情が分からなかった。彼女が意識して、表情を作っているように思えた。相手に心情を悟らせまいとするような……。

 結愛は、唯都の前では表情豊かだ。それ以外は、打ち解ける前のような、変化に乏しい表情だった。それでも、それが彼女の自然な状態だ。無意識なのだろう。

 今の結愛は、不自然な感じがした。


(慣れない相手で、緊張しているのかしら。それとも、他に何かあったとか……)


 原因を考えて、すぐに、自分のせいだろうか、と思う。結愛を不自然にしているのは、最近の唯都にも一因があるのではないかと。

 唯都が暗い思考に沈みかけていた時に、男子生徒が去った。結愛は目を伏せると、固めていた頬を、ほんの少し和らげた。そして、前の席の女子生徒に向き直る際、僅かに口角を上げたのだ。――それで、何の話だったかな? そう話しかけるように。


 一瞬、閃くものがあった。もしかして……という思いが過ぎる。

 休み時間は、まだ余裕がある。引き続き、見つからないように気を付けながら、教室の様子を眺めていた。


 結愛の所へは、何人か寄っては、去っていった。入学したばかりだが、彼女は順調に、クラスメイトと交流しているようだ。それは、まあいい。


 女子生徒が話しかけた時、結愛は普段通りに見えた。だが、男子生徒が寄ると、彼女は立ち入りづらい雰囲気を作っている。



 オネエ口調が、結愛に知られた時、彼女は笑いかけてくれた。

 目に見えて、懐いてくれるようになった。


 通学中、人前で話すように、口調を変えた時、結愛は固くなった。どうしていいか分からない、そう伝わってくるようだった。


 唯都は、自分の考えが当てはまるような気がした。


(もしかして……結愛は……)


 自分が考えていたよりも、根が深い問題かもしれない。

 はっとして、唯都は気を引き締める。教室の後方に座っている生徒が、ちらちらとこちらを見ていた。長時間ずっと、教室を眺めていれば、誰かの目に付くだろう。もうすぐチャイムが鳴る頃だ。生徒達が一斉に教室へ戻る前に、三年生の階に戻ろう。唯都は意識を切り替えて、背を向ける。逃げるように、階段へ向かった。




 予鈴前に、自分のクラスに戻る事が出来た。何事も無かったかのように、席へ直行する。最初からずっとそこにいたみたいに、机の上に、次の授業で使用する教材を並べる。

 背筋を伸ばして、姿勢良く座っていると、友人が目敏く唯都を見つけた。明らかに自分に向かって歩いてくるのを見て、内心、しまったな、と思う。少し戻るのが早かった。


「珍しいな唯都。どこ行ってたんだよ?」


 案の定、声を掛けられた。やはり、クラスメイトがいないと気にするか……。居ても、居なくても、あまりこちらに関心を向けて欲しくないものだ。


 結愛に心を許し、その度合いが深くなるほど、他人への拒絶が強くなっていくようだった。



「図書館とか、色々」


 さらりと嘘をつく。一年生の教室へ行っていた理由など、明かしたくない。

 唯都の嘘になど、全く気が付いた様子のない友人は「休み時間にまで勉強かよ……すげえな」と感心していた。


「そう言うけどな、今年受験だぞ? 別に俺だけじゃないからな?」


 自分の中に存在するマニュアル通りに、会話を進める。普通の男子は、こういう話し方をするのだ。そして、クラスで少し勉強が出来る、と位置付けされている生徒は、こういう風に助言をするのだろう、と。

 客観的に、頭の中で台詞を組み立てていく。思わず、といった言葉は無かった。全て、変に思われないように、一度頭の中で読み上げてから、舌の上に乗せている。


「まだ三年になったばっかなのに! うう、耳が痛いぜ」


 友人の声が脳に反響した。唯都も、彼に合わせて軽い調子で言う。


「後で泣くなよー、早めに取り掛かっといたほうが、選択肢も増えるかもしれないだろ?」


 唯都は自分の口調に、違和感しかない。

 愛想が良くて、中学生らしい生意気さがあって、友人と軽口を叩くための皮を、顔の上に貼り付けて、自分の声をどこか遠くで聞いている。


 以前はそのことを考えると、腹が痛くなった。

 今は、痛みは無い。

 症状が現れなくなったのを、唯都は、心の拠り所を見つけたからだと思っていた。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。


 友人が、耳を押さえていた手を下げ、浮かべていた笑みを消した。急に真面目な顔をする。

 怪訝に思い、「どうしたんだよ」唯都が問いかけると、友人は「なあ、唯都……」と声を落とした。


「何か、無理してね? 元気なく見えんだけど」


 貼り付けた皮が、乾いていく錯覚に襲われる。


 一年生の教室で、結愛の表情に見えた違和感を思い出した。人の心配をしている自分こそ、上手く顔を作れていないじゃないか。


 クラスメイトや、友人に、完全に作った自分だけを見せてきた。

 会話からは、極力逃げている。

 話していても、内心冷めている。


 ――たった一人でも、理解者がいれば良かった。


 唯都は、受入れてくれる人を得たから、他はどうでもよくなったのかもしれない、と思った。

 危惧している事がある。

 結愛以外の事では、感情を動かす事が出来なくなったのではないか、と。


 取り繕えなくなるほど、自分は動揺しているらしい。ああ、気付かれた、いや、元気が無いと言っただけ、それでも、彼は僅かな変化に、気が付いたのだ。いつもどおり、話していたのに。


 唯都は自分が嫌になった。唯都もまた、気付いたからだ。唯都が、結愛の変化を見逃さないように、この友人も、唯都を心配しているのだと。


 友人に、申し訳ないと思った。ここで友情が芽生えれば良いのだが、唯都の心は容易く進入を許さない。


 結愛の他はどうでもいい、その通りだと、思ってしまった。


(どうして私は、こうなのかしら……)



 その結愛に、自分は拒絶される対象かもしれない。

 そしてそれは、遠くない話かもしれないのだ。



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