第12話

 

 登下校中の気まずい雰囲気に、先に音を上げたのは、唯都の方だった。

 外で余所余所しいだけならともかく、家に入った後も、その態度を引きずるようになっていたからだ。唯都にとって、家で結愛と過ごす時間だけが癒しなのだ。このまま何もしなければ、恐れていたよりも早く、妹との関係が壊れてしまう。そう考えない日は無かった。


 唯都はまず、直接結愛に尋ねることはしなかった。原因は考えるまでもなく、唯都の話し方だと思っていたからだ。こればかりは、外でもあの、オネエ口調で話すわけにもいかない。結愛に慣れてもらうにも、ただ「慣れろ」と言うだけでは、負担にしかならないだろう。

 唯都は妹をよく観察することにした。結愛が考えていることを知ろうと考えたのだ。家に入ってからも、唯都の態度に問題があったのかもしれない。せめて自分達の部屋に居る時は、結愛に心穏やかにいてほしい。彼女が嫌がることや、口には出さないが、不満に感じていた事を探ろうとした。

 これは極端な例えだが、下手に、「私の何がいけないの?」などと聞こうものなら、結愛に気を遣わせてしまう。余計な事を考えさせて、落ち込んでしまうのは、唯都の本意ではない。




 休み時間を知らせるチャイムが響いて、一斉に椅子を引く音がする。疎らに人がドアをくぐって行った。教室に残っている者は、自分の席で読書をしていたり、クラスメイトと談笑していたりする。廊下の密度が多くなったところで、唯都も席を立った。紛れるように廊下に出て、人の間を縫って歩いていく。

 学校生活に慣れるまでは、登下校を除いて、学校で会うのは控える約束だ。唯都は示し合わせることなく、突発的に結愛のクラスへ向かった。

 唯都が目立たないでいるのは難しい。三年生ともなれば、行事や委員会などで結構顔が知られている。唯都は部活動を行っていないので、特別親しい後輩は居なかったが、委員会で顔を合わせれば、話しかけてくる程度の知り合いは居る。

 こっそり、結愛の姿を眺めるつもりだった。印象につかないくらいの回数で、何度か足を運ぶ予定だ。最初の所は取り合えず、クラスで結愛がどんな様子なのか、見てこようと思っていた。

 話せるクラスメイトは居るのか、慣れない授業で疲れきっていないか……兄妹仲を元に戻したいと思っていたはずが、いつの間にか結愛の学校生活を案じるだけになっていた。


 廊下で知り合いの姿を見つけると、目が合う前に、さり気なく人の後ろに下がって、視界に入らないようにした。誰かと話す事は、なるべく避けたかった。危険は回避するに越した事は無い。

 唯都が求めているのは、本当の言葉で話せる結愛だけだ。


 一年生のクラスは一階にある。階段を下りていくと、周りに同級生が殆どいなくなった。一階に着くと、三年生に比べるとまだ幼い顔立ちの生徒達が廊下を歩いている。ついこの間まで小学生だったのだから当たり前だが、誰も彼も背が低い。順調に背を伸ばしている唯都は浮いていた。明らかに上級生だと、気付かれてしまうだろう。目立たないのは無理かもしれない。半ば諦めたような気持ちで、せめて静かに目的の教室へ向かった。


 新しく学ぶ校舎に慣れて居ない一年生達は、唯都を見ても声をかけてくることは無かった。壁に寄って、そろりと教室を覗こうとする唯都は、不審極まりない。だが上級生らしき彼に話しかける勇気を、彼らは持ち合わせていなかった。


 結愛は休み時間に、どんな行動をするだろうか。早く校舎を覚えるために、校内を見て回るか。それとも交友関係を深めるために、教室で積極的に話し掛けているか。


 見つかると気まずい。唯都は通りがかりのように、遠くからさっと教室内を見て、結愛を探す。後方のドアから覗いていたのだが、運良くそれらしき後ろ姿を見つけた。

 左から三列目、後ろから二番目の席に、姿勢良く座る背中が見える。長い黒髪の生徒は他にもいたが、唯都にはそれが結愛だとすぐに分かった。前の席には、背もたれに肘を置いた女子生徒が、結愛に何か話しかけている。女子生徒は、正面の黒板ではなく、廊下側に足を出すようにして、椅子に腰掛けており、顔だけ結愛に向けていた。結愛は相槌を打っているのか、たまに頷いている。


 ひとまず唯都は、少しだけ安堵していた。話す相手はいるようだ。入学直後で、誰とも話さず、一人で読書をしていたらどうしよう、と思っていた。唯都の時がまさにそうだった。


 話し相手になっている女子生徒に注目する。つり目気味の、なかなか綺麗な顔立ちをした子である。結愛も日本人形に例えられるような、純日本人といった顔立ちだが、この子もそれに近い。顔は少し大人びている。目尻に紅をさして、舞妓の格好など似合いそうだ。舞妓に関する知識など持ち合わせていない唯都だったが、曖昧にそんなことを思った。

 黒い髪は、結愛ほど長くない。恐らく肩に付く位だろう。後頭部の中ほどで、一つに束ねている。彼女が頭を動かした時に、それが見えた。

 前髪は長く、横に流している。実に化粧栄えがしそうな顔だ。纏めると、第一印象としては、時代劇に出てきそうな子、で落ち着いた。

 ほくろが魅惑的だと評判である女優の顔が、頭に浮かんだ。

 彼女にも、口元にほくろがあれば、現在、実際に時代劇で活躍している女優に似ていたかもしれない。


 唯都が彼女に感じた事は、全て客観的に見て、の話だ。唯都自身が、一目見て彼女を特別に思った訳では無い。一般的に、美人と称される部類だろうな、それだけだった。

 唯都には今のところ、結愛が世界一可愛らしく見える。

 当の妹は、視線に気付いていない。

 眩しい物を見るように、唯都は目を細めた。

 意識しないで動いた口元は、優しい弧を描いた。


(やあねえ、もう……末期だわ……)


 可愛い結愛が心配だが、あんなに良い妹で誇らしくもあるのだから、本当に末期である。



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