第11話〈結愛視点〉
重要なのは、口調のことだった。
唯都は自分の本来の口調を、人に知られないようにしていた。結愛にもその事は伝わっていた。だから、お互いにすっかり心を開いてからは、他に気にする事はなかった。「唯ちゃんのほうがかっこいいよ」と言った事もある。あれは、男性なら、可愛いよりは、かっこいいと言われた方が嬉しいだろうという気持ちがあったからで、深い意味は無かった。勿論、頼りがいがあるという点で、容姿に関係なく、結愛は唯都のことを兄として“かっこいい”と思っていた。
唯都と上手く話せない。
何度も登校しないうちに、二人の通学時間は、ぎくしゃくとしたものになっていった。
部屋を出たくなかったのは、このためだ。外に出る瞬間、結愛は身構えてしまう。
(今日も、あの唯ちゃんと話すのか)
嫌なわけではない。だが耳心地の良いあの声を聞くと、そわそわとしてしまう。話していてほしいけれど、自分が何を言っていいか分からなくなる――そういう訳で、結愛は慣れるしかない、と思ったのだ。
下駄箱で二人は別れて、唯都は二階の、結愛は一階の教室へ、それぞれ向かった。
元から表情は固い方だが、最近の結愛は、登下校の前後、いつにもまして固い顔をしている。
良く知っているはずの唯都と気まずいような時間を過ごして、すぐに、半数以上がまだ知らないクラスメイトの教室へ行く。緊張が解けているのかいないのか、人から見れば、結愛は常に無表情のままだろう。
結愛は中学校に慣れるまでは、休憩時間などに、唯都に会いに行くのはなるべく控えようと思っていた。唯都にもそのように言ってある。
新しい交友関係を築かなくてはならないと、唯都からも前々から言われていた事だからだ。
「おい、宮藤」
結愛は、いつ放課後になったのか、きちんと帰り支度を整えている自分にはっとした。入学したばかりだというのに、ぼんやりと授業をやり過ごしてしまった事に、後悔を覚える。近くの席の女子と幾つか会話をした覚えはあるが、結愛は廊下で声を掛けられるまで、現実に戻ってきてはいなかった。
ちょうど、というより、いつも唯都のことを考えていた。記憶が思い起こされていく中で、唯都と“秘密”を共有したきっかけまで、遡っていたところだった。結愛が、泥だらけになって帰ってきた日。あの日と全く同じ呼び方で、声を掛けられたものだから、結愛は思わず足を止めてしまった。
声が聞こえたのは、後ろからだ。結愛は教室から出るのも、ぼんやりして、人より遅れていた。気付いたら廊下を歩いていた。人は少ない。結愛の前を歩いている人は居なかった。
教師ではない若い声に訝りながら、結愛は振り返る。
「ひ、久しぶりだな」
後ろにも一人しか居なかったので、声の主はすぐに判明した。
髪が無造作に伸びたままになっている。束ねる程ではないが、男子にしては長かった。前髪も伸びているため、目元を隠してしまっている。
その男子生徒は制服のポケットに両手を入れて、首を揺らした。結愛からは彼の目が見えないが、目線を彷徨わせるような仕草だった。
首の動きから察するに、ちらちらと結愛の顔を見ては、すぐに逸らしている。
結愛は自分から声を掛けなかった。無視してしまおうかとも思った。正直、気持ちの余裕がなかった。喧嘩をしたわけではないが、早く唯都と仲直り、のような、態度の改善をしたかった。
唯都も気にかけている相手と、今下手に関わりを持つのは面倒である。
「元気だったか?」
黙って見ていると、男子生徒は続けて話しかけてくるので、結愛は無視するのをやめた。流石にここで帰ってしまうほうが、後々更なる面倒ごとに繋がりかねないと思ったからだ。
「何か用?」
手短にしたい、という気持ちが出てしまったようで、結愛の声はやや冷たかった。男子生徒は怯んだ様子を見せたが、一歩、結愛に近づくと、頭を下げる。
「あのさ……小学生の時は、悪かったよ。転ばせて……俺、ずっと謝りたくてさ……」
殊勝な態度に、結愛は少しだけ驚いた。暫く話していなかったが、彼の顔を覚えている。入学式、下校する時に校門ですれ違ったのが彼だ。小学生の頃、結愛を苛めていた男子である。
その事がきっかけで、唯都との仲を深めたのだが、苛めていた男子の事は、好きにはなれなかった。
「終わった事だから、いいよ。用事がそれだけなら、もう行くから」
結愛は淡々と謝罪を受け入れる。彼にさして興味も持てない結愛は、踵を返した。
すると、廊下に上履きを擦り付ける音が響く。男子生徒は慌てて、結愛を呼び止めていた。
「宮藤! 今日、一緒に帰らないか」
「帰らない」
「そう言わずにさ! もう、乱暴な事しないし、お詫びがしたいだけだから……」
だんだんと尻すぼみになる声に、結愛はもう一度振り返る。
縋るような目が、結愛を見ている、気がした。
試しに歩き出そうとすると、あからさまに項垂れたので、結愛は、悪い事をしている気持ちになった。
表面的には、変わらない顔で、困ったな、と思う。変に絡まれないように、後腐れなく離れたいのだ。
唯都であれば、「眉が下がってるわよ~、何かあった?」と見破れる無表情のまま、先約があることを口にする。
「でも、一緒に帰る人がいるから」
「……それって、前に言ってた奴?」
彼が誰の事を言っているかは明白だった。当てはまる人物は、一人しか居ない。
「宮遠、あのさ、お前、そいつのこと……」
強張った声の彼が、頷きもしない結愛を見つめている。髪に隠れているが、彼からすれば、目は合っているのだろう。
結愛は、何となくその先の言葉が予想出来た。
そして恐らく彼は、現在の“そいつ”の顔も分かっている。以前、彼がいる校門前で「唯ちゃん」と呼びかけた。聞かれていたはずだ。だから、彼は今更こんな話を持ち出したのだろうか。「唯ちゃん」と聞いて、過去の行いを後悔したのだろうか。
「唯ちゃんは、あの時も今も、大好きな人だよ」
恐らく彼が聞きたいのは、こういうニュアンスの響きではない。
結愛は悩んでいる途中だ。人にかき回されたくなかった。今度こそ結愛は、進んでいた方へ向き直った。唯都が待っているはずの下駄箱を目指して、歩き出す。
今は、答えを出したくなかった。
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