第9話
校門に向かって歩き出す。結愛の視線が絡み付いた。
結愛は唯都を見上げたまま、隣で足を踏み出した。
「前を向かないと危ない」
妹の頭にそっと手を添え、向きを変えるように促す。
だが、様子を伺うような目線だけは、唯都に向けられたままだ。
唯都はそれに気付いていたが、あえて目を合わせず、真っ直ぐ顔を固定した。
目の前、校門の横には、彼がいる。
少し緊張していた。
校門を通り過ぎる際、唯都は確かに視線を感じた。さり気なく、男子生徒に目を向けると、前髪の伸びた顔が、僅かに上を向いている。
すぐに視線を逸らすつもりだった。だが、唯都の表情の変化を敏感に察した結愛に、声をかけられたため、一瞬遅れる。
「どうしたの、唯ちゃん?」
唯ちゃん――結愛がそう言った時、男子生徒が身じろぎした。前髪の隙間から、目が覗いて見える。一瞬、目が合ったかもしれない。
結愛の問いかけには答えないで、唯都は当たり障りのない言葉を返した。
「学校生活で、何か困ったことがあれば言えよ」
何度も言っているから、結愛も十分分かっているだろう。今更言う必要の無い発言は、かえって不自然に、耳の奥に残った。
「唯ちゃん、やっぱり何かあった?」
信号で足を止めた時、結愛が再び唯都に問いかけた。
「何で?」
唯都は自分で言いながら、随分素っ気無い言い方だと思った。だが、家に居る時のように、上手く自分の気持ちを表現する事が出来ない。結愛も、親しくなる前と同じで、表情は固いままだ。
「急いでいるみたいだったから……」
言われて唯都は、結愛に合わせる事を忘れて、早足で歩いてしまった事に気が付く。校門前にいた男子生徒から、早く離れたかったのだ。
「ごめん結愛、ゆっくり歩こう」
結局明確な答えを言っていないことに、唯都は思い至らなかった。
それからは家までの道を、黙々と歩いた。
唯都は結愛と目を合わせない。結愛も、ちらちらと唯都を見はするが、何か話題を振る事はなく、家の前まで来てしまった。
二人とも、家では人目を気にせず親しくしている。だが、外での距離感がまだつかめていなかった。
ようやく、唯都の中で、これはおかしなことだ、という思いがわく。従兄妹だが、兄妹と変わらないのに、これでは慣れない人といるようだ。家ではあんなに仲がいいのに――。
二人きりで居る時と違う口調でいるから、結愛は戸惑うのだ。唯都はそう思った。だが、そこからどうすればいいのか、分からなかった。
家の中に入ると、空気を変えようと、唯都は殊更明るく、結愛に話しかける。
「さて、改めて、入学おめでとう! 明日から一緒に行きましょうね!」
唯都が笑いかけると、結愛は目に見えて表情を変えた。
安心したように、強張った顔が緩む。目を細めて、控えめに口角を上げた。八重歯は見えなかった。
「……うん、うん! 一緒に行こうね、唯ちゃん」
唯都も、安堵の息を吐いた。
「ところで結愛? クラスに嫌な子居なかった?」
二人で仲良く階段を上がりながら、会話を続ける。
「嫌な子?」
何の事か分からない、と言った風に結愛が聞き返す。
「小学生の時、意地悪してくる奴いたでしょ。一緒のクラスじゃなかった?」
「…………あれから、何もしてこないから、もう大丈夫だよ」
「やだ、もしかして同じクラスになっちゃったの!?」
少し先を歩く唯都が、体半分だけ振り向いた。
首肯する結愛は、眉を寄せて渋い顔をしている。
「さっき校門に、立っていた人が、そうなんだけど……」
それに対して、唯都は神妙な顔で頷いたが、彼の顔は、既に知るところである。唯都の嫌な予感は的中した。
「もう、嫌になるわね。また意地悪されたらすぐに言うのよ?」
もう過ぎた、小学生の時の話だ。そこまで深刻に考える必要は無い……そう断じることは、唯都には出来なかった。結愛に向けては、軽く言って見せたが、気持ちとしては、大分動揺している。
ただでさえ、嫌な事が重なっているのに――。
心配事が増えていく。
あの男子生徒の存在が介入してくることを、唯都は酷く嫌った。ここまで警戒するのは、彼が結愛に危害を加えることを心配しているわけではない。むしろ、逆の心配をしていた。
(今更、本当、何もしてこないで欲しいわ……)
彼が結愛を意識していないはずがないと思いながら、唯都はそう願わずにはいられない。
唯都はいつまでも、結愛の一番でいたかった。
それが例え、“姉”としてでも。
家にいるときは、唯都はまるで姉のようだ。
結愛に甘くて、優しく、どちらかといえば、女性らしい話題で盛り上がる。唯都は、自分が作ったアクセサリーを、使う予定がないからと、結愛に度々譲っていた。結愛はいつも喜んで、それらを宝物だと言った。
唯都は外では、姉ではない。普通の男子生徒だ。そして、クラスメイトの反応を見るに、容姿も悪くは無い筈だ。まだ中学生であるから、大人から見れば幼いかもしれないが、少なくとも、女子に間違えられる事は無い。これからどんどん成長する。誰から見ても、唯都は結愛の姉ではない。
いつまで、結愛の姉でいられるだろう。
見た目と口調の違和感に、結愛が隔たりを感じる日が来る事を想像するのは、容易だった。
結愛だけはいつまでも変わらずに、慕ってくれると思い込む事は、ただの逃避でしかないと、唯都は肝に命じた。
二人で登校するようになると、唯都は教室でやっているように、“外用”の口調で話す。すると結愛は、何を話せばいいか分からなくなるようだった。
結愛が家でするように、唯都に話しかけても、唯都の返しは、“外用”のそれだ。ともすれば、素っ気無く感じられる事もある。
結愛は、寡黙でいることは出来たが、“外用”の唯都と接する時の自分を、見つけられないでいるようだ。
外ではよそよそしい態度を取る結愛を見て、唯都は表情を曇らせた。女性口調の時は、変わらず懐いてくるので、通学中の異様さが目立つ。
朝の通学時間では、会話が少ない。必然的に、笑顔を見せる事も無くなり、結愛も俯きがちになっていった。
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