第3話

 


 その日から、結愛から唯都に話しかける回数が少し増えた。

 従兄妹だが、唯都は結愛の事を妹のように思っている。

 妹に懐かれるのは嬉しいと思ったが、親しく話しすぎると、気が緩んで、女性口調が出そうになる。

 唯都は慎重に結愛と接した。




 下校時間の鐘が鳴る。

 唯都が、友人に声から声がかかる前にと、そそくさと席を立った。

 部活に入っておらず、掃除当番も無かった唯都は、少し早く学校を出た。

 まだ下校する生徒が少ない中、校門から続く道を歩く。

 角を曲がり、学校が見えなくなって、やっと歩調を緩めた。


 ぼんやりと、周囲に目を向けた時、唯都が歩いている歩道の横に、バスが停まった。

 中から女子生徒が降りてくる。

 近くの高校の制服を着ていた。

 女子生徒が手に持っている携帯電話に、四葉のクローバーを模したストラップが付いているのが見える。

 プラスチックの四葉は、光を反射して揺れた。

 唯都は顔の向きを変えずに、目線だけストラップに向ける。


(あ……かわいい)


 顔にも声にも出さないで、あれなら手作り出来そうだと必要な材料や手順を頭の中で考える。

 そしてすぐ、溜息をついた。

 作るのはいいが、それを使う機会が無い。

 唯都は携帯電話にも鞄にも、装飾品は付けていない。

 普段から、何処までもシンプルな物を選び、身につけている。

 我慢出来ずに手作りしてしまったアクセサリーや小物類をどうしようかと、頭を悩ませた。

 そろそろ置き場所、もとい、隠す場所が無い。

 作るのも、見るのも好きだが、自分でつけたいわけでは無い。

 唯都は小学生の時の出来事を気にして、自分の趣味は未だに隠していた。


 学校から出て最初の信号があった。

 信号の色は赤だったので、立ち止まる。

 待っている間、きりきりとした痛みを感じて、腹部に手を当てた。

 目を細め、遠くを見据える。


(まただわ……)


 最近唯都は、このような痛みに悩まされる。

 それは母親が死んでから、年々、少しずつ悪くなっていた。


(今日はひどいわね……)



 ――唯都、今日帰り遊ばないか? 唯都の家行きたいんだけど。

 ――悪いけど、用事があるんだ。

 ――ええ? お前いつも用事あるじゃん。何だよ、何か見られたらまずいものでもあるのか?

 ――本当に用事があるだけだって。俺の部屋、面白いもの何も無いよ。遊ぶなら、今度俺以外の家にしようよ。


(友達と遊んでも、楽しくないのよね……)


 今日あったやり取りを思い出していると、信号がやけに長く感じた。


 車が停止線の前で停止して、そろそろ信号が変わろうかという時、後ろから駆けてくるような音が聞こえた。

 かちゃかちゃと、金具がぶつかるような音もする。

 信号が青に変わった。

 音を気に留めず、唯都が足を踏み出す。

 ゆっくりと歩き出した唯都の横を、何かが追い越していった。

 かちゃかちゃ、と真横を音が通り過ぎる。

 唯都の前方に、赤いランドセルが現れ、先に横断歩道を渡りきった。

 そのランドセルは、向かい側の歩道に辿り着くと、くるりと向きを変えて、立ち止まる。

 唯都の顔を見て、一つ頷いた。

 あれは、やっぱりそうだ、という表情だろう。


(あの音は、ランドセルの金具の音だったのね)


 赤いランドセルの小学生は、唯都の到着を待って、彼に話しかけた。

 結愛の通う小学校と、唯都の通う中学校は、道路を挟んで向かいにあるため、通学路も全く同じだ。


「おにいちゃん、一緒に帰ろう」


 結愛が、少しも嬉しくなさそうな顔――正確には無表情で、唯都を見上げる。

 彼女は、少し息を荒くして、頬を上気させていた。一目見て、走ってきたと分かる顔だ。

 唯都は、自分を見つけて走ってきたのだと気付いて、結愛の頭に軽く手をのせた。


「いいよ」


 結愛が唯都の横に並んで、二人でゆっくりと歩き出す。

 時間は穏やかに流れた。


 帰り道、二人の間に会話は無い。

 今に限らず、唯都は結愛が側に寄ってくると、少し気まずい思いをする。

 決して嫌では無いのだが、何を話していいか分からないのだ。

 結愛は、あまり表情が変わらないので、何を考えているのか、分かりづらい。

 ビーズの犬を直した件から、自分から寄ってくるようになったので、嫌われてはいないだろうと判断していた。

 兄妹なんて、そんなものかもしれない。

 唯都はそう思った。

 二人はそれなりに、仲良くやっていた。




 叔母の家、宮藤(くどう)家では食事の席は特に決まっていない。

 夕食時、唯都が椅子に座ると、後からやって来た結愛が、隣に座る。

 それも少し唯都に近づけて。


 食後、ソファに座って、唯都がテレビを見ていると、大抵結愛も寄ってくる。

 気を利かせて、唯都が端に詰めると、広いソファは四人くらい座れるスペースが出来る。

 だが結愛は端に座らず、唯都にくっついて座る。

 唯都は何も言わないし、結愛も何も言わない。

 黙ってテレビを見ていて、ふと横を見ると、結愛がじっと唯都を見ている。

 よくあることなので、唯都は何も聞かない。

 結愛も、言いたい事があるわけではないのか、話題を振る事も無い。


 唯都の姿が見えると、結愛が近づいてくる。

 結愛は煩くないし、唯都に迷惑をかけているわけでもない。

 雛鳥のように付いて回る妹を見て、唯都は余計無口になっていた。


 口を開けば、余計な事(オネエ口調)を言ってしまいそうだからだ。


(……なんなのかしら、このかわいい生き物)


 サラサラな黒髪を、撫で回したい衝動に駆られる。


(本当、お人形さんみたいにかわいいわね……無口なのがまたいいわ、なんかこう……媚びてない感じが! 妹ってこんなにかわいいものなの? ああ、でも……)


「痛……」


 腹部に痛みを感じて、唯都の口から小さな声が漏れた。

 結愛の事を考えると、面映い気持ちになったが、同時に、あの、きりきりとした痛みも襲う。

 腹部を押さえて顔を歪めた唯都に、結愛が声をかけた。


「おにいちゃん、どうしたの?」


 心なしか、心配そうな表情に見える。


「……なんでもない」


 額に滲む汗をさりげなく拭い、唯都が立ち上がる。

 一言断って、唯都は階段を上がり、自分の部屋に篭った。





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