第4話

 


 唯都は中学二年生、結愛は小学六年生だ。

 唯都が小学校中学年の時に、叔母の家に引き取られたので、もう数年は経つ。

 彼はとっくにこの生活に慣れていたが、段々酷くなる腹部の痛みに悩まされていた。

 その原因に、薄々気が付いてきている。


(ストレスかしらねえ……)


 思っている事を素直に吐き出せない。

 唯都は自分を誤魔化すのが得意ではなかった。

 自分の発言にはいつも気をつかっている。

 言い訳できないような事をいつか言ってしまうのではないかと、不安だった。

 変な誤解をされたくない。唯都は家族にばれてしまった場合の事を何度も想像した。

 口調は使い分ける事が出来るが、唯都にとって本来の口調を無くしてしまうことは、努力しても出来なかった。

 それに、自分を押し込めることは苦痛でしかなく、理解者が欲しいと思う気持ちが強くなるばかりだ。

 苦しいだけで、改善されない。


 妹は可愛いけれど、一緒に居ると、ボロが出そうになる。

「結愛は本当に可愛いわね」

 たった一言、うっかり言ってしまいそうで、結愛の反応を考えると、またきりきりと腹が痛むのだ。

 結愛が懐いてくれているように感じるだけに、怖かった。

 変だと思われたら、嫌われたら、離れていってしまうのではないか。

 唯都は、良い「おにいちゃん」でいなければならない。

 女々しい話し方をして、妹に恥ずかしいと思われたくなかった。





 腹の痛みに汗を流しながら、夜を過ごした翌日、唯都は普段通り起きてきた。

 叔母と挨拶を交わし、朝食の支度を手伝う。


「唯都、結愛がまだ起きないのよ、ちょっと起こしてきてくれる?」


「分かった」


 叔母の言葉に従い、唯都はリビングを出て、階段を上った。

 結愛は朝に弱いらしく、こうして度々唯都が声をかけることがある。

 階段を上って右側が唯都の部屋、左側が結愛の部屋だ。

 唯都は、結愛の部屋の外から声をかけた。


「結愛、朝だよ」


 数秒待つが、返事は無い。普段通りだ。

 扉を軽く叩いてから、部屋に入る。少女らしい、明るい色合いの内装が目に入った。カーテンやラグ、家具などは、ピンクで統一されている。

 部屋は少し肌寒い。

 机、窓があって、壁際のベッドの上に、布団がこんもりと盛り上がっていた。

 頭まですっぽりと被って、足のつま先だけ、はみ出している。

 唯都は目を細め、内側から扉を閉めた。

 春先の空気が心地よい季節である。

 布団の中はさぞ気持ちが良いだろう。


「結愛、そろそろ起きないと、遅刻するよ」


 寝具に近づくと、規則正しい寝息が聞こえた。

 結愛の頭があるであろう場所を、ぽんと撫でる。

 ううん、と唸る声がして、布団の塊が寝返りを打った。


「……学校行きたくない」


 結愛が、寝起きのぐずるような声で言った。

 珍しい発言に、唯都は意外に思い、僅かに目を丸くする。

 彼女は目覚めは良くないが、唯都が起こすと、大抵、すぐに起きてくるからだ。


「具合でも悪いのか?」


 唯都が声を落として尋ねると、布団からひょっこりと頭が出てくる。

 頭部だけが、迷うように動いた。

 眺めていると、布団から目元も覗かせて、「そうじゃないけど……」と歯切れの悪い言い方をする。

 唯都が何も言わずに、続きを待つが、結愛はそれ以上の事は言わない。

 説明するでもなく、結愛は体を起こした。


「起きる」


 結愛が呟いたので、着替えることを考えて唯都は部屋を出る。

 普段とどこか違う様子に、気遣うような目を向けてから、階下に降りた。



「おはよう結愛、ちょっと遅かったわね」


「うーん」


 母親の声に、結愛は曖昧な返事を返す。

 あまり表情の変わらない子供ではあるが、やはり元気がないように見える。


「なによ結愛、元気無いわね。風邪?」


 仮病を使って学校を休もうとした事など無いので、叔母も顔を曇らせて、我が子に寄った。


「大丈夫」


 ダイニングの椅子に座ると、結愛はそれきり黙ってしまった。

 学校へ行く支度をするが、唯都もまだ気がかりだった。

 結愛より先に学校へ行くので、時間はあまり無い。

 いよいよ登校する時間になって、唯都は鞄を持って立ち上がる。


「行ってきます」


 結愛からの返事は無かった。

 彼女の俯いている姿を最後に見て、玄関に向かう。


 靴を履いて、唯都は溜息をつく。


(心配だわ……)


 普段と違う結愛の様子が、頭から離れないまま、唯都は外へ出た。




 その朝だけではなかった。

 次の日も、その次の日も、何日経っても、唯都の目には、結愛がいつも落ち込んでいるように見えた。

 彼女は多くを話す方ではないから、何か相談をされることは無かったが、俯いている時間が長く、表情もどことなく暗い。

 唯都をじっと見詰めては、俯いて、唯都の存在を確認するかのように、また顔を上げる。

 これで悩んでいないと言う方が、無理がある気がした。


「結愛、どうかしたのか」


 意を決して、聞き出してみようとすると、



「何でもない」


 ふるふると、首を左右に振る。

 結愛は、無表情に見えるが、やはり機嫌のいい時と、そうでない時は、些細な違いがある。

 唯都基準で、最近結愛の笑顔を見ていない。

 寄り添うばかりで、信頼に足る「おにいちゃん」ではないのか。

 相談されないことが、唯都は悲しく思う。

 それは唯都自身にも言える事であったが、本人に自覚は無かった。



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