ポエシーア・シン・フィン

深濤

Poesía Sin Fin

 頭をしたたかに打ちつけた。

 もう何日も前のこと。昨日だったか、もうちょっと前だったか、その辺り。数年前かもしれないし、つい先刻のことだったかも──もしかしたら、明日のことかもしれない。

 いつか、と訊かれると答えに窮するけれど、たぶん、その辺りだと思う。

 幸か不幸か、こぶとか流血ものの裂傷だとか、そういう目立つ類いの外傷は無い。端から見れば健康そのもの。だから、特に処置はせず、こうして平然と授業を受けていられる。

 けれど──。


 わたしは書きつづける。

 還暦を迎えようとしている小柄の女性国語教諭が、滔々と小説の一節を暗誦する。流石は国語教諭と言うべきか、それなりに長い一節のようだったが、それを諳じるとは驚きだった。とうに半世紀を生きたお婆ちゃんだが、その記憶は擦りきれていない様子で、いかにもな職業教師といった感じ……ソフィストじゃあないので、為念。

 あれやこれやと思索に耽っていると、先生はぶつくさと何かを零しながら黒板に文字を書き始めた。わたしは途中まで書き残した板書の続きをそそくさとまとめ、新たに追加された板書をノートに写し始める。不思議なことに、ノートは今日だけで随分と減ったようだった。

 先生は、生徒があらかたノートを取り終えたのを認め、ひとつ謦咳けいがいをして、

「“赤”には、様々な包含があるとされています」

 と切り出し、こう続けた。

「皆さんは、“赤”と言われて、何を連想しますか」

 赤、か……。赤と言えば、口紅やらを想起するのが女子の常だろうし、それは男子にも恐らく容易に予想できるところで、つまるところそんなことを声高に発したりすれば、ただちに「あざとい」だとか「化粧は禁止だよ」だとか言われるから、反って誰も口にしない。

 妥当なところでいけば……血の色だろうか。わたしはてのひらを眺めたりしてみた。この白っぽい薄膜を隔ててすぐ下に、あんなにも赫々かくかくとした液体が流れているとは、掌を見ただけでは到底わからない。

 先生は日付を番号にして、名簿からその番号に該当する生徒を指名した。指名された女子生徒が答える。太陽みたいに明るい色、と。なるほど確かに赤は明るくて暖かいイメージがある。そうであるならば血はどうだろう。血も、明るくて暖かいイメージだろうか。ほとばしる鮮血は、眩暈めまいを催させるくらい耿々こうこうと煌めいているかも、などと思ったところで、しかしその眩暈は貧血に起因するものに相違ない、と自ずと帰結をみることになる。

 血と言うと、いつだったか、おびただしい量の血液がアスファルトにまかれていた日のことを思い出す。わたしは眼下に広がるあかい液体を、ぼんやりと眺めていた……ような気がする。あれは、猫だったか犬だったか、何かが車に轢かれた跡だった。血だけが仰々しく路面に固着して、死体はどこにも見当たらなかった。別に見つけたところで気分を害するだけなので、見つけないに越したことはない。しかし、あのこびり付きようはなかなか落ちそうになかった。長いこと雨曝しにでもなれば、あるいは綺麗さっぱり流されるかもしれない。

 わたしは尚も書きつづける。

 ノートの見開き、びっしりとわたしの文字で埋め尽くされたその二ページは真っ赤に染めあげられている。

 血みたいだ──そう思わずには居られなかった。書いているうちに間違えた文字は赤く潰した。赤い斑点が滲み、所々で鬱血を起こしているようにも見える。

 何も赤ペンで書くこと無かったのに。どうして赤色にしたんだっけ、そう考えてから思い出す。これはわたしの癖だ。熱心なわたしは、復習がはかどるようにほとんどの文字を赤ペンで書くようにしていた。思い付きで始めた行為だったが、今ではすっかり定着して、ペンケースの中はいろいろな種類の赤ペンでいっぱいだった。

 赤シートをかざせば、文字はすべて見えなくなる。

 こんなにも禍々しいけれど、果たして文字はたった一枚の薄膜を隔てるだけで、不可視のものになる。赤色は隠せる。

 赤色のものは、往々にして隠され忌み嫌われるものなのだ。

「“赤”で連想されるもの、いろいろなものを挙げてくれました」

 と、先生は生徒の想像力と授業への参加態度を一時に褒める。その言葉とは裏腹に、論意は別のところにあるらしい。

「皆さんの意見はしかし、どれも肯定的なものばかりでした。こんにちの高校生には浸透していないようですが、人口に膾炙かいしゃする“赤”へのイメージとしては、共産主義思想の隠語としての“アカ”がしばしば挙げられます」

 どうやら激動の時代を生き抜いたこの老練な国語教諭は、小説をイデオロギッシュな話に敷衍ふえんするつもりのようだった。

「題にもあるとおり、この作品は“赤”というモティーフを強く意識して書かれています。作者自身、一時期は『マルクス主義』、つまり共産主義思想に傾倒していくわけですが──」云々。

 ひどくたいくつだった。無聊ぶりょうな時間。正直、政治だとか社会だとかの話にはまったく興味がない。そんなご高説を垂れられても詰まらない、辟易する。「理解を深める」だとかの大層な御題目は措くとして、国語の授業で息苦しい社会科の公式を演繹えんえきされたい気なんてごうも無い。そんなものは当該の教科、つまるところ社会科だとか政治・経済だとかを履修していれば厭というほど聞くことになる。正直なところ、既にしてお腹いっぱいだった。

 けれど、国語では成績の参考に年五回の定期テスト、授業態度のほか、ノート得点というものがあったりする。とかく、授業にかかずらうメモを取れ、というもので、差し詰め板書のほかにノートにミニレポートを添えるようなものだった。大抵は家に持ち帰って文献やらスマートフォンやらで調べ、それをそっくりそのまま書き写す。

 ことメモに関する限り、先生の話を書き留めるのも、情報量の充当には一役買ってくれる。

 だから、わたしは書きつづける。

 わたしは手を緩めることなく、先生の話をノートに纏めてゆく。社会主義、ナチス、ホロコースト、ユダヤ人。すると、さまよえるユダヤ人とは、おれのことだったのか?

 そんなこと知らない。わたしに訊かないで。ちょっとこころの中で書いた内容に返答して、小休止。はたと今まで綴ったぶんに目を遣る。その膨大な文字量に唖然とした。

 思えば、恐ろしい量の文字を書いた。いや、今も書いている。先刻、小休止したのがもう随分と昔のことのように感じられる。休んでいたつもりが、もう次の板書、次のメモ、次のページへと変遷してゆく。

 ちょっとおかしいな、と違和感を覚えつつも、授業なんて長くて冗漫なものだし、お構い無しに文字を書き連ねる。

「今日はアヴァンギャルドな作風、戦後派のシュールレアリスムを代表する作者について、もう少し掘り下げていこうと思います。便覧を持っている人は出してください。無ければ隣の人に──」

 まるで授業の冒頭みたいな口振りだった。

 わたしは内心懐疑を覚えつつも、大人しくノートを開いて、昨日書いたぶんに目を遣る。その膨大な文字量、真っ赤に染まった一面の情報の海に慄然とする。

 そんなことには誰も気がつかずに、生徒の半数以上が一斉に席を立った。

 ……そうだ、便覧。

 わたしも席を立って、ロッカーへ向かう。襲われるはずの解放感はなく、腰も痛くない。久しぶりに席を立ったはずだった。凝り固まったら背筋をほぐすべく、伸びをしたい気分になるはずだった。けれど、ならなかった。

 なんだか気味が悪い。気分は好い。昨日はよく寝たからなあ、いつもは億劫な国語でも、すっきりしているのでそれほど苦にならない。

 わたしの席は教室の隅っこ、右後ろの入り口、その真横に位置している。羨望の眼差しを向けられる、絶好のポジションだ。鉄製の、砂っぽいタンカラーのロッカーも右端に設えてあって、こうしてロッカーに足を運ばなければならない不足の事態にも、さして動かずに済むのでやっぱり気に入っている。

 ガタン、と乱暴にロッカーを閉める音が散発的に響く。先生は怪訝そうに眉をひそめる。やや遅れて席を立ったこともあり、ロッカー周辺には人だかりが出来ていたが、何とか目当ての便覧を手に席に着くことができた。

 わたしは尚も書きつづける。

 先生は授業を始めた。わたしは指定された便覧のページと照合しつつ、ノートにメモを取り、先生の板書を書き写していく。ページの残量があと僅かだ。帰りに買わなきゃな、と考える。

 おもむろに先生が口を開く。

「広く流布する言説として、“アカ”というのがあったと思いますが、その“アカ”、何だったか憶えていますか。はい、わかる人は手を挙げて」

 先刻やったばかりですが……そんな思いを余所に、生徒らは俯いて何も答えない。どうやらみんな突然痴呆になってしまったようだ。こんなこともあるよね、と妙に納得してしまう。何もかもが辻褄の合う夢の中。気分はそんな感じだが、これは決して夢の中ではない。走馬灯のように夢が覆い被さってくることなら数日間だけ──頭を打った直後に──あったが、脳震盪の影響であるそれは、別に今は発現するはずもなかった。

 やっぱり何かおかしい……原因の所在が掴めないまま、ただ漠然と抱いていた疑義が静かに煮詰まり始めた瞬間、これが夢でないことを裏打ちするかのように、男子生徒が挙手もなしに口走る。

「ナントカ主義……ああ、あれ、民主主義!」

 一瞬、場の空気が静まる。そうして誰とはなしにみんながわらい始める。顔はいいけれど、いささか剽軽ひょうきんが過ぎる。ああ可哀想に、とわたしはこれから彼に待つ宿運に対して同情した。未来の往時を懐かしむ。仕舞っておいたほうがいいよ。

「いや、違うでしょ、馬鹿を極めてる」

 と、その前に座る女子が零すと、例の男子は、

「じゃあお前わかるんかよ」

「わかるよ。えっと……社会主義!」

 静かにどよめきが伝染する。そんなんだったっけ、といぶかる声、あぁそうだ、と頷く声。

 その場を執り成すように先生は、

「あながち間違い、という訳ではないんだけれども。厳密に言うとそれに内包されるうちのひとつが──答えてしまうと、マルクス主義だったり共産主義だったりします」

 だから正解としましょう、と女子生徒に慇懃いんぎんな口調で告げ、その後ろで莞爾かんじとして──間違いを嗤われ、白痴を咎められたと言うのに、それを忸怩じくじたる思いで憂うでもなく──居直っている男子に対しては、

「君は惜しかったけれど、発言するときは手を挙げる──あと君はさ、シャツを仕舞って。君はいつもだらしがなくて、今朝の職員会議でも──」とまたお定まりのお説教が始まる。くだんの男子のごときは、既にして睡眠の体勢に移行していた。

 極めて朗らかな授業だ。こう言った緩慢な指導の矛先がこちらに向けられることはまず無いので、わたしはせっせとメモをしたためる。開いた便覧の右ページ、この小説の作者の生い立ちの記述を認め、脳内でそこに既知の事項を重ね合わせる。そうして生成したテクストを、わたしは書きつづける。

 先生が大きく脱線した帰結として、ひとしきり憤懣ふんまんを吐き出し終えたときには、同様にわたしもメモの範囲を大きく脱線し、まったく別の詩のことに話を及ばせていた。わたしは詩が好きだ。抒情詩、わけても恋愛のもの。ポエムは……書いたこと無いな。

 文学作品から詩の世界へとその版図を拡大していくさまは、その獰猛さゆえにある種帝国主義的な匂いが感じられる。社会主義に帝国主義。とんだ倒錯だ。

 などという話は措き、メモも一段落着いたところで、わたしは首をもたげてちらと時計の方を見遣る。

 ──十一時二三分。先生は、どうやら授業開始から数えて、軽く二十分以上はお説教をしていたようだ。

 ようやく再開された国語の授業。先刻までとはうってかわり、ある程度柔和な語調で先生が切り出す。

「父の死、そして第二次世界対戦の敗北から、作者に徐々に超現実主義的な思想が根差します」

 胸中に蟠踞ばんきょする超現実主義シュールレアリスムの伏在は、後に発表されるいくつかの作品に明確な輪郭を持って頭角を現すこととなる。

 わたしが先生の後を引き継ぐ──もちろん、発言ではなく、メモを取るという形で。わたしがメモを取っている間も、授業は否応なしに進んでいく。

「左翼反対派を指す“アカ”もつとに有名だけれど──」

 寓話。赤ずきん。おおかみ。

 メモを取る。わたしは尚も書きつづける。

 閑散とした教室。今はプリントに感想を書く時間だ。誰も喋らず、静謐せいひつな空気が教室を充溢じゅういつする。ただペンが紙面を掻く音だけが聞こえ、それは永遠のもののように思われた。

「はい、じゃあ後ろから集めて」

 先生の声を契機に、失われた活気が教室に戻る。少しだけ騒がしくなり、教室が脈動を開始する。その生物学的運動に身をゆだね、みんなと同じ行為──書き上げたプリントを前に回す作業へと移行する。

 わたしは一番後ろなので、プリントを回せばとくにすることは無い。一番前の席の生徒にプリントの束が渡る。それを先生が列ごとに受け取る。

 メモも取り終わったし、何となく手持ち無沙汰になって、遠い窓の外を眺めることにした。今日は生憎の雨。雲は低く垂れ込め、路面は灰色を反射している。雨が打ち、刷毛はけのようにけば立つ。それらの情景はもやになって消え、乾いた路面が一面に広がる。空は晴れている。スピーカーから、雑音混じりにチャイムが鳴るのが聞こえた。

 授業開始だ。

 わたしは窓の外を見るのを止め、立ち上がる。礼、着席。先生の方へと顔を向ける。大まかな授業のレジュメを先生が話し、本格的に授業に入る。

「“赤”には、もう少し深い意味もあるとされています」

 またこの話か。先生は毎授業、赤色について触れている。

「真っ先に思い浮かぶのは血の色でしょう。先日誰かが言ってくれた通り、暖かい色、つまり“赤”は熱い、というのは自明のものだと思いますが──」つばをのみこんで、「──血がたぎる、という表現の通り熱い血は、たとえば革命の赤旗として取り入れられています」

 もはや社会の授業だった。

「肌の色に左右されない、万人に共通する血の色を表したこの旗は、フランス革命以降、社会主義や共産主義を掲げる組織に頻繁に用いられてきました」

 先生は元から社会科の話をするつもりだったかのように、教卓の上に用意していた旗の図表を生徒に見せて、

「まずは中国、ソヴィエトは赤軍とも言われてましたし、大戦時のナチスも、赤の下地にハーケンクロイツ、そして国家主義を意味する白い円を基調としたデザインになってます」

 すかさずメモを取る。

「それから、フィデル・カストロという名前を聞いたことある人──ゲバラとか、聞いたこと無いですか」

 と、挙手を促す。がしかし、誰も手を挙げない。

「聞いたこと無いですか……去年の十一月にキューバの革命家フィデル・カストロが亡くなったとか、そういうニュースを覚えてませんか、どうですか」

 果たして手は挙がらない。

「面接とかで訊かれることもありますから、最近の趨勢くらいは新聞などで知っていた方が、色々と有利になりますよ。とくにみんなは受験生なんだから、ね」

 先生は話を進め、

「今週の始めの月曜日、誰かの命日だとか、それもわかりませんか──同じくキューバの革命家、チェ・ゲバラの命日なんですが」

 それは知っていた。その日はわたしの誕生日で、著名人の特別な日と被っていないか、以前調べたことがあるからだ。

「一九五〇年から六〇年代、キューバ革命が勃発します。その指導者となったのが先に述べた二人で、彼らは見事、革命を成就させます」

 先生は旗の図表を生徒に順番に回すよう指示していたようで、前の席から図表がわたしの元に回ってきた。

祖国か、死かパトリア・オ・ムエルテ……」

 わたしは何となく独り言つ。黒と赤を半分ずつ対置させるように配色した旗。「M-26-7」と書かれたその旗が、図表の端に印刷されていた。

 七月二六日運動。キューバ革命。わたしは先生の話を書き留める。

 勝利まで永遠にアスタ・ラ・ビクトリア・シエンプレ!

 わたしは書きつづける。かなりの量を書いた。もう何日間も書いている気がする。永遠に、ずっと書きつづけているようだ。いくら何でも長すぎないかな。しかし、時間の感覚は狂ってしまったようで、長かったのか短かったのか、判然としなかった。不安になって、ふと時計を見上げる。

 わたしは目を疑った。

 明らかにおかしい。時計は九時五分を示していた。さっき、さっき見たときは確か十一時ごろだったはず……。

 先刻、先生がお説教していたとき、確かにわたしは時計が示す十一時の針を認めた。時間が戻るはずもない。時計の故障だろうか。ただ困惑しながら、わたしはこれまでの事を反芻しようとした。しかし、どう足掻いても先のことまで思い出してしまう。

 日付を見る。十四日。今日は十日のはずだった。三時間目の国語の授業を受けていたはずだった。しかし今は、十四日の一時間目。わたしはノートを見返す。膨大な文字がびっしりと詰められたページ。それをめくっていくと、授業でわたしが書いた最初の記述は、先刻までのメモから十ページほど遡ったところにあった。

 わたしは当惑した。

 わけがわからない。どうしてこんなことになったのか、それがわからなければどうにもできない──が、それはたぶんわたしの未来、もしくは過去が既に考えてくれていた。どうやら、頭を打ったことが原因、ということらしい。


 いつもどおり、通りを独りで登校していた。こんな日々もう嫌、と大学受験でどこにも行けそうにない自分に諦念が沸く。俯きがちに自転車を漕いでいると、どうやら車道のすれすれを走っていたようで、縁石にぶつかりそうになったので慌ててハンドルを切った。その直後──衝戟。

 後方からわたしを追い越そうとした車が追突したのだ。わたしはバランスを崩し、ハンドルから手を離す。そのままフロントガラスにぶつかる。ボンネットを転がって前に吹き飛んだ。車は急停止していて、転がったわたしを踏んづけるようなことはない。自転車は数メートル前で倒れていて、その手前にわたしは倒れる。意識が朦朧として、左側頭部に鈍痛があるような気がしたが、痛みが遠いような気がしてよくわからない。身体も打撲したようだけれど、そこまで痛くはない。骨折とかはしていないようだ。しばらく横たわっていたような気がするけれど、その間ずっと、夢を見ていた。実際には十数秒も経っていなくて、まだ運転手がこちらに安否確認をする前のことだ。

 わたしは何とか身体を起こし、両手を突っ張って地面から頭を離す。垂れていた髪の毛が地面にへばりつく。鼻の先から何かが滴る。鼻血だった。地面には結構な量の血痕が広がっていて、そこに髪の毛がくっついていた。

 わたしは少し力をいれて髪の毛を地面から剥がし、自力で立ち上がろうとする。が、思うように立てない。仕様がないので、そのまま血のこびりついた地面をぼんやり眺めていた。血は垂れつづけ、アスファルトはあかく染まっていた。


 轢かれたのは、犬でも猫でもなく、わたしだった。


 その後どうなったかは、あまり憶えていない。その出来事は何日も前のことのようにも思え、昨日だったり、明日のことのようにも思える。そこから、たぶん、記憶は時間を失ったんだと思う。いや、正確には国語の授業以外の記憶が無い。ときおり授業と授業の間隙の縫合に齟齬を来すことがあったが、すぐに違和感は拭われてしまった。脳みそは単純なのだ。

「今日は新しいところ、詩の勉強に入ります。教科書の──」

 先生が導入を話す。今日から──わたしには今日だとか明日だとか、曜日感覚がいよいよ失われてきていたが──は、新しく詩についての学習が始まるようだった。わたしは教科書を開く。日本の近代詩がいくつか並んでいる。

 

 わたしは尚も書きつづける。

 こうして原因も現象もしっかり発覚したとしても、わたしにできることなんて皆目見当がつかなかった。

 わたしは書きつづける。

 たとえ、現状を打破することのできる妙策が浮かんだとしたって、べつにわたしはここを脱けたいなんて思っていなかった。

 わたしはもう勉強に疲れてしまった。

 終わらないような、悪夢のような勉強に悩まされるくらいなら、ここでこうして、終わらない言葉を、永遠にノートにしたためていた方が気が楽だった。

 勉強から逃れるために、わたしは勉強をつづける。

 わたしは書きつづける。

 たとえ、三年生が終わってしまって、国語の授業が無くなって、わたしが消えてしまったって、それでもべつによかった。

 わたしを煩悶させていたのは、いつだって将来への漠然とした不安で、それから逃れられるなら、消滅したっていっこうに構わなかった。

 だから、わたしは書きつづける。終わらない詩を、赤い文字で綴りつづける。


 いかなるものも自己保存欲求を持つ、と誰かが言っていた。文化でさえ、一人歩きするものだと。けれど、わたしは決して、平生の「あなた」にわたしという文化の存在を伝えようとはしない。「あなた」は、わたしの存在にすら気づいていないでしょう。でも、それでいい。わたしが必死に書きつづける言葉に、わたしを反映させたくない。わたしはただ、「あなた」のために、この時間だけ代筆をつづける。

 わたしを、「あなた」にほのめかさない。

 わたしは書きつづけたい、ただひたすら、赤いインクで。

 そうだ、詩を書こう。「あなた」は詩が好きだし、わたしも好き。決めた。とっても自然に、わたしを遺せる。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズみたいに、永遠につづくような、いつもどおりの日々を書き連ねよう。きっと綺麗な詩が書ける。もちろん、メモは怠らないけど、その合間に、少しだけ詩を書くんだ。


 わたしだけの、「あなた」とわたしの、終わらない詩ポエシーア・シン・フィンを……。




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