2-⑮ お前に愛の海で溺死して欲しい

「お前は少し不安を感じすぎではないか? あのグレイだぞ?お前を裏切ることなどあると思うのか?」

 ヴァンはこれまでの2人を全てではないにしてもかなりの部分で知っている。そしてそれが簡単に離れるものではないということも。

 だからこその今の台詞を平然とつぶやける。だがミリアは今のヴァンほど心中は穏やかでないようだ。普段は明るい顔が暗くなる。

「それはそうかもしれませんけど……あたしは心配なんです」

 曇らせた顔のままミリアは続けていく。


「いつかせんぱいに嫌われてしまうんじゃないか、あたしはいつだってそんな思いを抱えています。だって特に優れたものがあるわけでもなくて、顔だって普通くらい。胸に至っては…他の人たちとは比べ物にならないんですよ?」

 自らの胸にそっと手を当ててミリアは語り続ける。

 本人はそう語ったがミリアの胸は決して小さくない。だが大きいとも言えない。よく言えば平均的、悪く言えば中途半端とも言える大きさだ。


「だからあたしはいつかせんぱいに『無理だ』と言われそうで……」

 はっ、とヴァンはミリアの不安を一笑に付した。

「ミリア、人が人を愛するときというのはその様な要素で決定するものではない。だから安心するがよい」

「あれれー? 君恋愛したことありましったっけー?」

 グレイは先ほどの意趣返しとして、揶揄するつもりでの指摘だった。だがヴァンはそれに堪えた風は無く、むしろ真剣にグレイを見てきた。


「私が言っているのは一般論だ。そしてその一般論はお前にも当てはまるだろう? 何故ならお前はミリアの特技に、顔に、胸に惚れたわけではないのだから」

「そりゃ……まあそうだが……」

 ヴァンのいつにない真剣さに気圧されたグレイは思わず本音を漏らした。

 だが言ってから気付いた。これに食いつかないはずはない。案の定ミリアは身を乗り出して聞き込んできた。


「それなら教えてください! せんぱいはあたしのどこに惚れたのか! あたしはそこを死ぬ気で磨いてきますから! 他の全てをかなぐり捨ててもそこにしがみつきますから!」


「太陽のような笑顔が可愛いところ。いつでも前を向き何事も逃げることなく立ち向かっていくところ。時折見せるしおらしいところ。自分よりありとあらゆるところが優れているところ。まだ必要か?」


 グレイは一瞬自分の心臓が飛び出したようか錯覚すら覚えた。ヴァンが並び立てたことが全て己の心中にあるもの、大小の深さこそあるが、だったからだ。


「なんで分か……」

 そこから先は理性が勝った。グレイは手で咄嗟に口を押さえた。

 しかしヴァンもミリアもそれだけでも大丈夫だった。十分に察することが出来たから、故にヴァンはため息をつき、ミリアは顔を紅潮させていく。

「気付かれていないとでも思っていたのかグレイ?お前の顔とミリアの状況を見比べてみれば、何が好きなのかなど簡単に判別できる」

「えっと……その、せんぱい……嬉しいです……あたしのことそんなに……」

 冷たい視線をグレイにだけ向けていたが、それを引っ込めてヴァンはミリアに向き直る。


「ちなみにミリア、今上げたものはほんのごく一部だ。まだまだ上げられるぞ。聞きたいか?」

「はい! 是非に!」

「おい何だこの公開処刑は! 何でお前に俺の……俺の……」

 果たして何と現すべきなのか、グレイは迷った。だからそこで止まる。

 だがヴァンは止まるべき理由も何もないため、対称的に進めていく。


「お前ののろけを代弁しているのか、だと? それはグレイ、お前に愛の海で溺死して欲しいからだ」

「何だよそりゃ……」

 全く日常生活では聞いたこともないような単語の連続に、グレイの突っ込みは精細を欠いた。最もヴァンとしては本音8割、ミリアへのお詫び2割のつもりで言っていたため、突っ込まれる覚えもないのだが。

「もし俺に語られるのが嫌ならば自分で語ればいいだろう。ミリアはいくらでも聞いてくれるだろうし、一番ききたいのはお前の口からだと思うが?」


 ヴァンは先の件を気にしていた。やり過ぎてミリアを泣かせすぎてしまったことも、グレイにそれを見せてしまったことを。

 だからヴァンは2人の仲を取り持ちたかった。元々2人の矢印がどこを向いているのかはっきり分かっていたから、それを結んでやろう、そのために一肌脱ごうと決心したのだ。そしてそのため流れを作ろうとしていたところなのだ。

 事実その流れは作られ始めていた。ヴァンの提案に賛同するように、ミリアはちぎれんばかりに首を縦に振ってくる。


 だがグレイは沈黙していた。それは自分の内面を完全に見透かされた悔しさ、ミリアのことを褒められながらもそれが自分が行えなかった嫉妬心、それら様々なものがない交ぜになっていたからだ。

 それを知って知らずか、ヴァンは追撃をしてきた。


「グレイ、この際だからはっきり言わせてもらうが、お前はミリアに何も言わなさすぎる。些細なことも、楽しかったことも、愛も。言葉とは確かに形無きものであり、質量も持たないもの。しかし軽視してならぬものだ」


 何故なら、とヴァンは続けた。

「何かを言わなくても通じ合えるなどと言うのは幻想だからだ。人が意志を伝えるとき使えばいいもの、それは言葉だ。逆に言えば人は言葉でしか心を伝えられん。だから何度も言葉で、口で言うべきなのだ。ミリアもそうであるように、お前ももっと語るべきだぞ?」


 今グレイの脳内では様々な単語が奔流と化していた。

 それはヴァンに対して抗議の文言であり、ふがいない自分に対する罵倒であり、ミリアに対する正直な気持ちであり、肯定とも否定とも言えない曖昧な返事であり……

 このような思考の氾濫にグレイは慣れていない。しかもどれを取るべきなのか正当さも間違いも感じる。決定打もない。迷いだけが深まっていく。


 だからグレイは背を向けた。

 向けてしまった。

 そして外に向かって一歩を踏み出そうとする。

 羞恥が、戸惑いが、未熟さが勝ってしまった。

「せんぱい……」

 失望を隠しきれない表情のミリア。ヴァンも表情こそそのままだが内心は失望で充満していた。


「グレイ!」

 しかしヴァンは諦めていなかった。だからグレイの背中に呼びかけた。

「俺は少しだけミリアに語るのを待ってやる。その間に外に行って顔でも洗って気を変えてこい。そして決心しろ」

 何を決心しろとはヴァンは言わなかったがグレイは大凡を察していた。そしてそれを自分でも取りたいと思っていた。だがその決心は心中全てを征服し切れていない。それに気付いたヴァンは、継いだ。


「お前は先ほどのミリアの姿を見て何も感じなかったのか? そうではないはずだ。お前が感じたそれをもう一度体験したいのか? それも違うはずだ。ならばどうするべきか、お前が選ぶべき選択肢は何か、分かるだろ、グレイ」

 一瞬グレイの手が緩む、が、それは一瞬で拳へと変わる。

 グレイも腹をくくった。ヴァンはそう解釈したし、それは間違いではなかった。沈黙は続けていたが、グレイが大きく頷いて返したからだ。

 そして入り口の方へ進んでいった。


 突如扉が開いた。

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