第三章 手紙に思う

 忙しなく木漏れ日が動く。

 自然な風以外の理由で頭上で木々が揺れているからだ。

 手持ち無沙汰で整えてあるタオルをもう一度畳み直す。

 水色の空には白い月がうっすらと残っている。

 恐らく残り四刻半__三十分位だ。

 ただっ広い原っぱではクラスメイトたちが試軍しぐんをしている。

 試軍というのは自分の持ちえる力、全てを出し雌雄を決する決闘のような、でも相手に怪我をさせないように配慮しておくものだ。

 お互いに手加減はしているようだが本気で戦っているようにしか見えない。

 雫の氷雪が舞うように弧を描く。

 地面は御神渡りのように氷で包まれている。

 辺りにぱきぱきと氷が割れるような、軋むような音が響き渡る。

 柊はすらりと抜いた刀で鋭く刃のように尖った氷を薙ぎ払う。

 その一瞬で雫が近づき氷でかたどった薙刀で狙う。

 こんな光景があちらこちらで繰り広げられている。

 よく怪我、しないな。

 しかも、動きにくそうな着物を着ているし。

 人じゃあ、絶対的にできない動きをしている。

 私、この中に混ざってたら死んでただろうな。

 激しい攻防。

 まるでシーソーゲームのようだ。

 互いに追い詰められつ、追い詰めつ。

 私はサボっているわけではない。

 見学しているだけだ。

 仕方ない。

 私はどうせ何も出来ないのだから。

 与一先生から与えられた仕事は怪我をした人の手当て。

 もしくはその報告。

 だから、サボりではない。

 休憩がてら来る人たちに飲み物とかタオルを渡す。

 タオルがあることに驚いたがそれは、取り敢えず置いておく。

 なんか、部活のマネージャーみたい。

 したことはないけど。

 イメージ上、というやつだ。


「ん」


 何も言わずに差し出される手は決まって柊だった。


「何がいるか位言ってよ」


 そう文句を言ってやるとタオル、と単語で返ってくる。

 他の人たちはちゃんと言ってくらるのに。

 遠くの方から焦げた臭いが鼻につく。

 あちこちからここまで轟音が届く。

 流石はかくりよ名門私塾。

 試軍のレベルが桁違いだ。

 練り上げられた技の精度が高い。

 何かに秀でていなければここに入ることは出来ない。

 ただ、逆を言えば何かに秀でていればここに入ることができる、というわけだ。

 そこで出てくる疑問は私が何故入れたか、ということだ。

 勉強はそこそこできるがどんなテストでも余裕で九十点以上、百点なんてざらにある、なんてことあるわけがない。

 必死で努力して八十点台。

 得意教科で何とか九十点台。

 秀でているとは言い難い。

 その上、術なんてできない。

 条件を満たしているとは到底思えない。

 何か理由があるのか。

 名門というが他のところと違い、お金を取ることは決してしない。

 どうやってここを回してるのかは謎でしかない。


「そこまで」


 与一先生は特別大きくはないがよく通る声で響く。

 その声を聞けば皆ピタリと動きを止める。

 本当にその瞬間に止まる。


「お昼にしましょうか」


 笑顔を湛えながら言われ、皆思い思いに動き出す。


「柊」


 用意していたお重を見せる。


「蘭が作ったのか?」


 二人分の昼餉を詰めるためお重にした。

 私を一人きりで食べさせるのは心配らしく、何となく一緒に食べることになっていた。


「うん、紅葉さんと一緒にだけど」


 簡単な出汁巻き卵は勿論のこと、朝餉同時進行で唐揚げやポテトサラダなども作った。

 唐揚げは昨晩から調味料に浸けていたので朝に味見した時はいい感じだった。

 ポテトサラダも今までに何回も作っていたので問題なし。

 主食は色々な具を入れたおにぎりにした。

 王道の梅に鮭、鰹に昆布。

 辛子明太子もあったのでそれも作ってみた。

 具は中にきちんと入れる派なのでぱっと見はわからないだろう。

 柊は私の傍に居てくれるが本当にいいのだろうか。

 私は勿論嬉しいが柊はどう思ってるのだろう。

 手拭き用に、と作ってきた濡れタオルを手渡し、使い終わったそれを受け取り、しまい込む。

 紅葉さんから、持っていった方がいい、と渡されたレジャーシートの上にあがる。

 確かに持ってきておいて正解だった。


「柊はすごいのね、あんな動きができるなんて」


 さっきのことを思い出しながら話す。


「人間じゃないしな」


 さも当然というように言う。

 もう少し、喜ぶなり、照れるなりすればいいのに。

 可愛くない反応。

 気を取り直し、どうぞ、と開けて見せる。

 お弁当でよくなる味が混ざる、なんてことにならないように紅葉さんが術をかけてくれた。

 どういう術をかけたのかはよわからないが結果よければ全てよし。

 それに妖術っていうのは殆ど理屈を考えても仕方がないものが多い。


「すげー、旨そう」


 いただきます、ときちんと手を合わせてから箸に手を出す。

 唐揚げを一口でぱくりと食べている。


「どうかな」


 自分の中では上手くいったと思っているが口に合うだろうか。

 そんな私の不安を全て吹き飛ばすように柊はにっと笑った。


「旨い」


 どんな凝った言葉よりもシンプルな言葉の方が嬉しいと思うのは私だけだろうか。

 おにぎりに手を出そうとしているがどれがどの具かわからないらしく聞いてくる。

 私はわかるが言わない。

 だって、そっちの方がロシアンルーレットみたいで楽しいじゃない?

 そう言うとじとっとした目を向けながら、一つ、恐る恐る、といったように手にとった。


「それは梅ね」

「食ったらわかる」


 私も同じものを探し、ぱくりと口に頬張る。

 よくお店で出ているものよりも少し塩辛い。

 でも、それは家で作っている、防腐剤の入っていない無添加の証拠。

 よく大量の梅干しを消費する機会があるらしく、すぐに無くなるので私の家で作っていたものより塩は少ないらしかった。


「そうだ、夜雀の月って知ってる?」


 ずっと気がかりだった。

 ただ、今日は朝からずっと試軍があったので聞けずにいた。

 夜、と呼ばれていた人も今日は見当たらない。


「月?知ってるが…」

「あの子、昨日柊と別れてから屋敷の外で見かけたの。金平糖をあげたら回復したみたいなんだけど、あちこちぼろぼろで、ちょっと心配だなって」

「あー、それな。なんか他所の妖と喧嘩したらしくて月が圧倒してたらしいんだが多勢に無勢。なんとか逃げた先がうちだったらしい」

「喧嘩?」

「詳しくは知んねーけど、向こう側の妖が傘下に加われかなんとか、そんな類いのことを言ってきたらしいんだが月が約束がどうとかって言って断ったらしくてそれで向こうが逆上して、みたいなことを聞いたっけ」

「何、それ。酷い」


 自分の意思通りにならないからって、そんなのあんまりだ。

 もやもやとした気持ちが渦巻く。


「あぁ、だから後日そのことについて話してくる」

「後日?」


 どれくらい後かはわからないけどな、とポテトサラダに手を伸ばしながら言った。


「奴らの身勝手さは妖洛総会ようらくそうかいでも度々問題視されてきたからな」

「そうそう、がつんと言ってほしいけどなかなか確固たる証拠があげられないから言えなかったけど、今回の一件はさすがに言えるんだろう?」


 ひょいっと後ろから伸びてきた手が唐揚げを 掻っ攫う。

 化猫ばけねこの中でも水を主に扱う水猫すいびょう族の湖漣これんだ。

 超然としたしゃべり方をする自由気ままな猫だ。

 これでも水猫族第三当主候補なのだ。

 本人曰く、どうせ当主になることはないからここで修了した暁には武者修行の旅にでて炎猫えんびょう族のほむらという大妖たいようみたいになりたいそうだ。

 焔というのは特に幻術に秀でて名の通り、炎を操る、齢千年を越えているらしい妖。

 一族を継ぐわけでもなく現世で自由に生きており、何故そんなにも現世に拘るのかと聞かれると決まって、約束があるから、と答えるそうだ。


「ああ、恐らくな。にしても金平糖、か…」


 私の顔をまじまじと見ながら、まさかな、と言っている。

 何よ、とジト目を向けるとすっと反らされた。

 さっきまでの話はここまで、というようにお弁当に手を伸ばしている。


「おいしい?」

「ああ。特にこの出汁巻き」


 そう言いながらぱくりと。


「なあ、ちょっと前から気になってたんだけど二人は付き合ってないの?」


 湖漣の突拍子もない言葉に私と柊は思わず顔を見合わせる。

 突然何を言い出したかと思えば。


「それは、きっとないよ。だってほら、柊には、ね?」


 自分で言っていて少しちくりと痛い。


「え?いい人いたの?」


 意外にも食いついている。

 まあな、と軽くあしらっているが、えっ、どんな人っ、って詰め寄られている。


「それは是非とも聞かなくてはいけませんわね」


 どこから聞いていたのか柊への尋問に雫も加わりわちゃわちゃとしている。

 何かほのぼのしてるなぁ。


「俺らも知ってる?」

「知ってるんじゃないか」

「かわいいのかしら?」

「それなりには」

「どんな人?」


 質問攻めにあい、もうこれ以上は答えないという風に露骨な無視を始めている。

 きっとこんな人の好きな人なんだから素敵な人なんだろうなぁ。

 私なんかと違って優しくて強くてかっこよくて。


「そういえば今日は現世の妖が来るんですよ。蘭はご存じでした?」

「現世の?」


 初耳だ。

 キョトンとした顔をしていると湖漣が、蘭でも知らないことはあるのかー、と言っている。


「ここ、学志塾がくしじゅくは現世出身の妖も多くいる。理由としては蘭も知ってるように身分や富裕層かどうかではなく能力、志があるかどうかだからだな。で、そういうやつは現世でいうところの留学生のような扱いになりここに住み込んでいる。だから現世に残してきた人からの手紙なんかを届けに来る、若しくは届けてもらう日__伝文日でんぶんびがあるんだ」

「それが、今日?」


 湖漣が、そ、軽い調子で頷きながら続ける。


「しかも、今日はビックゲストだってセンセー言ってたぜ」

「ビックゲスト…」

「二ヶ月に一回、伝文日が来るんです。で、半年に一回それを届けるのが誰もが知っている著名な方が届けてくださるんです。ただ誰が届けに来るかは言われてませんけど」


 蘭にも何かあるんじゃないかなー、と湖漣。


「どうしてそう思うの?」

「いや、ほら最近来たばっかりだけどさ向こうに親族も友だちだっているだろ?」

「いるはいるけどおばあ様もお忙しいし他の方だって。それに一部の友だちにしか本当のことは言えないし」

「そうなんですか。それは、少し寂しいものですね」


 雫の言葉に曖昧に笑っておく。

 私の立場としては仕方ないことなのだ。

 前々からそういうものだと言うのは理解している。


「早く食べないと午後の講義に間に合わなくなる」


 柊の言葉でその後は黙々と食べ続けた。


          ○


 ビックゲスト、と言うのは雪女の鈴さんという方だった。

 現世の遠野出身の妖で雪女の中の雪女。

 容姿も立ち居振舞いもどれをとっても美しい洗練され絵画の中にいるような人だった。

 あまりにも綺麗過ぎて見とれていたら目が合った。

 すると驚いたような顔をされそれから微笑まれた。

 雫からは、いいですわね、と羨ましがられた。

 私としては驚かれた方が気になる。

 あの顔は懐かしい何かを見たときの顔だ。

 私を見てその“何か”と重ねたのだろうか。

 何人もの妖に手紙を渡していった。


「どうぞ」


 慈愛に満ちた笑みを湛え私にも手紙を渡す。


「え?」

「お手紙。ご友人から」


“桜 蘭”


 そう表にかかれた手紙の文字には見覚えがある。

 慌てて裏を見ると“涼”の一文字。


「嘘…」

「良かったですわね、お手紙をくださって」

「そうなんだけど、たかだか数日会えなかったくらいで手紙を送ってくるような子じゃないから。何かあったのかな」


 急いで封を開けてみる。


 拝啓 桜 蘭さま

 こちらはまだ桜が柔らかな春風に吹かれ、過ごしやすい気候となっておりますがそちらはいかがお過ごしでしょうか。

 かわりないでしょうか。

 丁寧なのはここまでにするから。

 こっからは報告だけ。

 取り合えずこっちはかわりない。

 相変わらず剣道をやってるし、勉強もそれなりに。

 本家の妖も寂しがってるけどまあ、大事ない。

 あんたのことだからそっちでもそれなりにやってると思う。

 何でも無理はするな。

 あんたはできない自分に苛立って追い詰めたり責めたりする嫌いがある。

 別にあんたはあんた。

 他と比べる必要なんてない。

 また、報告するから。

 敬具


 彼女の性格を表しているかのような簡潔的な飾り気のない文章。

 封筒や便箋も真っ白。

 まあ、あれが可愛い女の子らしいものを使っていたとしてもちょっと引くけど。


「何て?」

「向こうの様子とエールかな」


 不器用なあの子からの心配と応援。

 ストレートに心配だとか頑張れとかの無責任なことは絶対に言わない。

 お互いがお互いの性格を熟知しているからこそ相手が禁忌としている言動を知っている。

 相手が何を思ってこの言葉を選んだのか、それもわかるほどに近い距離にいる。

 私が最近おかしかったから心配してくれてたんだろう。

 便箋を封筒に戻し懐にいれる。


「返事を出せるのは一ヶ月後ですよ。送りますわよね?」


 雫の言葉に頷く。

 こちらのことをうんと書いてやろう。

 便箋何枚いるかなぁ。

 温かいものを感じながら遠くにいる涼に思いを馳せた。

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優しい陰陽師の千年桜奇跡譚 @natu-okita

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