第二章 出会いの金平糖

 ゆったりとした速さで窓の外の景色が流れていく。

 通常の車なら見ることのできない高い位置からの景色だ。

 それもそのはず。

 今私が乗っているのはよく分からない牛車のようなもので、しかも空を飛んでいる。

 高所恐怖症じゃないので景色が綺麗だな、としか思わない。

 窓の外では他にもいくつか、似たようなもの空を縦横無尽に飛んでいる。

 今朝はいつも通り、朝の五時三十分に起き、朝食の準備を手伝った。

 軽く着ているものを正し、日記をつけたりしているうちに六時になり台所に行くと調度いいタイミングだった。

 今日は珍しいことに頬が濡れていなかった。

 むしろ、寝覚めもいい上に何故か気分もいい。

 心地の良い夢を見た気がするが残念なことに思い出せなかった。

 それからきちんと着物に着替えていつも手首につけている飾りっ気のない長い間愛用している黒のゴムで一つに縛った。

 いつものように頭の高めの位置だ。

 私塾はここから少し遠いらしく牛車のようなものでいく、と言われ柊と一緒に乗り込んだ。

 乗ってから十数分。

 次々と移り変わる外の景色に興味津々と見ていると少し笑われた。

 この狭い空間の中で聞こえたということは考えなくてもわかる。


「楽しく見てたらダメなの?」


 ちゃんと座り直し、柊の顔を見ながら心外だ、と言わんばかりに言ってやる。

 昨日と同じような出で立ちだが今日の着流しの方が少し紺色に近い。

 ただし、腰にあおい柄の日本刀と思わしき刀を帯びている。

 いや、と否定しながらも彼はまだ笑っている。


「お前の反応が好きな奴と似てただけだ」


 目線を私から反らし、窓の外の遠くを見つめながら言った。


「その人はこれに乗ったことがあるの?」


「似たような状況があっただけだ。知らないだろうけど、俺はもともと現世にいたからな。そいつも現世のやつだったから乗ることはない」

「そうだったんだ」


 昔っからかくりよに住んでいるもんだと勝手にだが思っていた。

 だが、実際は全然違っていた。

 私はこの人のことを知らない。

 それが妙に寂しく、苦しかった。

 この人を知りたい。

 そう思い、もう少しその人について聞いてみたかったがそれ以上はその人について話す気はないようだった。


「そろそろ着くな」


 その言葉とほとんど同時に乗っていたものが軽く揺れる。

 さりげなく開けてくれた扉から外に出ると開放されており誰でも入れるように開けられている玄関らしきものがあった。


「話つけてくるからここで大人しく待っておいてくれ」


 ここの勝手を知っているのか私を置いて行ってしまった。

 さっきまでの牛車のようなものも何処かへいってしまっていた。

 屋敷に帰っていったのだろうか。

 まだかなぁ、と柊が戻ってくるのを待ちながら辺りを見渡してみる。

 青々とした木々が立ち並び、控えめな色の花があちこちに咲いている。

 薄暗かった外も少し明るくなっていた。

 少し恐ろしい雰囲気があったが明るくなってきたことにより、そういう気も薄まってくる。

 風に吹かれ、草木の擦れる音が聞こえるほど、私塾は私の予想に反し、静かで落ち着いている。

 時間も早いこともあり、まだ誰も来ていないのかもしれないが。

 本来はもっとうるさいんだろうか、などと考えているうちに柊が戻ってきた。


「行こう」


 私の手をしっかりと握り中に連れていってくれる。

 えっ……。

 この光景、どこかで見たことがある。

 本や漫画、テレビで見たとかじゃなくって、デジャビュっていうんだっけ、既視感のようなそんな感じだ。

 誰かに引っ張られ何処かへ連れて行ってもらった。

 その誰かと柊が被る。


          ○


 現世のように黒板はあるが机は文机。

 その机の上にはそれぞれの荷物が丁寧に置かれている。

 床は教室にありがちなタイルや板ではなく、畳であり、座布団が敷いてあった。

 座布団は全て紺色で統一されてある。

 昔と今の現世が混在しているようだった。


「桜 蘭さん__桜蘭おうらんさんです。みなさんよろしくお願いしますね」


 転校生を紹介するみたく___いや、正確には転校生で正しいんだけど___黒板の前の真ん中で私の事を与一先生が紹介した。

 美形で中性的な顔立ちをしており、白く柔らかそうな髪は腰の辺りまで伸ばされている。

 時折、何かが聞こえたのかぴくりと動く白い獣の耳。

 白いことを除けば柊と同じような尾。

 恐らく狐なのだろう。

 そんな与一先生はこの私塾の二人いる先生のうちの一人で塾頭だ。

 先程までがやがや、ざわさわしていた教室が私の登場と紹介で水を打ったように静まり返った。

 がやがやされっぱなしも困るけど、静かにされるのも困る。

 最初に“桜”がつき、それが“おう”と読むということは陰陽師である桜家という証明にもなり、桜蘭と言うのは陰陽師としての名前だ。

 全然術は使えないが一応はある。

 妖やそういった関係の人にはこう名乗ることが多い。

 因みにおばあ様は桜零おうれい、姉は桜琴おうきん、ひいおばあ様は桜雅おうがだ。

 大体が本来の名前を音読みにする場合が多い。

 そういう風にルールで決まっているわけではないらしいが。


「では、たつの刻になりましたら始めますのでそれまでには座って置いてください」


 真意の読めない常ににこにことした表情のまま、私を教室に放置して何処かへ行ってしまった。

 したたかというか食えないというか。

 あの人は何を考えているのだろう。

 ぼうっと考えているとじーっと効果音でもつきそうなほどたくさんの妖から見つめられていた。

 人間の姿かたちをしたものから明らかに異形いぎょうなものまで千差万別。

 しかし、そんなものは怖くはない。

 本家にもたくさんの妖がいたからだ。

 それよりも恐いのは誰も一言も言わずにずっと見つめられていることだった。

 私が入ってきたというよりは放り込まれた時に使ったがふすまが開いた。


「何やってんだ」


 顔を見なくてもわかるほど怪訝そうな声の主は柊だ。

 その言葉がこの謎に張り詰めていた空気を壊してくれたようで私の事をじっと見ていた人たちも私から目を反らし、柊に向かっておはよう、などと言っている。

 この人は空気を壊すことが好きなのだろうか。

 まあ、今回に関しても助かったからいいんだけど。

 おはよう、と慣れたように周りに返しながらもお前はこっちな、と私を柊の隣の席と思わしき場所に連れていかれた。

 周りの人たちにちらちらと見られている感じが否めない。

 明らかにじっと見つめてくる、何てことはしないことがせめてもの救いか。

 もしこれで目が合ったら気不味い。

 あ、見ているのは私じゃなくて柊かも。

 柊はかっこいいからきっとここでは王子様的存在なんだろう。

 ほら、よく本とかである、学園の王子様とか。

 私のもともといた学校ではそんな人いなかった。

 ……と思う。

 いた気がしなくもないが思い出せない。


「大丈夫か、蘭。何処見てんだ?」


 心配そうに私を覗き込んでくる。

 その目は真剣に私のことを心配してくれていた。


「大丈夫。ぼうっとしてただけだから」


 私がそういうと安心したのかなら良かった、と言い、友達であろう妖と話し始めた。

 私はというと何をしていいのか、誰に話しかけたらいいのかと悶々としている。

 悶々としていても仕方ないと思い、周りを見てみることにする。

 ほとんどが人間に化けてる。

 基本的に力のあるものは人間の姿に化けるのがステータスのようなものなので恐らくここにいる妖はそれなりに力があるのだろう。

 中途半端に化ける方がいいとされる風潮のようなものがあるので結構分かりやすかったりする。

 中途半端にするのは相手に自分がどんな妖怪か紹介しなくともわかるようにする為らしい。

 私も見極めることには自信がある。


「ねえ、桜蘭って言うっていうことは、あなた、桜家のお嬢さん?」


 ころころと鈴の鳴るようなか弱そうで、それでもいいところのお嬢さんなんだろうな、と思わすような優雅な言い方だ。

 まるで深窓のお嬢様。

 柊がこちらをちらりと見たがそのまま話を続けていた。

 少女というには大人っぽい色気のようなものがあり、透き通るような白い肌に朝日をきらきらと反射させている銀髪、透明であり澄んだ水色の瞳。

 うっすらと溢れる冷気が雪女であることを象徴しているかのようだった。

 雪女はもともと幼い頃から相手を魅了するような雰囲気を持っており、ほとんど私と背丈も変わらない位だが周りとは格段に違っていた。

 しかし、本人は別段、その雰囲気を使うこともなく屈託ない無邪気な子供さながらに笑いながら聞いてきた。


「えっと、まあ、はい」


 肯定的に答えるとぱあっという効果音がつきそうなほど表情を明るくした。


「初めまして。わたくししずくと申します。昔から人とお友達というものになりたかったの。なってはくださらない?」


 はぁ、と気の抜けたような返答をするが嬉しそうにしている。

 友達ってなろうとしてなるものだっけ。

 新しく友達をつくることもしようと思わなかったからよくわからない。


「雫さんは雪女…ですよね?」


 そうだと思うが一応確認しておく。


「ええ。それからさん付けはやめて。敬語もなし、ね?」


 私が頷くと他愛もないお喋りが始まった。

 この私塾の先生たちはどちらもにこにことしているが無言の圧が怖い、けれども、とても優しくていい先生だ、とか何処其処の甘味は美味しい、などを話した。

 と言うか一方的に聞いていた。

 それは与一先生が来て一時中断されたが終わると同時にまた再開された。

 中断されるごとに話す妖は増えていき、女子だけでなく、男子妖怪ともちらほらと話すようになった。

 帰り際に金平糖を雫から貰った。

 くだんの甘味処のものらしく、是非とも食べて欲しい、と言われ、断ることができなかった。

 隣にいた柊は苦笑いをしながら貰っとけ、と小さくジェスチャーをしたのでありがたく貰うことにした。

 行きと同じ乗り物に乗り込み、早速、金平糖を包んでいた桜色の巾着の口を緩める。

 きらきらと空に瞬く星のような金米糖を一粒摘まんて目より高い位置に掲げ眺めてみる。

 私が知っているものよりも、もっと綺麗だった。

 口の中にピンク色のものを入れる。

 甘い。

 ただ、くどい甘さではなく、あっさりとした、次々と食べたくなるような甘さだった。


「美味しい……」


 思わずこぼれた言葉に柊は微かに笑った。


「いる?」


 この甘美な星を独り占めするよりも誰かと共有したい。


「ああ」


 巾着を差し出す。

 水色のものを摘まんだ。


「美味い」


 そうこちらに微笑む。

 その笑みがあまりにも美しく思わず見惚れてしまう。


「どうした?」


 私は無言のまま、首を横に振るので精一杯だった。


          ○


 どこからかふわふわと飛んできた狐火がぽつぽつと明かりをつける。

 私塾といっても勉強は中学生ぐらいからの内容らしい。

 柊がそう教えてくれた。

 今までの続きのような感じだった。

 明日から術練じゅつれん__現世でいう体育のようなものがあるらしい。

 詳しく説明すると妖と言うものは妖怪であるので勿論、妖力があり、特殊な術__妖術が使える。

 術練というのはその名の通り、妖術を練り、更なる高みへ昇華させるということだ。

 何も術を練習するための時間ではない。

 種族によってはできることも違うし、その難易度だって違う。

 だから、自分のできること、できなければならないものをできるようにしていくための時間らしかった。

 妖特有のものだが特別何かを持ってこなければならないものはないと言われた。

 にしても、私は一切術が使えない。

 明日はどうやって乗り切ろうか。

 自分用にと蔵にあった文献というか指南書などを写したものの中で術に関するものや、かくりよに関するものは持ってきておいた。

 それを眺めてみる。

 何十回、何百回と読んでいるので何が書いてあるかはわかりきっている。

 ただ、よくわからない。

“強い気持ち”

 その一言のみしか書かれてない。

 強い気持ち__術が使えるようになりたいと強く思ってやってるつもりなんだけどなぁ。

 目下もっか、努力しているのは治癒。

 おばあ様から治癒系の術を練習するように言われている。

 自分の手に引っ掻き傷を作り、それに向かい合い強く念じる。

 しかし、全然できる気配がない。

 ちょっと前に少し淡い光を帯びたことがあったが今では全然だ。


「はぁー」


 文机に向かってきちんと正座をしていたが指南書を持ったまま上体を後ろに倒し、勢いそのままに寝転がる。

 きちんとしていた着物が少し乱れたが気にしない。

 どうせ誰かが見るわけではないし。

 横向けになり、開けっ放しにしている襖から外を見た。


「柊?」


 ここからは夕桜がいい感じに見える。

 丁度、柊がその前を通りすぎようとしていた。

 そんなところを通らなくても私の部屋の前の通り道を通ったらいいのに。

 私は気になって柊の後を通り道を通ってそろそろとついていってみる。

 こっそりつけているので罪悪感が芽生える。

 だが、罪悪感より好奇心の方が勝り、そのままつけているとよくわからない山のような場所まできた。

 見渡す限り木、茂み、木、草、木。

 そして、時々、花。

 少しずつ違っているような気もしなくともないがほとんど変わらない上に草も踏み折られていないので訳がわからない。


「ここ、どこだ……」


 見失わないように、見つからないように、と一定の距離を開けてつけていたつもりだったが完全に見失ってしまった。

 このまま帰れなかったら非常に不味い。


「こそこそついてくんなよ」


 突然後ろから投げ掛けられた言葉にびくりと肩を震わせ、恐る恐ると振り返った。


「ばれてた?」


 軽く首を傾げながら聞くとものすっごい下手、と。

 そんなに下手だったのかな。


「気になるのなら直接言え」


 こそこそとついてこられて迷子になられた方が迷惑だ、と言いながら近づいてき、小突かれた。


「あいたっ」


 小突かれたところを押さえながらも柊の後に続いて山道を進む。

 私に戻れと言わないところを見ると別段ついてこられると不味いことをするわけでも無いらしかった。

 ようやく止まったと思えば、そこはかくりよの妖狐一族が取り仕切っている場所が一望できるような高さにある、かなり大きくひらけた場所だった。


「ここで何するの?」


 着物の袂を襷で縛りながらも律儀に練習、と返してくれる。


「練習って?」


 それには何も返さず、そこ退いてろ、と言い、真ん中から退かされる。

 それは教えてくれないんだ。

 もやもやした気持ちを持て余し、近くにあった大きな切り株に腰を掛ける。

 柊から見ておおよそ左斜め後ろにあたる。

 これから何をするか見やすいな。

 意外と椅子にちょうどいい高さだな。

 面白くない気持ちを誤魔化すように、そんなどうでもいい感想を抱いていると、柊はおもむろに右手のてのひらを上に向け呟く。


狐火きつねび


 その言葉に呼応するようにふわふわと大小さまざまな狐火が突如として現れた。

 青白いものや燃えるようなあかのもの翠のものもあれば黄色のものをいくつもだし、周りで浮かせている。

 次第にその狐火たちは竹を軸として畳表たたみおもてで巻いたものに変形していき、それで自分の目の前に並べた。

 一列のみでなく、二列にしている。

 よくテレビで真剣で斬るときに斬られているあれような。

 しかも浮かべていた狐火の数だけ。

 地面に影が映っているから恐らく実体があるのだろう。


「すごい……」


 もやもやした気持ちも面白くない気持ちも消え失せる。

 ただ単純にすごいと思う。

 幻の類いだと思うがそれを実体にし、その場所にとどめている。

 簡単にやってのけているがものすごく難しい。

 それだけ力があると言うことなのか。

 私の呟きが聞こえていないのか、無視しているのか___たぶん、前者なのだと信じているが___何もないように静かにそして、ゆっくりと刀に手をかけた。

 ザッ______

 一瞬の内にいくつもあった幻が斬られていた。

 ころころと斬られたものが転がっていく。

 そして蜃気楼のように、もやが晴れていくように消えていった。

 きちんとは見れていなかったが斬る瞬間、刀身に蒼いほむらを纏ったように感じた。

 それにあの焔は恐らくだが柊自身の妖力だと思う。

 さっき浮かべていた狐火と同じ雰囲気というかオーラというかだったし。

 これも妖術の一つなのか。

 柊はというと雲の切れ目からこぼれる月光を刀身にかざし、見ている。

 気がすんだのか、何かがわかったのか、軽く頷きながら慣れたように鞘に納めた。


「終わったから帰るか」


 こちらを見てから言うところが彼の几帳面さを体現たいげんしているようだった。


「うん、さっきのってなんなの?」

「さっきの?」

「そう、刀身が燃えるようになってたやつ。どうなってたの」

「ああ、あれか」


 どう説明すればいいかという風に困ったように腕を組み、来た道を戻る。

 私はその隣につきながら私よりも背の高い柊に目が合うように見上げた。


「ただ斬っても流石にあの量は一薙ぎでは斬り倒すことは不可能なのはわかるか?」


 その前に刀がぼろぼろになるし、折れるかもしれない。

 そう言われ、理解したことを示すために小さく頷いた。


「そうならないためと威力を上げるためにああいう風に自分の妖力とかなんかでコーティングみたいにするんだ」


 普通に斬るだけじゃ、妖にはそんなにダメージを与えることにはならないしな、しっかりと前を見据えたまま答えた。

 視界が開けた。

 どうやら麓まで戻ってきたらしい。

 私を屋敷の門の前まで連れてくるとそのまま町の方へ行ってしまった。

 去り際にどこに行くのか聞いてみると町だと答えた。

 何をしに行くのかを聞こうとしたがそれを聞く前に町への道を歩いていってしまっていた。

 柊が去っていった方とは違う道に何かが転がっている。

 目を凝らしてみると雀のようだった。

 大分弱っているように見える。

 私は慌てて近寄った。

 近くで見るとあちこちに傷があり、血で汚れており、油を失っているのか羽ががしがしとしている。


「どうしよ」


 勝手に連れて帰るのは不味い気もするし、かといってこの子をこんなところに置き去りにするのも忍びない。

 ぐったりとした雀は私の方をちらりと見た。

 私に治癒力があれば。

 私に桜家陰陽師としての力があれば。

 ちらりと見てまだ

 ぐったりとした雀を掬い上げる。

 抵抗しようとしたようだがどうしようもできないみたいだった。

 羽を毛並みにそって丁寧に撫でる。

 この子の傷が治るように祈る。

 私の手が淡い光を帯びようとしたがそれは一瞬のことで、消えてしまった。


「ごめんね、私、出来損ないの陰陽師だから」


 私の言葉が通じているのか小さな頭を私の掌にゆっくりと押し付ける。

 まるで気にしないで、といっているようだった。


「ねぇ、お腹すいてる?」


 ちっ、と弱々しくだが私の言葉に肯定するように鳴いた。

 治せないかわりとは言えないかもしれないが

 巾着の中からこの子の口に入りやすい小さな白色の金米糖を出す。

 少しでもこの子の傷がよくなりますように。

 術の使えない私はそう祈ることしかできない。

 私の祈りが届きますように。

 小さく開いた口に入れる。

 少ししてからもう一度口が開いた。

 もう一粒入れる。


「月を下におろしてください」


 幼子のような可愛らしい声が響く。

 一瞬誰が発したのか、と思ったがどうやら手の中の雀のようだった。

 月っていうんだ、と思いつつ下におろすとぼふっという音と共に煙が辺りに充満した。

 思わず目を瞑り、ある程度煙が収まって来た頃に目を開けてみた。

 うっすらと目を開けていくとさっきまで雀がいたところには幼い少女が現れた。

 あぁ、この子がさっきの雀なのね。

 証拠も確証もないが何となくそう思った。

 直感のような気もするが強くそうだと思った。


「先ほどは特別な金平糖を分けてくださりありがとうございました」


 言っていることは大人のようなのに口調が五、六歳ほどのようだった。

 舌ったらずな感じがとても可愛らしい。

 見た目もそれぐらいだが実際の年齢は相当歳上なのかもしれない。

 真っ白な肌とは対照的に真っ黒な瞳と髪。

 おかっぱのような髪型をしており、赤を基調とし、金色の蝶や色鮮やかな大輪の花が描かれた振り袖を着ていた。

 黒い草履に赤い鼻緒がよく映えている。

 ここまでなら普通のお嬢さん。

 だが、ここはかくりよ。

 それだけなはずがない。

 肩から体より大きな焦げ茶色気味の翼が二つ。

 明らかに鳥系の妖だ。


「えっと、あなたは?」


 動揺しながらも名前を聞くと目をきらきらとさせながら私を見上げた。


「夜雀のつき、と申します」


 あなたさまは?と可愛らしく聞かれたら答えないなんてことはできない。


「桜 蘭。桜蘭とかも呼ばれているの。好きな方で呼んで」


 蘭さま、蘭さま、と楽しそうに私を呼ぶ。

 さまをつけなくていいと言ったが、命の恩人だから、とやんわりとでも確固としたものを持って断られた。


「月のことは月ってよんでください」


 嬉しそうに楽しそうに言われたら自然と笑顔が溢れる。


「月」


 私ではない誰かがこの子を呼んだ。

 月が振り向いた方を私も見る。


「夜さま!」


 嬉しそうにその人を呼び、駆け寄った。

 月の保護者かなんかなのだろう。

 その人は人と寸分かわらぬ見た目だった。

 柊や月のように明らかにこれ、という特徴がない。

 どこかで見た覚えがある。

 あ、今日だ。

 私塾で柊と一緒にいた人の一人だ。

 あまり会話には参加せず、静かに聞いていた印象があった。

 生憎、喋ってなかったので名前はわからない。

 柊や月と同じ黒髪に黒の瞳。

 空に浮かぶ三日月のせいか瞳が所々金色に輝いている。

 妖は美形が多いのだろうか。

 深く濃い草色の着流しに焦げ茶色の帯を纏っている。

 私を視界に入れたのか少し目を見開き、軽く会釈をされた。


「月が世話になった」


 短くそういうと月に向かって帰るぞ、と言い手を引いていった。

 月のために少し右手を下にさげて手を握りやすいようにしてあげている。

 兄妹かもしれないな。

 仲のよさそうな二人は通りの奥へ話しながら消えていく。


「また、会える?」


 見えなくなる直前に月に向かって叫んだ。


「はい!蘭さま」


 蘭さまがそれを望み、刻が満ちたら。


 そう満面の笑みで答えた。


「刻……?」


 私が望み、刻が満ちたら、とはどういう意味なのか。

 その意味を聞こうともう一度叫ぼうとしたが帰ってしまったようで二人の姿はどこにも見当たらなかった。


「あ、怪我……」


 けれるようになったということはある程度回復したということだと思う。

 お腹が空いてただけならばあちこちが血で汚れてないだろうし、あんなに毛がぐちゃぐちゃなわけがない。

 もし、迎えに来た人があんなになるまで何かをしたのならば月が嬉しそうに駆け寄るわけはない。

 普通は怯えるはずだ。

 何があったのだろうか。

 明日、聞いてみようかな。

 同じ私塾にいるのなら彼に会える。

 何があったのか心配だし。


「よし」


 自分の中で一区切りをつける。

 金平糖を一粒摘まんで夜空に掲げてみる。

 黄色の金平糖。

 口に含んでみるが普通に上品な甘さが広がる。

 うん、普通に美味しい。

 ころころと口の中で転がす。


「蘭ちゃん、夕餉のお手伝い、お願いできるかしら」


 おっとりとした口調が門の中から聞こえてくる。


「はーい、今行きます!」


 奥歯でがりっと砕くき奥方様である紅葉もみじさんにそう返す。

 そして、懐に金平糖を仕舞った。

 今日の晩ご飯は何かな。

 私は作り、食べる料理に想いを馳せつつ、台所に急ぐ。

 昨日は魚料理だったから、お肉料理だろうか。

 しっかりと前を見て進んでいく。

 空にはやっぱり、色々なものが跋扈している。

 朝から昼も活動できるがこの時間帯__逢魔が時の少し前から明け方頃が妖怪の領分で活動が盛んになる。

 空と一緒に映る夕桜の枝が柔らかな春風にそよそよと揺られている。

 狐火が照らしており、桜が咲いていないがとても幻想的だった。



 この時、夕桜の枝の一つに小さな小さな、まだ熟していないが、蕾がついていたことは、私はもちろん、柊も誰も知らなかった。

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