原文:伍崇曜のあとがき
右『襄陽守城錄』一卷、宋趙萬年撰。案萬年字裏未詳。是書則紀開禧間趙淳守襄陽事跡、萬年蓋淳幕僚云。
右、『襄陽守城錄』一卷、宋の趙萬年、撰す。案ずるに、萬年、字裏、
『四庫提要』亦著錄、附「存目」中。厲樊榭等『南宋雜事詩』、引用書目亦未之及、殆亦罕覯之帙。末附案語、不知何人所撰。援據各條、皆見『通鑒綱目續編』、謂迥不相侔、遂疑是書之誇張失實。然首尾完善、所言戰守之事綦詳、均鑿鑿可據、似非臆撰者。
『提要』謂其「文多殘缺、不盡可辨」此亦亡友黃石溪『明經鈔』存本、略有舛誤、亟校勘以付剞劂焉。
噫、襄陽為今古南北朝戰守所必爭之地。厥後、南宋末呂文德守襄陽。劉整降元、請賂文德開榷場、築堡壁、而襄陽始困長圍六年。呂文煥以襄陽降元、而淮南臨安俱不守矣。則淳之功、亦安可沒哉。
咸豐甲寅閏月上浣、南海伍崇曜跋。
『四庫提要』も
『提要』、其れ「文、多く
――――――――――
(*1)
字裏
「字」という字の原義には「子を孕み、産み、育てる」という意味がある。「裏」は「内側」の意味。
それらから推測するに「出生地」を指すのではないか。
(*2)
罕覯の帙
「罕」は「まれに、ほとんど~ない」
「覯」は「見る、出会う」
「帙」は「(ケースに入った)書籍」
(*3)
案語
何者かが『襄陽守城録』についての見解を述べた文章のこと。何かしら自分の考えや意見を提示するときは、「案ずるに/按ずるに」と書き起こす。
(*4)
殘缺
損なわれていて、完全ではない。
(*5)
舛誤、剞劂
舛誤は「誤り」。剞劂は「言葉を選び、文章を飾ること」。
このあたりのテキスト校勘に関する言い回しは、東洋史学ではよく出くわす。
例えば、先行研究の論文として清代の学者の著書に当たると、大抵「テキストAとテキストBを比べたら、Aの間違いが明らかだったから修正をかけた」という注釈が(割と大量に)入っている。そしてたまに修正のかけ方が間違っていて、後世の我々が混乱に陥る。
(*6)
淳の功、亦、安くんぞ没すべけんや
反語。趙淳の功績はまた、どうして埋没してよいだろうか。いや、よくない。
ところで、開禧の用兵の後の趙淳について『襄陽府志』中に一つだけ記載を見付けた。金軍を追い払った三年後に当たる嘉定三年(一二一〇年)、報復戦に敗れて樊城を焼いて遁走し、戦船を造ったという。
『万暦襄陽府志』巻三、郡紀下に、
「寧宗嘉定三年、金人陥荊西招撫使趙淳、焚樊城以遁、造戦艦」
このときの戦闘で趙淳がどうなったのか、この一文以外の記事が発見できないのでわからない。『宋史』には、この年に金軍が湖北に侵入したことすら書かれていない。
(*7)
跋
あとがき。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます