編者あとがき
超訳:ダレカのあとがき
正史を紐解いてみると、
趙淳の名が正史に現れるのは、『宋史』巻三十八、開禧二年十一月
今、
時勢の記録あるいは史書の編纂に携わる官がこの書を読まずにいてよいなどと、なぜ言えるだろう? そもそも大ぼら吹きで真実を伝えていないから、という理由で見向きもされないのだろうか。考えても答えの出ない問いではあるが。
――――――――――
(*1)
畢再遇
余談ながら、最初は畢再遇が人名だとわからず、「
ところで、このあとがきを書いているアナタは誰ですか? 『宋史』を手元に置きながらこれを書いているわけだから、明代以降の人? 調べてみると、「幕客」という言葉も明代以降ですよね?
漠然としており、めちゃくちゃ読みにくい。もしかしたら欠落があるのかもしれない(と、この後にある
(*2)
趙淳、魏友諒
二人の名前が『宋史』に登場するのは、あとがきで指摘されている(と推測される)本紀の一ヶ所だけではなく、巻三百九十七の
参照:七.十一月二十二日。ローカルアーミー敢勇軍が結成された。
(*3)
幕客
明・清時代に地方長官が賓客として
なお、このあたりの文面は意味の取り方が合っているのか、割と自信がない。
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