原文(二)

一、探聞得虜人最怕弩箭中則貫馬腹穿重鎧。諜知虜人乏箭、每來打城、潛拾城上所射在地之箭、複射入城。


公下令弓箭不許放一枚。恐為虜用。卻於此弓箭手並槍牌手・刀手內取問逐人、願改弩手者、聽每人支錢三貫、遂得所改弩手三千餘人、增於城上。



一、探聞して得たるに、虜人の最もおそるるは、弩箭のあたれば則ち馬腹を貫きて重鎧を穿うがつなり。諜知するに、虜人、箭に乏しく、來りて打城する每に、潛かに城上の射して地に在る所の箭を拾ひ、複、城に射入す。


公、下令して、弓箭の一枚をも放つを許さず。虜の用と為るを恐る。かへりて此の弓箭手並びに槍牌手・刀手內に取問して逐人し、弩手に改めんと願ふ者、每人に聽きて錢三貫を支し、遂に改むる所の弩手三千餘人を得、城上に增す。




一、守城自冬至春、弩鬥力漸減、恐不能及遠、遂措置以弓於弩背上幫貼、鬥力有增無減、可以及遠。



一、守城、冬り春に至り、弩のとうりよく(*1)、やうやく減ずるに、く遠に及ばざるを恐れ、遂に措置して弓を以て弩の背上にはうてんすれば、鬥力、增有りて減無く、以て遠に及ぶべし。




一、在城民間恐有闕食者、遂措置於城四隅置場賑糶、出倉廩米斛。隻收原糴價錢、委官詣門抄劄、貧乏下戶給由子、日逐賑糴、以接民食。間有鋪席財主與公有情之家冒名請由子糴米、乃委官逐門核實、果有物力之家、即收回由子、給與貧乏下戶及驚移之人。



一、在城の民間に食をく者有るを恐れ、遂に措置して城の四隅に置場してしんてうし、さうりんべいこくだす。ひとげんてきの錢を収むるに(*2)、委官して門にいたりてせうさつせしめ(*3)、貧乏下戶、由子を給し、日逐してしんてきし、以て民食を接ぐ。まま、鋪席の財主の公と情有るの家、名を冒して由子を請ひて米をふこと有れば(*4)、すなはち委官して逐門して核實し、果たして物力を有するの家(*5)、すなはち由子を收回し、貧乏下戶及び驚移の人に給與す(*6)。




一、繞城水濠久晴淺涸。遂措置於近江岸雁翅城兩處、各置水車數座、車取江水入濠。每座用官兵人數不等。旬日濠水漸深。



一、ぜうじやうの水濠、久しく晴れて淺涸なり。遂に措置し、近江の岸の雁翅城の兩處に於ひて、各々おのおの水車數座を置き、車、江水を取りて濠に入る。每座、官兵を用ゐるに、人數、等しからず。旬日にして、濠水、やうやく深し。




一、圍閉既久、城中闕馬草、至於折茅或喂槁薦、深以為慮。公忽思得羊馬牆裏有青草茂盛、遂令牧馬於彼、得無缺草之患。



一、圍閉、既に久しく、城中、馬草をき、茅を折り、或ひは槁薦をするに至り、深く以て慮と為す。公、忽として思得するに、羊馬牆裏、青草の茂盛する有り、遂に彼れに牧馬せしめ、けつさうの患無かるを得たり。




一、每遇接戰、一日之間、用弩箭不下十萬。城中雖有弩箭、尚恐缺少、遂將奪到番箭截作弩箭。唯缺翎毛、遂於筋頭下二寸下鑽一竅、穿麻以代翎。既遠而尤能入物。



一、每遇の接戰、一日の間、せんを用ゐること十萬を下らず。城中、弩箭有りといへども、尚、けつせうするを恐れ、遂に奪到せる番箭をもつて弩箭をせつさくす(*7)。ただれいもうくに、遂に筋頭下二寸下に於ひていちけううがち、麻を穿せんして以て翎に代ふ(*8)。既に遠くしてもつとく入物す。




一、城外居民見虜人涉灘、盡搬入城、屋舍皆為虜人所燒毀。各家所養之犬、在城外百十為群、有數千隻。每遇夜出兵攻劫虜人營寨、則群犬爭吠、虜賊知覺得以為備。


公乃令諸軍多織竹篘、潛於濠外近城去處張之、旬日之間、群犬捕盡。不惟士卒得肉食之、自後出兵、虜不知覺、所以每出必捷。



一、城外の居民、虜人の灘を涉るを見て、ことごとく城に搬入し、屋舍、皆、虜人のせうする所と為る。各家養ふ所の犬、城外に在りて、百十と群を為すに、數千隻有り(*9)。每遇、夜に出兵して虜人の營寨を攻劫すれば、すなはち群犬爭ひて吠え、虜賊知覺し得て以て備へを為す。


公、すなはち諸軍をして多くちくすうを織り(*10)、潛かに濠外近城の去處に於ひて之を張らしむるに、旬日の間、群犬、捕らへてくす。ただ、士卒、肉を得て之を食するのみならず、自後の出兵、虜、知覺せず、所以ゆゑに出づるごとに必ずつ。




右件措置皆可法。


昔韋孝寬之守玉壁、僅六旬。劉信叔之守順昌、幾二旬。如毀土山、焚攻具、出兵接戰、不過三五次而止。


今襄陽圍之閱月、初無寸兵尺鐵之援、以萬餘卒抗二十萬狂悍之虜、大戰一十二、水陸攻劫三十四。比之二公、事難而功倍之。


然公有韋劉之心、故能保全襄陽。後之守者、惟高斯城、深斯池、器械皆備、苟無我公忠赤之心、亦未易以言守。


開禧三年三月既望謹志。



右件の措置、皆、可法なり。


昔、韋孝寬の玉壁を守るは、わづかに六旬なり。劉信叔の順昌を守るは(*11)、ほとんど二旬なり。土山をこはし、攻具を焚し、出兵して接戰するが如きは、三五次にて止むに過ぎず。


今、襄陽、之を圍みて月をけみするや、初め寸兵しやくてつの援無く(*12)、萬餘の卒を以て二十萬のくゐやうかんの虜に抗ひ、大戰一十二、水陸のかうけふ三十四あり。之を二公に比ぶるに、事、かたくして、功、之に倍す。


しかるに、公、韋劉の心有り、故にく襄陽を保全す。後の守者、ただの城を高くし、斯の池を深め、器械、皆備ふるも、いやしくも我が公の忠赤の心無かれば、またいまだ易く以て守ると言はず。


開禧三年三月既望(*13)、謹みてしるす。



――――――――――



(*1)

鬥力


「鬥」は「闘」と同じ字。弩の「張力」と超訳文中には書いたが、「抵抗力」とするほうが字義にふさわしいかもしれない。



(*2)

糶、糴


 よく見たら別の字。「糶」は「米や穀物を売りに出す」ことで、「糴」は「米や穀物を買い入れる」こと。



(*3)

抄劄


 書き写すこと。



(*4)

名を冒して


 他人になりすます、他人の名をかたる。



(*5)

物力


 経済力。

 また、租税以外で、財力の多少によって税金を徴収すること、という意味もあるらしい。



(*6)

驚移の人


 おびえて移動してきた人なので、避難民と訳した。



(*7)

番箭


 異民族の箭。



(*8)


 はね。



(*9)


 生物、船、車などを数える量詞。

 現代中国語にも言えることだが、量詞が現代日本語の感覚と違うので困る。



(*10)


 底のない形状の竹籠。

 また、酒を濾すための竹製品。



(*11)

劉信叔


 劉錡のこと。信叔は字。



(*12)

寸兵尺鐵の援


 わずかな人数の兵士やほんの少しの兵器という援助。



(*13)

既望


 既に望月を過ぎたころ。十五夜過ぎの、十六夜のこと。

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