超訳(三)

 兄貴は義理に篤い。忠節を重んじて、律儀で、まじめだ。人を裏切るだとか、己の筋を曲げるとか、絶対にしない。


 タコ金軍が襄陽の濠の向こうに人を寄越して、大声で演説を打つことがあった。


「四川大将のはすでに降伏し、我らが金国朝廷は彼を蜀王に封じた。貴公を招撫するのもまた、我らが金国への忠誠に基づくもの。ともに手を取り合おうではないか。貴公が正しい選択をすれば、襄陽居民すべての命を地獄の釜の中に叩き落とさずに済むのだ」


 演説だけじゃなくて、同じ内容の手紙を箭に付けて城内に射込まれることもあった。


 兄貴の対応は一貫していて。

「ふざけんじゃねえ!」


 タコ金軍のお使い野郎の目の前で、手紙を焼く。あるいはビリビリに破る。かなりの迫力というか、手の付けられない激怒っぷり。


 あの迫力を見て察しろよと思うんだけど、性懲りもなくタコ金軍からお使い野郎が来た日には、ついに兄貴はそいつを射殺してしまった。ここに至ってようやく、タコ金軍もビビッて、招撫の話をあきらめた。


 ちなみに、呉曦ってやつがタコ金軍に降伏したって話だけど、兄貴は最初、それを信じなかった。タコ金軍の嘘だと思っていた。


 が、包囲が解けて朝廷その他からの国内情報が入るようになって、愕然。呉曦の話、マジだったんだって。


「裏切り者めが!」

 兄貴は吐き捨てた。


 確かにな。呉曦は地位とか財産とかに目がくらむタイプだったっぽくて、「民衆の命を救うことと引き換えに、恥を忍んで」みたいな降伏じゃあなかったことは明らかで(*1)。


 オレたちの兄貴が趙淳という人でよかった。オレたちは裏切り者にならずに済んだんだから。


 でも、さすがの兄貴も憔悴していたってのが事実だ。


 横になっても眠れない。食事は喉を通らない。いつでも出陣できるよう、着物の帯も解かない。小さなことから大きなことまで、向き合わなけりゃならない問題には細心の注意を払う。


 神経質? まあ、否定しねぇよ。リーダー気質の反面、実は、兄貴はかなり神経質だ。


 だけど、それだけの心構えと備えがあったから、臨機応変の作戦を立てて、打って出れば必ず勝つことができた。


 濠を厳重に整備することで敵の投石機を無効化した。


 ようしょうに穴をぶち抜いてそこから伏兵を突出させて、敵の意表を突いた(*2)。


 竹夫人作戦で敵の馬を足止めして、騎兵を役立たずにした(*3)。


 机を使った台座を組んで、弩兵の配置を厚くすることに成功した(*4)。


 毎晩、撤退の合図を変えて、敵に動きを悟らせなかった(*5)。


 水の道を巧みに使った奇襲作戦が功を奏した。


 砲弾を泥で作ったり、まきびしを有効活用したりした(*6)。


 兄貴が籠城中に講じた作戦の数々は、昔からある兵法書には載っていない。全部、襄陽という城のあり方に合わせて、その場で考えて実行した作戦だ。


 新たな敵、新たな攻城策にぶち当たるたび、兄貴は必ず情報収集をして、状況がハッキリわかってから挙兵した。


 作戦を立てるときには、メリットとデメリットを議論して、取るべきアイディアを出すやつがいたら、役職とか何とか関係なしにそいつの意見を採用した。


 そんなふうだから、ミスがなかったんだ。ミスったら死ぬって場面の連続だったから、ほんとミスれなかったし。


 作戦といえば、タコ金軍もずいぶん気合いの入ったことをやってくれたもんだ。襄陽のあっちにもこっちにも土山を造ったり。


 寨や攻城兵器の製造のために木を伐りまくりやがったのは、かなり参った。四方八方、ハゲ山状態。


 薪が足りないっていう襄陽の深刻な悩みは、タコ金軍もわかっていたらしい。連中が撤退した後の寨を調べていたら、建物の壁に、ヘッタクソな詩が落書きしてあった。


「千辛萬苦過江

 教場築座望鄉

 襄陽府城取不得、

 與他打了豐年


 傍点振ったとこ、韻だけはちゃんと踏んである。でも、字数と韻だけ形式に合わせりゃ自動的に詩になるってもんじゃないだろ(*7)。


「山ほど苦労しながら漢江を渡ってやって来て、

 三國志で知る教場に土山を築いた。故郷の方角を眺める展望台みたいだ。

 でも、襄陽の城を取ることはできなくて、

 連中に山積みの薪をくれてやるに終わった」


 意味としては、こんなところか。


 包囲が長引いたせいで、城内の薪はかなり不足して、貴重なものになってしまっていた。いくら金を積んでも、一晩ぶんも買えるかどうか。


 城内の人々の中は、建物を壊して木材を取り出したり、牛や馬の骨を薪代わりにしたりして、かまどにくべる暮らしぶりになる者も出始めた。


 そんな折、薪になる柴や草牛を中に詰めて補強した土山を、タコ金軍が造った。そいつをぶっ壊すときには、そりゃあもう喜んで薪をかっぱらったよな。数百万本にもなりそうな大量の薪。担いで持って帰って、早速使った。


 タコ金の寨に書かれていたヘッタクソな詩は、つまりこのことを詠んでいたんだ。まあ、生活感とリアリティだけは、いい線いってんじゃねぇかな。


 兄貴は今回の勝利で大出世した。


「肩書だけだがな」

 またそんな言い方するけどさ、正任団練使って、そうそうなれるもんじゃないって(*8)。


 十二月三日と正月の連日の勝利が皇帝陛下に評価されたんだと聞いた。キラキラな美文の表彰状が兄貴の功績を誉めたたえていたが、兄貴はぽつんと一言。


「俺には陛下の国土への敬意と忠誠心がある。俺の役目は、兵士を間違いなくオーガナイズすることだ。俺はただ当然のことをしたんだ。功績と呼べるようなものでもないだろうに」


 謙遜とか卑下とかじゃなくて、本当に本心らしい。包囲が解けて、完璧に襄陽を守り抜いたという状況に至っても、兄貴は結局一度も自分の功績をひけらかしたりしていないし、正任団練使と名乗ってもいない。


 さて、ここまで兄貴のことをつらつら語ってきたわけだが。

 ちょっとだけ、オレのことも書いておこう。


 オレは長らく趙家軍のルールの中で生きてきて、兄貴に付き従って国境防衛の任にも就いた。


 立ち位置は、やっぱり、筆記係かな。記録担当なおかげで、兄貴の作戦をあらかじめ聞かせてもらうこともあった。


 オレ自身、別に頭のいい人間じゃあないよ。まあ、逆から言えば、バカ正直のバカだから、変なうちびいなんか上手に書けない。兄貴がやったことを「すげえすげえ」言いながら記録したけど、それは見聞きしたそのままを書いただけだ。


 タコ金軍が去って数日になる。ようやく記録をまとめる時間が取れたから、記憶の新しいうちにこれを書き留めておく。


 もしかしたら、別の時代になって、兄貴その人や兄貴みたいな武将の功績をたたえるようなことがあるかもしれない。そのときにはきっと、後世の歴史家がこの記録を手にしてくれるんじゃないかな。

 なんて思っていたりする。


 いや、そんな大袈裟な国家事業みたいなのじゃなくてもいい。


 いつの日か、歴史の波に呑まれて隠れてしまった出来事の記録を、書庫の奥まで探しに来てくれる人がいるかもしれない。


 オレはその人のためにさ――オレも時を越えてその人に出会ってみたいからさ、この『襄陽守城録』を書き残しておくんだよ。



――――――――――



(*1)

呉曦


 今回の紛争、開禧の用兵を起こした張本人である南宋宰相の韓侂冑が最も信頼していたのが呉曦だった。が、裏切って金と通じ、四川で独立を宣言。勝手に蜀王を名乗り、金からそれを認められる。


「金軍とタイミングを合わせて襄陽を挟撃しよう」と約束していたが、それを実行する前に南宋の討手に撃破され、八つ裂きにされ、首は臨安で晒し物にされた。


 なお、韓侂冑もこの後、開禧の用兵の落とし前として首を刎ねられ、金の朝廷にプレゼントされる。金が和平の証として、毎年の多額の賠償金とともに韓侂冑の首を要求したためである。呉曦もいずれにせよ長生きできた感じはしない。



(*2)

羊馬牆


 一月五日の戦闘にて。



(*3)

竹夫人作戦


 一月二十七日の戦闘にて。



(*4)

机を使った台座


 一月五日の戦闘以降、有効活用。



(*5)

撤退の合図


 特に二月十日の戦闘にて有効だったことが記録されている。



(*6)

砲弾、まきびし


 武器の工夫については次章。



(*7)

字数と韻だけ形式に合わせりゃ


 筆者に詩の良しあしはわからないが、趙萬年は「鄙(洗練されてねえ)」と言っている。


 余談ながら、土方歳三の俳句を思い出した。あれはちょっと何とも「う~ん」なのがわかるので、たぶん同じような感覚なのだと思う。



(*8)

正任団練使


 団練は民間の自衛軍のこと。敢勇軍がまさにそれだと思われる。団練使は、自衛軍を統括し、地方長官(今回の場合は知襄陽府=襄陽府知事か)を兼ねる。

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