原文

次日二十六日早晨、複有虜騎百餘隊前來收拾死屍、圍繞焚化。公當時用船載弩手五百餘人、並力射殺一百餘騎、縱火燒營。虜眾大潰、委棄衣甲・軍器、分四路望北而走。具捷以聞。


公以前夜出彼不意、當時但知虜人愴惶奔走潰散、即未知弩箭所射死傷人馬實數。

於二十六日有走回被擄人樊起稱「於十五夜、番軍在寨正睡間、忽聞鼓響弩發、又打霹靂炮入寨、滿寨驚亂。皆備馬不迭、收拾行李不及、自相蹂踐。番軍死傷二三千人、馬八九百匹」


又於二十八日有被擄人張雲回稱「聽得久伍萬戶說、當夜被南軍射殺三二千人、馬八九百匹。元帥未敢申朝廷、候到鄧州、將折了人馬、別撰名色申報」


公見虜人喪敗、雖大隊北走、又恐尚有去未盡者、遂差得力人過江硬探得、上件番軍取鄧城・清水河・神馬坡路前去、已入彼境。又將死者焚化、及有燒不迭者、用馬駝去、棄之河內。所有東路漁梁平・東津・赤岸一帶虜人燒營夜遁、盡過江北。


虜恐有追襲、委棄衣甲・器械・米糧・牛皮・軍須什物無數、如鍋釜者亦委之而去。




次日、二十六日さうしんまた、虜騎百餘の隊、前來して死屍を收拾し、ぜう焚化する有り。公、時に當たりて船をもつて弩手五百餘人を載せ、並力して一百餘騎を射殺し、火をほしひままにして營を燒く(*1)。りよしう、大いにかいし、衣甲・軍器を委棄し、四路に分かちて北を望みて走る。ちを具して以聞す。


公、前夜、彼の不意にづるを以て、當時はただ、虜人の愴惶して奔走潰散するを知るのみにして、すなはいまだ弩箭の射て死傷する所の人馬の實數を知らず。


二十六日に於ひて、走回せる被擄人樊はん有りて稱するに、「二十五夜(*2)、番軍、寨に在りて正にねむるの間、こつとして鼓響を聞きて弩發し、又、へきれきはうを打してさいに入り、滿寨驚亂す。皆、馬を備ふるもはなれず、行李を收拾するも及ばず、おのづからあひじうせんす。番軍、死傷すること二三千人、馬八九百匹なり」

又、二十八日に於ひて、被擄人張雲、かへる有りて稱するに、「久伍萬戶の說を聽得するに、當夜、南軍に射殺せらるること三二千人、馬八九百匹なり。元帥、未だへて朝廷に申せず、うかがひて鄧州に到り、まさに人馬を折了し、名色を別撰して申報せんとす」


公、虜人喪敗するを見、大隊北走するといへども、又尚、去りて未だくさざるの者有るを恐れ、遂に得力人を差して江をよぎりて硬探せしめて得るに、上件の番軍、鄧城・清水河・神馬坡の路を取りて前去し、すでに彼の境に入る。又、死者をもつて焚化し、及び燒けて迭れざる者有れば、馬を用て駝去し、之を河內に棄つ。所有あらゆる東路の漁梁平・東津・赤岸一帶の虜人、營を燒きて夜遁し、ことごとく江を過りて北す。


虜、追襲有るを恐れ、衣甲・器械・米糧・牛皮・軍須の什物を委棄すること無數、鍋釜の如き者もまた、之を委して去る(*3)。



――――――――――



(*1)

縦 ほしいまま


 縦が「おもうままに」だったり「たとえ(~でも)」だったり、横が「横柄」だったり、現代日本人がイメージする意味とは違う用法も多々。特に「縦」は初心者キラーな漢字の一つだと思う。



(*2)

二十五夜


 二種類の原文を校勘したところ、両方とも「於十五夜」と書いてあるが、明らかに間違いなので、「二十五夜」と改めた。



(*3)


 現代日本語では「ゆだねる、あずける(委任)」「くわしい(委細)」の意味で用いられるが、ここでは「すてる」の意。


 また、「おわり、すえ」を意味する名詞として使われることもある。これが来ると、ちょっと読みにくい。

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