二十六.二月二十三日到二十五日。漢江北岸で大激戦が繰り広げられた。

超訳

 すっかり元気をなくしたタコ金軍は、二十三日の夜、攻城兵器を自ら破壊した。後で数えて合計したところ、対楼が二座、投石機が十いくつかと、牛皮で防護した洞子が数百もあった(*1)。


 そして、タコ金軍は基地を焼いて夜逃げして、二十四日には漢江の北へと渡っていった。ここまで一連の戦勝報告を添えて、朝廷に上申書を送った。


「もう安全っすかね?」


 そんなことないだろうなとは思いつつも、オレは誰にともなく訊いてみた。案の定、皆がかぶりを振った。だよな。


 城外に出て情報を探ってきた敢勇軍の面々、はつはつかんの張福やこうげんたちが漢江の北に渡ったタコ金軍の現状を代わる代わる報告する。


「タコ金軍は北岸に渡りましたが、西路の萬山基地に駐屯していた者たちと合流を果たしたようです。萬山基地の軍勢は、道僧が降伏した直後に夜逃げしたわけですが」

「合流したタコ金軍は性懲りもなく、漢江に流れ込む支流、枯河、白河、新開河の一帯に寨を築き、鹿ろくかくを設置して、テントや小屋を建てています(*2)」


「漢江の南側の包囲が消えたのはいいんですが、そのぶんが北に行っちまったわけです。一望したら、敵軍とはいえ壮観ですよ」

「三十里以上に渡って、騎兵だらけです(*3)。馬が本当に多い。朝だろうが晩だろうが、放し飼いになってるやつがウロウロしてます」


 報告を受けた兄貴は、深刻そうなため息をついた。


「タコ金軍の戦意は、結局のところまだ収まっていないようだな。漢江北岸にこのまま居着かれちまったんじゃ、おちおち寝てもいられねえ。徹底的に追い払う手を打たなけりゃならん」


 その翌日、二十五日の夜は雨が降っていた。奇襲のチャンスだ。


 張福と郜彦が水先案内人で、船団の指揮を執った。大小三十艘あまりの船に弩兵部隊を一千人、れん兵部隊を五百人乗せて、合図を交わすための太鼓を百面とへきれきほうやくせんも搭載している。


 戦闘の指揮は、兄貴が執る。兵士がギリギリの状態で戦っているんだから大将が先陣を切って励ましてやらないと、と兄貴は言っていた。


 船を出すころ、ちょうど雨が強くなった。雨音がを漕ぐ音を消し去る。明かりも点けないオレたちが漢江北岸に至っても、タコ金軍は気付いた様子がない。


 冷たい雨に打たれながら、誰一人として口を開く者はいなかった。出撃に先立って、兄貴が固く皆に告げた命令がある。


「俺たちよりも圧倒的に数が多い敵を奇襲する。兵法の常識に反する無茶な奇襲だが、これを成功させずには、俺たちが安眠できる日は訪れない。いいか、絶対に声を上げるな。可能な限り音を立てず、気配を消せ。反する者は斬る。それだけの覚悟でかかれ」


 タコ金軍の基地の様子をうかがう。弩兵は狙いをつけて待つ。

 ドン! と静寂を破って太鼓が鳴った。その途端、弩兵は一斉に箭を放った。


 たちまちタコ金軍の基地で喧騒が湧き起こる。

 オレたちは太鼓を打ち鳴らし、を射まくった。霹靂炮が唸りを上げる。


 雨の夜だ。視界は悪いが、狙う必要もない。箭も砲弾も外しようがないんだ。敵は密集している。箭が敵陣に飛び込むたびに必ず的中する。死傷者、どれくらいに及ぶんだろう? 想像もつかない。


 パニックの気配が伝わってくる。逃げ惑いながら、互いに互いを突き飛ばしたり押しのけたりしているんだろう。もしかしたら、味方を奇襲部隊と見誤って同士討ちを始めたやつらもいるかもしれない。


 五更に至るころには、タコ金軍はわめき散らしながらバラバラになって、漢江のほとりから逃げ出していた(*4)。いつしか雨が止んで、東の空がうっすらと白み始めている。


 弩を収めたオレたちのところへ、小回りの利く舟で張福がやって来た。


「趙都統、もうしゃべっていいですか?」

「そうビクビクするな。報告に来たんだろう。この段に至って、斬りゃしねえよ。何かあったか?」


「いえ、何もありません。何もなかったことを報告しにきました。全軍、死傷者ゼロです。完璧に無傷です!」


 おおっと、どよめきが起こる。

 兄貴が久しぶりに、本当に晴れやかに、心からの笑顔になった。


「よし、それじゃあ襄陽に帰るぞ。間違って漢江に落ちたりするなよ。せっかくの無傷の勝利が台なしになっちまうからな」


 銅鑼が打ち鳴らされた。最初に決めてあった撤退の合図だ。


「勝ったぞ! 撤退!」


 オレが叫ぶと、それを聞いた後ろの船が、さらに後ろの船へと伝言ゲームする。徹夜の戦闘で疲れ果ててはいても、すがすがしい気分で、オレたちは悠々と襄陽へ引き上げた。



 ――――――――――



(*1)

 対楼


 城壁の高さに対抗し得る高櫓で、中に兵士を入れて運ぶ戦車。洞子(牛皮で防御力を高めた戦車。頻出)や鵝車(物見櫓が付いた洞子、と推測)の仲間。


 趙萬年の『襄陽守城録』より八十年前の靖康年間に陳規によって書かれた『守城録』には、


「金軍の対楼には一台あたり八十人の兵士が乗り、対楼ごと城壁に接近して、兵士を城壁に移らせる。ただし、対楼の上部の幅は狭く二丈(約六.二メートル)しかないので、八十人の兵士をフルに活用できるものではない」


 といった記事がある。陳規のときの徳安は、金軍に濠を渡られ、城壁に迫られたことがあったらしい。


 ところで、対楼について、中国語のサイトでは違うことが書かれている。対楼とは、先端を補強した丸太など、前方の障害物を「突き破る」ための武器を装備した戦車。衝車、あるいは臨沖とも呼ばれる。といった内容。


 ちなみに、この記事については、全く同一の文章「衝車,也叫「臨沖」或「對樓」是一種被裝甲起來的攻城塔」があちこちのサイトやページで使われている。モラル的にどうなの。



(*2)

 枯河、白河、新開河


 枯河、新開河は資料から発見できず。


 白河は東北から流れてくる支流で、襄陽の東で漢江に合する。合する地点にある(と考えられる)白河口は、趙淳が完顔匡と対談をした場所。白河の名は現在の地図にもある。



(*3)

 三十里


 約十六.八キロメートル。



(*4)

 五更


 午前四時前後。

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