超訳(二)

 本格的な戦闘になったら灯火を派手に使うことになる。明かりを点けるより先に陽動部隊を動かした(*1)。


 はいけんと路世忠がそれぞれ敢勇軍の水夫を率いて城東と城西の漢江上に漕ぎ出して、太鼓を鳴らして大声を上げて、今にも出撃しそうな雰囲気を演出した。タコ金軍は引っ掛かった。襲撃に備えようと、兵力を分散させる。


 陽動部隊がタコ金軍の気を引いている隙に、二更に至るころ、オレたちは南隅のようしょうから城外に出た(*2)。


 先遣部隊は四百人。ばいをくわえて声を立てず、音も忍ばせて、それぞれ桶を手にしてタコ金軍の灯火がともった地点へ走り、水をぶっかけて火を消した。


 それが合図だ。本軍が各隊に分かれて前進を始める。

 もちろんタコ金軍もオレたちの出撃に気付いて攻めてくる。


「慌てるな! 作戦どおりだ。拒馬で突撃を防いで各個撃破していけば怖くないぞ!」


 指揮をする兄貴の声、各隊リーダーたちの声、怒号。戦闘要員が大音声を上げてタコ金軍と戦うのを盾に、くわその他の農具と工具を持ったメンバーは速攻で土山を壊しにかかる。


 タコ金軍は何度でも押し寄せてくる。追い返したと思っても、まだ後続がいて突撃してくる。拒馬がそれを阻む。突っ込んでこられずにいるところを、弩兵部隊が迎え撃つ。の勢いに耐え兼ねてタコ金軍は引っ込んで、でもすぐにまた攻めてくる。


「兄上、土山の破壊は想定以上に時間がかかりそうです!」


 趙内機、つまり兄貴の実弟の趙淏が兄貴のもとに飛んできた。兄貴が応じる。


「どういうことだ? そっちにもタコ金軍の妨害が行っちまったか?」

「違います、土山の構造そのものが問題です。内部に木造の骨組みが存在するんですよ。大きな木材を建てて支え、上部は小屋組みの屋根になっており、その上に柴束や草牛を積んで、土で覆ってあります」


「ただ土壁を破壊すればいいとして準備した道具じゃ都合が悪いというわけか」

「どうしますか」

「頑張れ」

「ですね。頑張ります」


 趙家軍の土山破壊部隊は頑張った。二更から五更までひたすら頑張って、土山の三分の一をぶっ壊すに至った(*3)。


 その間、護衛に就いたオレたちはひたすら頑張って戦ったわけで、二十数回に渡るタコ金軍の襲撃を防ぎ続けた。


 タコ金軍が新たな動きを見せた。組織立った陣列を組むと、炎を使った信号を出し始める。


「味方を呼ぶつもりか?」

「兄貴、騎兵に殺到されたらヤバいっすよ!」

「時間がないな。土山に火牛を繰り出せ!」


 火牛といったら、戦国時代にせいという国のでんたんが考えた作戦、つまり牛の角に剣、尾に松明たいまつを括り付けて暴れさせるやつが有名だけど、オレたちが用意したのはそうじゃない(*4)。


 羊馬牆内で待機していた後衛へと伝令を走らせる。後衛には、油と干し草をしこたま持たせてあった。ゴーサインを受けた後衛は干し草に油をたっぷり注ぐ。油の染みた干し草を、タコ金軍がバリケードその他によく使っている草牛になぞらえて、火牛と名付けた。


 火牛はすぐさま到着した。それを土山の内側に運び込む。土山はだいぶボロボロになって、木の骨組みや草牛を積んだ屋根が露出している箇所も多い。


「ちょうどいい具合にキャンプファイアになるんじゃないっすか?」


 くたびれ果てた土山破壊部隊に冗談を言って、オレは火牛に松明を投げた。瞬時に火牛が燃え上がり、土山を形作る木と草にも燃え移る。


 そのとき、完璧なタイミングで強風が吹いた。炎があおられて急激に燃え盛る。火の粉を撒き散らしながら、炎と煙が空を覆う。


 タコ金軍が絶望的な悲鳴を上げた。そうだろうよ。出世と大金のへの近道が目の前で炎上しているんだから。


 空が明るくなり始めている。その空を炎が舐める。


 突如、襄陽で猛然と太鼓が打ち鳴らされ、ときの声が上がった。まるで「今から進軍するぞ!」と言わんばかりに。


 タコ金軍が色を失うのがわかった。土山炎上に加えて、新手の出現の予感。心身の疲労が見て取れる。


 オレたちだって疲れちゃいるが、根性はまだ尽きていない。ここぞとばかりに大声で吠えてかくする。


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 兄貴の奇策を知るリーダークラスも知らない兵士も、呼応して吠える。


 そう、奇策だ。夜間、城外に出兵するときはいつも、兄貴は撤退の合図を逐一変更していた。鐘を鳴らしたり、炎を使ったり、拍子木を鳴らしたり。タコ金軍にタイミングを測らせないためだ。


 今回は普段に比べて動員数が圧倒的に多い。小回りの利く奇襲部隊ならちょっとした時間稼ぎだけで安全に撤退できるところも、今回の兵力では不可能だ。撤退を察知した敵が後方に食い付いてきたら、厄介なことになる。


「だから、徹底的にだましておどかすんだ。進軍の合図である太鼓を、撤退時の鐘の代わりに打ち鳴らす。進軍せんばかりの演出が、撤退の合図だ」


 タコ金軍は引っ掛かった。わらわらと逃げ惑い始める。


「弩兵部隊のみ戦闘続行! 連中の背中に射掛けろ! ほかは順次離脱!」

「兄貴、オレが弩兵と一緒に残って殿しんがりをやります!」

「よし、阿萬、任せた。極力、安全に戻れ。俺は先頭で退路を開いておく」


 整然と撤退を始める者、タコ金軍が残した武器と防具を手早く分捕る者、退却するタコ金軍の背中を射撃する者。一人でも多く生き残るために、それぞれが得意な方法で役割をこなす。


 次第に明るくなる世界で、地面には至るところに人馬の死体が転がっている。たいていはタコ金軍だ。襄陽勢の死者もゼロではないけれど。


「このぶんなら、連れて帰ってやれる」


 趙内機が指揮して、火牛を運んできた荷車に亡骸が積まれていた。


 撤退はうまくいった。殿のオレたちが濠を渡って入城すると、歓声が上がった。この夜、非戦闘員も眠らなかったみたいだ。さっき撤退を告げた「進軍の合図」では、大兵力が城内に残っているように見せかけるため、戦えない者も全員で声を上げたらしい。


 勝った。

 どうにか勝った。

 疲れ切って、それ以外のことは何もわからないくらいだった。



――――――――――



(*1)

陽動作戦


「陽」の字には「いつわる、あざむく」という意味がある。辞書を引いたら「おや?」となる漢字の一例。



(*2)

二更に至るころ


 二更は午後十時前後。



(*3)

五更


 午前四時前後。徹夜していると、いちばんグロッキーになる時間帯。



(*4)

斉という国の田単


 紀元前三世紀前半頃の人。燕に攻められて滅亡寸前だった斉を立て直した智将。


 火牛のエピソードを含む田単の伝記は、『史記』田単列伝第二十二に見える。訓読と翻訳はネット上に転がっているので割愛。戦国時代なら、カクヨム上にも詳しい人がいそう。


 また、田単にヒントを得たよしなかとうげの戦いで火牛の計を使ったと『源平盛衰記』に書かれている。こちらでは、角に松明を括り付けられた牛が暴れる。

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