二十一.一月二十三日到二十四日。トレンチ掘削中に襲撃を受けた。

超訳

 実のところ、夜に塹壕を掘りに行くたびにタコ金軍にちょっかいを出されている。完全な真っ暗じゃ作業ができないから明かりを点けるし、音も隠せない。そりゃあタコ金軍も様子をうかがいに来るだろう。


 一月二十三日の夜。掘った塹壕がまだ浅いと兄貴が判断して、三千人で繰り出してさらに工事を続けることになった。二千人が作業をして、弩兵と敢勇軍のれん兵の合計千人が護衛、さらに城壁上には三列密集の弩兵が構えている。


 まだ下弦の月の見えない二更のころ、毎度おなじみタコ金軍の邪魔が入った(*1)。騎兵隊だ。暗くて、どれくらいの兵力なのか見当がつかない。お互いさまではあるけれど。


 タコ金軍騎兵隊は怒号を上げながら一団となって、塹壕を掘る趙家軍に肉薄した。城壁の上と濠の外で身構えていた弩兵が一斉にを放ち、騎兵隊を攻撃する。敢勇軍が出陣してタコ金軍と交戦する。


 塹壕の内側で工具を振るっていると、ひゅんひゅん音を立てて頭上を箭が飛んでいく。敢勇軍が敵と戦う声と音が聞こえてくる。外が気になって仕方ない。掘削チームはみんなソワソワしている。


 オレは声を張り上げる。


「作業に集中しろ! 塹壕を仕上げるのがオレたちの仕事だ!」


 兄貴はどこにいるんだろう。いちばんよく見える場所で指揮を執ると言っていたけど、まさか自分で敢勇軍を指揮してタコ金軍と戦ってやしねぇだろうな。兄貴の仕事は、心身ともに無事で冷静でいて、襄陽勢を導くことだ。


 いつの間にか月が出て、そろそろ五更に至るころには、襄陽勢とタコ金軍の戦闘は十数回の進退を繰り返していた(*2)。そしてようやく決着がついた。襄陽勢がタコ金軍を追い払った。戦闘による死傷者数は、ちょっとわからない。


 この数日で掘削した塹壕は、城の東門の団楼がある角の対岸から、南門外にある桟橋の対岸まで(*3)、長さ四百十数歩。幅は八尺、深さは六尺ある(*34)。


 よくこんだけのものを掘ったよな、と趙家軍のかたチームは自画自賛。


「攻城兵器を渡すには一苦労だろ」

「武装したら、八尺を跳び越えられねぇやつもいると思う」

「六尺の穴に落ちたら、なかなか上がれねぇさ」


 外に出て作業して、改めて気付いたことがある。タコ金軍が城南エリアで見せる動きだ。


 城南エリアはもともと住宅地だったから、建物が焼けたり壊れたりした後でも、土塀があちこち残っている。タコ金軍は、土塀によって騎兵の機動力が損なわれるのを避けるため、歩兵を使って土塀を壊そうとしていた。歩兵の護衛には騎兵部隊が当たる予定みたいだ。


 兄貴は、強すぎる茶商の路世忠たちに命じて、敢勇軍の叉鎌兵部隊と弩兵部隊を率いて、あらかじめ土塀の内側に潜伏させておいた。


 二十四日になると、予想どおりタコ金軍の歩兵がのこのこと土塀を壊しにやって来た。城壁上でそれを確認したオレたちは旗を掲げて、土塀に潜む敢勇軍に合図を送った。


 路世忠率いる敢勇軍が土塀から突出した。タコ金軍はまさか伏兵がいるとも思っていなかったらしく、慌てふためく様子でろくな抵抗もしない。


 始終、一方的な展開だった。敢勇軍が勝利を収め、土塀壊しに派遣されたタコ金軍は死者多数。こつとつを生け捕りにした(*5)。タコ金軍が装備していた、箭を遮るための盾は、合計二百ほど奪ったり焼いたりした。


 この日、戦勝報告を朝廷へ送った。ちゃんと届いてくれよ。

 兄貴はまた思案を巡らして言った。


「塹壕が完成し、濠との間に障害を作ることができたとはいえ、ここで安心してはいられないな。城を出て塹壕を越え、タコ金軍の寨を襲撃して攻城兵器を破壊すれば、連中も追い掛けてきて反撃するだろう」


「タコ金軍の騎兵はけっこうイヤですね。連中、もともと遊牧と狩猟が仕事の北方民族でしょう。華北で漢族みたいな暮らしをしてるはずなのに、馬に乗ったら昔の血が騒ぐのか、あの勢いは本当にヤバい」

「それなんだよな。弩兵が防御を担当するという作戦も、タコ金軍の騎兵が大勢で来た場合には対処しきれず、ドツボにハマっちまうかもしれない。防御に関して、別の手も講じておかねぇと」


 というわけで、たけかごをいっぱい作った。高さ二尺、長さ六尺で、目の粗さは六寸くらいの(*6)。


 タコ金軍の騎兵が肉薄してきたら、この竹籠を互いにつないだ状態で地面に転がして、障害物にする。こんな大きさの障害物があったんじゃ、馬はまっすぐ突っ切れない。


「この竹籠、ちょうどちくじんみたいっすね(*7)」


 竹夫人マダム・バンブーという絶妙にエロい名前が付いた竹籠は、夏場に涼を取るために抱いて寝る「だきかご」だ。ひんやりした抱き枕。用途も絶妙にエロい。


「抱いて寝ていいぞ」

「イヤですよ。こんな寒いのに。抱いて寝るなら、ちゃんとした人肌の夫人がいいっす」

「そうか、媽媽ママンが恋しいか」


 兄貴が屈託なく笑った。オレも笑っている。



――――――――――



(*1)

まだ下弦の月の見えない二更のころ


 二更は午後十時前後。下弦の月は零時ごろに見え始める。



(*2)

五更


 午前四時前後。



(*3)

団楼


 城壁の角に置かれた楼。



(*4)

長さ四百十数歩、幅八尺、深さ六尺


 長さ約六百四十メートルあまり、幅約二.五メートル、深さ約一.九メートル。



(*5)

李兀突


 不詳。襄陽攻めに参加した金国人で『襄陽守城録』に絡んでくる人物のうち、『金史』に伝が立っている完顔ワンヤンきょうだけしか、正史で存在を確認できないのかもしれない。


 襄陽勢も同じく、『宋史』などで名前が確認できるのは、趙淳、魏友諒、呂渭孫だけだ。



(*6)

高さ二尺、長さ六尺で、目の粗さは六寸くらい


 高さ約六十二.四センチメートル、長さ約百八十七.二センチメートル、目の粗さは約十八.七センチメートル。


 だきかごにするにはサイズが大きい。



(*7)

竹夫人


 用途は趙萬年が言うとおり、夏場に涼を取るために抱いて寝る竹籠。東アジア全域で広く使われていた。女性も子どもも使った道具のはずだが、抱いて寝るためのひんやり枕に女の名前を付けるというのは、やはり男くさいジョークと言えるだろう。


 俳句の夏の季語として「こそばゆい」作品が多数あるとか、英語では「Dutch wife」と呼ばれるとか、検索してみると面白い話がいろいろと見られる。


 そして、わざわざ竹夫人の名を出すあたりに趙萬年のお茶目さを感じる。

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