原文
初四日早、虜人複別推炮座・洞子臨城、仍前擺列馬步軍、施放弓箭、發打炮石。及於洞子內搬傳草牛・土布袋之屬、再來攻城、矢石交戰。自卯至酉、虜人將炮座並洞子拽入虜寨。蓋防我軍夜出燒之。
初四日早、虜人、
初五日早、虜人又複推擁炮座・洞子等攻具臨濠、及擺列馬步軍、複來攻城、勢焰益熾。
公再三籌思、若不遣兵出彼不意、無由退卻。虜人騎軍甚眾、若明出城中之兵、必並來掩襲。須於城上多用弩手射之。
緣城上女口止立得弩手一層、遂於初四日夜措置於庫務・寺觀及民戶、權借桌子、增接四腳令高、擺列兩層於女口之後、弩手共三層。
仍預發敢勇官兵一千八百餘人、各持器械、負草一束、伏於城下羊馬牆內。卻於牆外去虜人炮座・洞子百餘步、潛用小船於濠內係搭浮橋二座、仍將對橋羊馬牆先次取削令薄。
至初五日巳時虜人擁並攻城之際、即將所削薄之牆一時推倒、伏兵突出。虜人止防城門出兵、不意他道掩擊、倉皇失措。先將虜人臨濠步兵殺退、次舉火燒毀炮座・洞子。虜人騎馬果來掩我出城之兵、公即令城上三層弩手並力施放、虜騎不能當。仍於城上擂鼓發喊、並打霹靂炮出城外、虜騎驚駭退走。
自早至暮、虜人與我軍進退分合凡數十次、公亦接續發兵、出城應援。虜賊死傷約數千人、橫屍遍地、炮座・洞子雖有拽回者、所存無幾。如土布袋・草牛等及奪到木牌、一時燒毀。適值北風大作、煙焰蔽空、正撲虜人之面、我軍乘勢鼓噪追殺、虜人敗走、奪到鞍馬・器械。
據捉到番軍稱、去年十二月三日虜人攻城之時、殺死番軍甚眾、射殺蒲察都統及咬兒萬戶等。今次攻城、又殺死葛劄萬戶。即具連日捷報以聞。
後數日、有被擄人回具言、虜酋元帥會諸都統登樊城、指襄陽城曰「趙大婁羅。擺布得好、每出敢勇軍、不知從何處出來。這城如何打得」眾都統因起身白元帥「這幾番打城、煞折了自家軍馬」元帥點頭。
初五日早、虜人、
公、再三
城上の女口、
初五日巳時に至り、虜人、擁並攻城の際、
早
捉到の番軍、稱するに
――――――――――
(*1)
初五日早
この一段だけ、時制がずれている。この後に続く弩兵部隊の再編成と伏兵部隊の工作は前夜の出来事。「早五日巳時に至り」の段落の直前に置かれるほうが、現代日本人としては読みやすい。
(*2)
須 すべからく~すべし
再読文字。論理的に考えて必ず~である。必然性があるので~でなければならない。
(*3)
權に
副詞「かり‐に」として読まれることがかなり多い。かりそめに。代理として。その場の必要性に応じて。
現代日本語の感覚としてピンとこないかもしれないが、「権謀術数」は「臨機応変な謀術数」という意味。「権化」は仏教用語だが、「仏や菩薩がかりそめの姿を取って人前に姿を現すこと」。
現代日本語と同じ意味合いの「権力」は存在する。
しかし、「権利」は十九世紀後半になって欧米から入ってきた概念なので、前近代の文章に「権利」とある場合は「権力と利益」などを意味する。「right」とは別物である。似たような現象で、現代語の「愛」「夢」「平和」も欧米流なので注意。
(*4)
桌子
つくえ。
日曜大工感があふれていて驚愕するが、本当に「ありあわせの机を借りてきて足を四本継いで背を高くして、女口の後ろに二列並べれば、弩兵が三列になる」と書いてある。
初めて『襄陽守城録』を読んだとき、この一月四日と五日の記録で完全に惚れ込んだ。
(*5)
婁羅
聡明である。
(*6)
擺布
段取りをする、手配する、オーガナイズする。
(*7)
這の城
近現代的な言い回し。一般的に、漢文では「此」が使われ、現代中国語では「這(簡体字では这)」が使われる。
(*8)
煞 「殺」に同じ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます