十八.一月一日到三日。正月早々、ド派手な戦闘が勃発した。
超訳
年が明けて開禧三年になった(*1)。
「それじゃあ、ちょっくらパーティに繰り出そうぜ!」
物騒なことを言って、一月一日の夜、敢勇軍の旅世雄と排岸使臣の
まあ要するに、オレたちのほうはあまり変化のない年末年始だった。が、タコ金軍のほうは年明けを機に気分を新たにしたらしい。うぜぇよ。
一月三日早朝、タコ金の大軍は城南の漁梁平一帯から投石機や鵝車や洞子などの攻城兵器を押してきて、濠のすぐ外の一帯へと運び始めた。一日じゅう引っ切り無しに作業は続けられて、城の東南方面にズラリと兵器が並べられる。
兄貴は急遽、城壁の東隅と南隅の警備を厚くした。タコ金軍の戦支度が整っていくのを東南角の敵楼から眺めながら、弩や投石機の射程から外れているせいで手も足も出せない。
「あいつら金持ちっすね。攻城兵器、さんざん壊してやったのに、まだあんなに持っていやがるのか」
「あの投石機を見ろ。十数台しかないが、かなり威力が高い大型ばかりだ」
タコ金軍が擁しているのは、
不気味な沈黙はやがて破られた。敵陣の投石機が一斉に動き出した。
「まずい!」
反射的に伏せた。直後、敵楼が震動した。立て続けに二発、三発。
どうやら照準がこの敵楼に向けられているらしい。しかも、たいした精度だ。
「阿萬、
「了解です!」
牛や馬の皮をつないで作った皮簾は、いわば建物や攻城兵器にとっての皮鎧だ。
皮簾はタコ金軍のほうがたくさんそろえている。というより、素っ裸の攻城兵器はまず見当たらない。
投石機を操る兵士も皮簾の内側にいて、こっちの箭も砲弾も届かない。投石機一台ごとに建物並みの広い空間をすっぽり覆っちまうくらいの完全防備で、さらに車輪まで付いていて、高い山がそびえるような格好で迫ってくる。
鵝車や洞子も同じく皮簾による完全防備の車輪付きで、空洞になった内側には兵士や攻城用の道具や資材が積み込まれている。洞子が次々と濠のそばに到達する。濠を埋め立てる
対岸の大地が見えないほど大勢の歩兵が盾に身を隠しながら、じりじりと迫ってくる。砲撃は東南隅に集中しているが、歩兵の包囲はどの方角も途切れず、城壁上のオレたち目掛けて無数の箭を飛ばしてくる。
一体、何万の兵力なんだ? いや、何十万って規模なのか? こんなに大勢の人間が集っているところをオレは見たことがない。
「なんか今回、連中の勢いが違うぞ」
思わずつぶやいた。たぶん誰もが感じている。
兄貴が声を張り上げて叱咤した。
「
兄貴は軍旗を振るい、号令を飛ばし、投石機の狙いを指示し、時には弩を手にして自ら敵陣を射る。火急の知らせがあれば飛んでいって対応に当たり、兵士を励まして陣容を支える。
オレにできることはないか。熱に浮かされたようにふわふわしかける思考をどうにか現実につなぎ止めて、戦場を見渡す。箭や砲弾は補給できているか。ケガのひどい者はいないか。皮簾にほころびはないか。
喉が干からびている。土埃が目に入って痛い。冷たいはずの空気がひどく熱い。あちこちでボヤが起こる。そのたびに叩いて消す。箭傷はないが、火傷がある。死体が転がっている。火薬の匂いで鼻がバカになっている。
時間の流れ方がおかしかった。長くて長くて、あっという間だった。
夜明けの
暗くなったら不安になるものだ。闇にまぎれた何者かに襲われるんじゃないかって、人間には本能的な恐怖があるから。
オレもつい最近までそうだったんだけど、今は違う。日が落ちて闇が訪れると、気持ちに余裕ができた。まだ敵の攻撃に
兄貴が敢勇軍兵士を千人ほど呼び寄せた。
「お待ちかねの夜が来たぞ。奇襲の敢勇軍、本領発揮の時間だ。豪快に暴れてきてくれ。火の手が上がったら、城壁のほうでも呼応して援護する」
こんな状況で城外に突出するのは無論、命懸けだ。でも、誰一人として
敢勇軍は接近戦用の武器を装備し、干し草一束を背負って、ひそかに小北門から城外に出た。城壁外に巡らせた
城壁上のオレたちはタコ金軍への砲撃の手を止めない。こっちは陽動だ。タコ金軍の注意を惹き付ける。敢勇軍の潜行を悟らせちゃいけない。
待ち望んだ瞬間が、やがて訪れた。
対岸で合流した敢勇軍が投石機の射手のもとへ直接攻め込み、火を放って大声を上げた。
城壁上も呼応する。腹の底からこれでもかって勢いで大声を上げて銅鑼も太鼓も打ち鳴らして、
タコ金軍にパニックが起こった。人も馬も慌てふためいて走る。投石機の射手は完全防備が仇になる。敢勇軍が放った炎は容赦なく、人も投石機も皮簾も焼き尽くす。概算するに、二百は死んだだろう。
たった千人の敢勇軍が何万もの敵を
ひとたびパニックを起こした大軍は
敢勇軍の放った炎は、タコ金軍が城壁の対岸に打ち捨てた投石機や洞子をことごとく呑み込み、破壊していく。
タコ金軍の退却を見計らって、敢勇軍も城に戻った。誰もが満身創痍ながら、死者は多くない。
戦利品もたくさん持ち帰ってきた。
濠の向こうで攻城兵器を焼き尽くす炎と煙は、真夜中になっても上がり続けていた。
――――――――――
(*1)
開禧三年
西暦一二〇七年。あけおめ!
今で言うところの旧正月なので、西暦(太陽暦)に換算すると、一月下旬から三月上旬にかけて。年によって日付がずれる。開禧三年一月一日は、西暦一二〇七年一月三十日火曜日に当たる。
「旧暦 換算」で検索すると、自動計算してくれるサイトがヒットする。特に旧暦と新暦の入り交じる幕末明治あたりを書くときには便利。『幕末レクイエム』会津戦争編のラストでもチラッと言及したが。
二〇一八年における旧正月は、二月十六日が正月一日に当たる。この時期に長崎などの中華街に繰り出すと、珍しいものが見られて楽しい。筆者は友人に唆され、生きたスッポンを買ってきて調理したことがある。
(*2)
腕木が複合材から成る大型投石機
宋代にまとめられた『武經總要』巻十二には、砲車・単梢砲・双梢砲・五梢砲・七梢砲・旋風砲・虎蹲砲・柱復砲・独脚旋風砲・旋風車砲・臥車砲・車行砲・旋風五砲・合砲・火砲の紹介がある。はなはだしく字数を食うので詳説はしない。
本文中にある七梢炮は、『武經總要』によると「梢四」で「極竿三」とのこと。
筆者が見た梢シリーズの最大のものは十三梢だった。しかし、木材の部分を大型化しても、弾性のある縄など別の材料による制約のため、威力はどこかで頭打ちになるので、製造の手間やコストとの兼ね合いもあって七梢くらいが妥当だったのだろう。
(*3)
四五十斤
一斤が約四百六十グラムなので、四十斤は約二十五.六キログラム、五十斤は約三十二キログラム。
そんな重さの石や鉄の塊が約百メートルの濠を越えて打ち込まれる。皮簾の強靭さに驚嘆。柔らかいから衝撃に強いのか。
(*4)
卯の刻
目安として、午前六時ごろ。
(*5)
霹靂炮
霹靂車ともいう。霹靂は雷の意。
シーソーの片側に砲弾を載せ、反対側に力を加えて砲弾を飛ばすイメージ。反対側に力を加える操作は人力によるので、砲手隊はテクニックが必要だったという。この操作が人力ではなく、
霹靂車は、三国時代の西暦二〇〇年、魏の曹操が袁紹の軍勢を打ち破った官途の戦いで使用された。砦に立てこもる曹操軍とそれを攻め落とそうとする袁紹軍の戦闘の様子は、小説版である『三國志演義』だけでなく、正史『三國志』巻六にも掲載されている。
「紹為高櫓、起土山、射營中、營中皆蒙楯、眾大懼。太祖乃為發石車、擊紹樓、皆破、紹眾號曰霹靂車。」
袁紹は高い
そこで曹操は投石機を造り、袁紹軍の櫓を撃って破壊した。袁紹軍は、石弾が中った際の音や破壊力が雷を思わせることから、その投石機を霹靂車と呼んだ。
余談ながら、一九九〇年代の日本のアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の中国語名が『閃電霹靂車』なので、こちらの情報のほうが多く出てきて調べ物が進まない。九〇年代アニメで誘惑するな。懐かしすぎる!(九七年まで小学生でした)
(*6)
謀克の王通
猛安謀克とは、女真族の部族的な伝統を引き継いだ金国の軍事・行政制度。謀克は三百戸の一単位とする。十謀克を一猛安とする。また、それぞれの長を謀克、猛安と称する。
王通という人物は、正史からは発見できなかった。
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