十六.十二月十八日到二十一日。襄陽に刺客が送り込まれた。

超訳

 城壁西隅に火の手が上がった。敵が放ったせんが城壁上に設置された投石機に命中し、きな臭い匂いとともに小さな爆発を起こしたせいだ。


 乾いた綱に飛んだ火の粉が、わずかの間、燃え広がろうとする。周囲の兵士が即座に殺到して火を叩き消した。


 十二月十八日、半月ぶりに組織立ったタコ金軍の襲撃だ。騎乗でやって来て居並び、濠の向こうで弩を繰る兵数は、およそ一千ってところか。


 一段高くなった敵楼の上で防戦の指揮に当たる兄貴が、不意にオレの弩を奪った(*1)。


「貸せ。あの男が指揮官だ。あいつをたおす」


 兄貴は箭槽バレルにセットし、ガシャンと音を立てて扳機レバーを起こして弦を引いた。弩を体に引き付け、望山リアサイト越しに標的となる男を見つめる。


 確かにその男は目立っていた。陣中でただ一人、馬を躍らせて突出し、軍旗を振るって兵士に発破をかけ、勢いづけて前進させては激しい攻撃を煽っている。戦意の高さは明らかだ。


「くそ、動くなよ」


 兄貴が無茶なことをつぶやきながら、弩で敵将の動きを追う。


「オレがやりますよ。半月前の傷、まだ痛いんでしょ?」

「バカ言え。ケガしていようが、俺のほうがおまえより射撃はうまい」


 兄貴が気息を整える。濠の向こうで敵将が何かを叫んでいる。手綱を引いて馬を止める。


 その瞬間、兄貴が懸刀トリガーを引いた。

 多数の箭が飛び交う中で、オレの目は過たず、兄貴の箭に惹き付けられる。


 箭があたった。敵将が動きを止め、軍旗を掲げた格好のまま落馬した。あぶみに足が引っ掛かったままで数歩、馬に引きずられる。やがて馬だけが自由に駆けていく。


 タコ金軍の戦陣を包む空気が崩れた。ガラガラッと音を立てる勢いで、濠越しにも明白にわかるほどだ。


「よし、打って出るぞ! 船を出せ!」


 兄貴の命令を受けて、城壁の下で待機していた戦船が濠を渡り始める。タコ金軍がますます泡を食う。


 またたく間に戦船は対岸に漕ぎ寄せた。上陸した先鋒が戦死した敵将の首を刈って掲げると、タコ金軍は完全に士気を消沈させ、撤退していった。


 兄貴が射た箭は敵将の左目を射抜いていた。


「眉間を狙ったんだがなあ」

「あのね、兄貴、そこまで細かい狙いを付けられるほど上等な弩じゃないっすよ。冬場だから弦の張力が落ちてるし(*2)」


 しかし、タコ金軍に動きがあったのは不気味だ。今まで以上の警戒を続けなけりゃいけない。


 二十日には例によって、敢勇軍リーダーズお得意のお仕事だった。路世忠率いる敢勇軍五十六人と趙家軍の弩兵三十人が雲峰寺前のタコ金軍の寨を襲撃し、うんてい三百台と投石機用の木材五十本を焼却処分。見張りのタコ金兵士を二百人ばかりやっつけた。


 そして二十一日のことだ。タコ金軍に捕らわれていた武将、王虎がふらりと襄陽の濠の外に現れた。降伏せざるを得ない状況に追い込まれて以降、安否がわからなくなっていた人だ。


「趙都統、私です。覚えておられるでしょう? どうにか戻ってこられましたよ」


 兄貴はもちろんオレも顔見知りだし、王虎はすぐに襄陽城内に招き入れられた。兄貴は旧知の王虎との再会を喜んだ。


 でも。


「変じゃないか、あいつ?」


 敢勇軍の旅世雄たちが言って、趙家軍の面々もうなずいた。オレもそう感じた。


 兄貴が王虎にタコ金軍の内実を尋ねる。どこの寨に囚われていたのか、その寨を統括していたのは何者か、どれくらいの数の兵力があったか、食糧や軍馬の状態はどうだったか。


 王虎は質問に答えるんだが、時おり明らかにビクビクしている。何か妙な意図を腹の中に抱えているんじゃねぇか、と疑わせるには十分な態度だ。


 兄貴がオレや趙家軍、敢勇軍に目配せをして、「やっちまえ」と顎をしゃくった。


 オレが真っ先に王虎につかみかかった。腕をひねり上げると、王虎が袖の中でいじり回していた袋がその手から落ちた。袋から真っ黒な粉がこぼれる。


「火薬じゃねぇか。何でこんなもん持ってる?」


 王虎はオレの腕を振りほどいて剣を抜こうとした。旅世雄が飛び掛かって王虎の自由を封じる。王横が王虎の剣を奪い、素早く懐や袖を改めた。やたらと上等そうな紫色の布包みが出てきた。


 兄貴は王横から布包みを受け取り、中を調べた。銀の延べ板がキッチリ重ねられていた。一枚、二枚、三枚と兄貴が声に出して数える。全部で十五枚もあった。兄貴は冷ややかに王虎を見やった。


「俺への手土産ってわけじゃねぇようだな。どういう事情か、ゆっくり話してもらおうか。貴公にふさわしい客間でな。阿萬、そいつを牢に連れていけ」

「了解です。尋問しときましょうか」


「よろしく頼む。口を割らねぇようなら、後で俺がそいつの体に直接聞いてやる。爪を剥いだり歯を引っこ抜いたりなんて所業マネは久しぶりだから、手元が狂うかもしれねぇが」


 王虎はそれだけで震え上がった。オレたちがいじめるまでもなく、命乞いをしながら、ペラペラと計略をしゃべった。


「銀は金賊の都統から与えられました。私に課せられた役割は、襄陽城内で火災を起こし、城外の金賊の動きと呼応すること。そして、私が襄陽から外へ出るときは白旗を掲げた小隊を率いることで目印とするように、との約束でした」

「つまり、あんたはタコ金が送り込んだ刺客ってわけだ。その割にずいぶんと口が軽い」


「私は宋国に生まれた丈夫おとこですよ! それがどうして自ら進んで金賊の下で働くでしょうか? 生きて敵軍の真っただ中から外に出るには、連中の計略に乗ったふりをしなければならなかったんです!」

「でも、実行に移そうとしたことは事実だ。もしかして、銀の延べ板十五枚どころか、成功報酬にはもっと美味しい条件が出されたんじゃねぇのか?」


 オレはもう王虎を信用できなかったし、兄貴も同じ判断を下した。いや、兄貴のほうが苛烈だった。


「この中でいちばん剣の腕が立つのは誰だ?」


 王虎の尋問に居合わせた一同をぐるっと見やる。王横が名乗りを上げた。全員そこそこ強いけど、真っ当な剣術だけでいえば王横がいちばんだ。


 兄貴は王横に命じた。


「そいつを斬れ」


 王虎が悲鳴を上げる。それも一瞬で途絶えた。王横の仕事は見事に手早かった。


 翌日、またタコ金軍の捕虜だった男が襄陽に戻ってきた。じゅんという名のそいつは、王虎とは様子が違った。捕虜らしい捕虜とでも言おうか。武器も金目のものも失った上にボロを着た情けない格好だった。


 前日の件があるから、オレたちは警戒を解かなかった。が、李遵の率直な態度に怪しいところはないように見える。


 李遵は王虎のことを知っていた。


「あの男、昨日来たんですか? 恥知らずなやつだ。あの男は金賊の刺客に成り下がったんですよ。計略がすぐに露見したようで、安心しました」


 兄貴はうんざりした顔だった。


「俺は周知のとおりタコ金軍には恨まれているだろうが、天地に恥じなけりゃならねぇようなやましい生き方なんぞしていねえ。王虎なんていうお粗末な刺客にやられるほどチンケな半端者じゃねぇんだよ」


 確かに王虎はお粗末すぎた。籠城を破るには内側から崩壊させるってのは常套手段だが、昨日のあれはない(*3)。


 李遵の証言やその他いくつかのルートから、タコ金軍の今の様子やこれからの計画を知ることができた。襄陽に衝撃が走った。


 タコ金軍は十二月二十四日に攻城を仕掛けるつもりでいる。

 備えを為さなけりゃならない。



――――――――――



(*1)

敵楼


 城壁の途中に設けられた、石造りの小屋のような部分。「万里の長城」で画像検索するとわかりやすい。挿絵機能がほしい。



(*2)

冬場だから弦の張力が落ちてるし


 巻末に置かれた「まとめ記事」に「冬から春にかけての時期だから、弩の張力が落ちて射程が短くなる恐れがあった。そこで、弓を弩の背面に接合して貼り合わせて弩の威力を上げた」と書かれている。


「守城自冬至春、弩鬥力漸減、恐不能及遠、遂措置以弓於弩背上幫貼、鬥力有增無減、可以及遠。」



(*3)

籠城を破る


 歴史好き(大河ドラマファンを含む)の日本人なら、籠城の破り方として、戦国時代の兵糧攻めや水攻めがパッと思い浮かぶだろう。あるいは幕末の会津藩。鶴ヶ城は新型大砲による一日二千発以上の砲撃でボロボロにされ、本格的な冬を迎える前に降伏した。


 中国やヨーロッパの記録を見るに、投石機を用いて城内に汚物や死体を投げ込み、衛生環境を悪化させて疫病を流行らせる手段もある。城内へ流れ込む水路に毒を投じる、水を供給する井戸を破壊するなどの手段もある。


 敵に四周を包囲された環境は非常にストレスフルであり、威嚇から交渉まで、さまざまな心理戦が効果を発揮するケースも多い。スパイを送り込んで情報を霍乱し、内部分裂を起こさせる手段がある。


 いずれにせよ、非戦闘員にも多くの犠牲を強いる籠城戦・攻城戦は非人道的な過程や結果を見ることとなる。


 小学生時代、学習漫画を通じて初めて籠城戦というものを知った。江戸時代初期の島原の乱を描いた漫画で、原城に立て籠った農民全員が天国パライゾを夢見ながら集団自決する、という強烈なラスト。筆者自身が隠れキリシタンの末裔なので、けっこうトラウマである。

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