原文

十五日、探知虜賊複來城南紫陽觀、及於寺院等處再造攻具。遂遣方溥・訓練官朱建部官兵三十六人前去、燒毀雲梯二百餘連、奪到騾一頭並鞍轡。


又遣蔡孝先部官兵五十人、搶奪虜賊堆垛所造雲梯大竹。有虜騎百餘來前追趕、被蔡孝先等殺退、奪到軍器・衣甲。



十五日、探知するに、虜賊、また、城南の紫陽觀にきたり、及び寺院等の處に於ひて、再び攻具を造る。遂に方溥・訓練官朱建をつかはし、官兵三十六人を部して前去し、雲梯二百餘連をせうし、騾一頭並びにあんを奪到す(*1)。


又、蔡孝先を遣はし、官兵五十人を部し、虜賊造る所の雲梯の大竹をたいするを搶奪す。虜騎百餘、來前してついかんすること有るも、蔡孝先等に殺退せられ、軍器・衣甲を奪到せらる。




十六日夜、遣張聚・廖彥忠等、分四路前去燒劫賊寨。張聚部領敢勇軍七十三人並大軍弩手三十二人過河、從紫岩寺轉過虎頭山、劫中賊寨、奪到披氈・衣甲・刀鍘等、及奪回被虜人老小十人。廖彥忠將敢勇軍七十二人至是定專寺等處、劫中賊寨、斫虜賊首級二顆、馬二匹、並鞍轡・衣甲等軍器。旅世雄部官軍六十六人至萬山一帶、燒毀雲梯戰牌五百餘件、並燒毀虜寨鹿角、趕殺敗走、又奪到造梯大竹五百餘竿。將官馬安忠部官兵四十六人至雲峰寺等處趕殺、看守攻具虜賊散走、燒毀雲梯二百餘連・天橋四座。



十六日夜、張聚・れうげんちう等をつかはし、四路に分かちて前去してぞくざいせうけふせしむ(*2)。張聚、敢勇軍七十三人並びに大軍弩手三十二人を部領して河をよぎり、紫岩寺從てんじて虎頭山を過り、賊寨を劫中し、せん・衣甲・刀鍘等を奪到し、及び被虜人老小十人を奪回す(*3)。廖彥忠、敢勇軍七十二人をひきゐ、定專寺等の處に至り、賊寨を劫中し、虜賊の首級二顆をり、馬二匹、並びにあん・衣甲等の軍器あり。旅世雄、官軍六十六人を部して萬山一帶に至り、雲梯・戰牌五百餘件を燒毀し、並びに虜寨の鹿ろくかくを燒毀し、かんさつして敗走せしめ、又、造梯の大竹五百餘竿を奪到す。將官馬安忠、官兵四十六人を部して雲峰寺等の處に至りて趕殺し、攻具を看守するの虜賊、散走するに、雲梯二百餘連・天橋四座を燒毀す。




十七日夜、遣路世忠將敢勇軍五十八人・大軍弩手三十一人往城東雲峰寺前劫寨。殺死虜賊甚多、生擒番軍李八兒、稱係李撻覽之子。



十七日夜、路世忠をつかはし、敢勇軍五十八人・大軍弩手三十一人をひきゐて城東の雲峰寺前に往き、さいけふせしむ。虜賊を殺死することはなはだ多く、番軍李はちせいきんするに、李撻覽の子に係るとしようす。



――――――――――



(*1)


 ラバ。雄のロバと雌のウマを交配して作る家畜。ラバそのものには繁殖能力はない。ウィキペディアの記載を見るに、ラバは家畜としてチートである。


「体が丈夫で粗食に耐え、病気や害虫にも強く、足腰が強く脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適す。睡眠も長く必要とせず、親の馬より学習能力が高く調教を行いやすい。とても経済的で頑健で利口な家畜である。」


 紀元前三千年くらいからエジプトには存在したらしく、世界各地で古くから飼育例が見られる。現代でも、車の乗り入れが難しい山岳地帯などでは現役。


 馬偏に「累(血縁、親類の意)」と書く「騾」字を見ると、漢字は象形文字だなとつくづく思う。



(*2)

前去


 去らない。行くのである。前方へ行く。



(*3)

披氈


 披は外套、マント。氈は羊などの動物の毛に圧縮を加えてフェルト状にしたもの。


 現在の湖北省襄陽市の冬場(サンプルとして二〇一七年一月)の気温は、最高気温が十度前後、最低気温が氷点下を下回る日もある、といったところ。過去の平均はもっと低いが、年間を通して見れば、比較的暖かい気候の土地柄と言えそう。


 複数種類の襄陽市のお天気情報を調べていたら、「襄陽までのフライトはいかがですか?」という航空会社からの広告が表示されるようになった。衝動的にポチりたくなるからやめて。

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