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こんばんわ。
漢文訓読に参りました。
▼(*5)虜箭を打す
「打」=doなんですね。知りませんでした。
軍記物では「打ち跨る」を頻用しますが、
何を「打つ」のか不思議だったんですよね。
おそらく、この用法がそのまま日本に伝わって
「打」が日本語に溶け込んだ結果なんでしょうね。
▼仍りて木牌及び板門・窗槅を將て身を遮り、攻城器具を搬運す。
この場合、主語は前文と変わらず「賊眾」なので以下のように
訓じる方が美しいかと思います。
※これは私が「遮」を「廻」と誤読していました。。。異論なしです。すみませんm(_ _)m
仍りて木牌及び板門・窗槅を將て”身に遮らせ”、
攻城器具を搬運す。
▼公、身づから兩箭を被り、城內に射入する者、數計すべからず
ここは「被兩箭於身」と同義の文でしょうから、「身」は「身に」とするとスッキリしてよいかと思います。
公、”身に”兩箭を被り、城內に射入する者、數計すべからず
▼公、令して、先づ火藥箭を用ゐ、番賊搬する所の竹木・草牛並びに炮木等攻具を射燒せしむ。
「用」を「以」と同義に使う用法がありますので、「用て」とする方が個人的に好みではありますが、文意は相違ないので嗜好の範囲ですね。
公、令して、先づ火藥箭を”用て”番賊搬する所の
竹木・草牛並びに炮木等攻具を射燒せしむ。
>煙焰四起し、城上の弓弩炮石、一時に並びに發す。
副詞としての「並」は意外に使いにくく、「並びて」「並びに」が通常ですが、これは「並發」のままか、「一時に並び發す」の方が音読しやすいかと思います。これも好みの問題ですね。
煙焰四起し、城上の弓弩炮石、一時に”並び發す”。
▼公、四隅をして虜箭を打し、及び城外廟宇中に於ひて藏備する所の箭百餘萬を得しめ、將士に白金を犒ふこと各々差有り、士氣、大いに振るふ
ここは解釈が分かれるところです。
以下、解釈してみまひた。
公、令して”四隅に”虜箭を打”さしめ”、城外廟宇中に於ひて藏備する所の
箭百餘萬を得”るに及び”、將士に白金を犒ふこと各々差有り、
士氣、大いに振るふ
最初は「四隅」を「四隅を守る人」と解するか、場所と解するかの相違ですね。ここは微細ですが、次で解釈が分かれます。
公は令して「打さしめ」ることはできても、「得さしめ」ることはできないと考えると、「令して」の及ぶ範囲は「打」にとどまり、その結果として「得る」に「及び」、その褒賞として「白金を犒ふ」たのではないかと考えたのですが、如何でしょうか?
(ちょっと自信なし)
▼弩手を部して乘舟して渡る所の處に往き、要ず之を截射せしむ
ここは船で渡渉地点に向かっているところから、「要」は「要えて」と読んで「待ち伏せをした」と解するのがよいかと思います。
弩手を部して乘舟して渡る所の處に往き、”要えて”之を截射せしむ
一つの漢字に色々意味があるので、訓読は頭を使いますね。今回は読みごたえがありました。しかし、「遮」と「廻」を読み間違えるとは。。。
【返信を受けて】
ご確認ありがとうございます。
〉何が引っ掛かったかというと、「及」の使い方でした。
解釈の分岐は地味にこの「及」にあります。並列、範囲の到達点、行為の起点と好き放題に使われる厄介な言葉です。今回は並列と行為の起点に解釈が分かれましたね。
単独の人が著した文章なら書き癖から考えて用例に従うのが常道ですから、並列の方が説得力あります。
〉解釈にインスピレーションやテレパシーが必要となる
当時の人にお近づきになれた感じがして訳者には面白いところでもありますが、正解は藪の中です。
また、判断に苦しんだ際には用例からの類推が必要なので、一部を読んでも正しい解釈にたどり着けないところも、漢文の厄介なところです。
他の言語もそうなんでしょうけど、漢文は同じ字が文中の位置によって名詞、動詞、副詞と使い分けられますから、甚だしいんじゃないですかね。
「虜兵」と「虞兵」は誤認待ったなしですね。並べて書いても分かりにくい。。。
どんだけ頭をひねっても訳せない場合、だいたいこれが潜んでいるんですよね。
今回もありがとうございました、勉強になりましたm(_ _)m
作者からの返信
いらっしゃいませ。
今回、盛りだくさんでしたね。
訓読ありがとうございます!
「打」
現代中国語からの類推で「do」の意味だろうと当たりをつけて調べたらビンゴでした。
が、近代的な俗語かと思いきや、宋代には既にその用法があったので驚きました。
「身」
機械的に「みずから」と読んでしまいましたが、「身に」のほうがスッキリしますね。改めます。
「用」
気分によって「もちいて」「もって」、両方やります(笑)
『襄陽守城録』では全て「もちいて」にしていたはずです。
「並」
これも「みずから」同様、機械的に「ならびに」としましたが、「並發す」とかにするほうがスマートですね。改めます。
「四隅云々」
漢文特有の「ちょっと言葉が足りないからいろいろ読める」パターンですね。
まず「四隅」は「四隅を守る人」として解釈しました。
箭を獲得した場所は、前半は城内、後半は城外。
同時に別々のグループが動いて箭を獲得したイメージでした。
そして以下の文なんですが、確かここは、先の方まで読んだ後に戻ってきて訓読し直した箇所の1つです。
何が引っ掛かったかというと、「及」の使い方でした。
趙萬年の書き癖として、文章の並列のときに「及」を使う傾向があるので、「~するに及ぶ」から今の形に書き換えました。
といって、全部が全部、並列であるとも限らないんですが。
褒賞金のくだりは、切ろうかどうしようか悩みつつ結局、文章をつないでしまったんですが(だって主語が「公」のままだし)、箭の獲得に対してではなく、今回の戦闘を乗り切ったことに対してのものと解釈しました。
それにしても、本当に、いろんな角度から解釈や検証ができてしまいますね。
できるだけわかりやすい形に訓読していきたいものですけれども。
うーん……ほりゅう( ・∇・)!(頭が働かない時間帯です)
「要」
これも機械的に読んでしまっていました。
待ち伏せという解釈がよさそうです。改めます。
漢字という表意文字の持つ難しさですね。
解釈にインスピレーションやテレパシーが必要となるケースは、教科書に掲載できるタイプの技じゃないですし。
謎な見間違えが発生すること、よくあります。
しんにょう等の「足が走っている形」シリーズはシルエットが似がちだから、あるあるです。
私が本テキストでいちばんタイムロスした見間違えは、本格的な戦闘開始以前、呂渭孫のクーデター未遂事件のときに城内に「虜兵」がいて、かなり無理やりな解釈の超訳文を作った後に「虞兵」であることに気付いた件でした。
ひとまず今はこのあたりで。
応援コメント、というより勉強会かゼミか演習の議論、ありがとうございます!
【再返信】
こちらこそ、毎度たくさん勉強させていただいています。
これ以上ないくらい「読者ありきの漢文」なので、一人でやるときとは比べ物にならない緊張感があります。
いい意味の緊張感です。
私の場合、自分用の漢文を読む場合には「ざっくりした意味さえわかればいいやー」と荒っぽいことをしてしまいます。
機械的に読むせいで美しくない訓読文になる、あの癖です。
「及」の解釈論に至るまでの諸々、自分の中では新鮮な刺激と言えるくらいに、ずいぶん丁寧に思考しました。
こういう経験は、一人では得難いです。
本当に、ありがとうございます。
m(_ _)m
↑
ここで拱手とか抱拳とかの顔文字がほしいですね(笑)
(・ .∟・)
拱手だとこうでしょうか。(てきとう)
作者からの返信
(笑)
やっぱり自分で作らないと、存在しませんよね。
開発しよう。