十二.十二月三日、四日。襄陽にタコ金の大軍が襲来した。

超訳

 十二月三日未明。


「敵襲、敵襲!」


 城内の鐘が打ち鳴らされ、休んでいた者も皆、飛び起きた。


 火に包囲されている、と最初は思った。まだ薄暗い中、ぐるりと襄陽を囲んだタコ金軍は手に手に明かりを持っている。明るかった。その明かりに照らされて、とてつもない大軍がそこにいるのがわかった。


 兄貴の一喝が城内に響いた。


「落ち着け! 配置に就いて指示を待て。襄陽の守りは堅い。冷静に迎え撃て!」


 タコ金軍は前列に歩兵、後列に騎兵を置く編成で、濠の向こう側の大地を埋め尽くす勢いで襄陽に群がっている。太鼓や銅鑼の音、怒号、足音。


 木製の盾や、門みたいに巨大に組んだ木枠や覆いに身を隠しながら、タコ金軍は攻城兵器を城壁のほうへと運んでくる。


 兄貴は城壁に立ち、弩を携えて身構えるオレたちを見渡して声を張り上げた。


「まだ遠い! 落ち着いて、声を殺して待て。弩の射程に入るまで待って、俺が合図したら一斉に射る。弩にを番えておけ。まだだぞ。まだ待つんだ!」


 じりじりと時が過ぎる。実際には、たいして長い時間じゃなかったはずだ。空はまだ少しも明るくない。


 やがてそのときが来る。


「弩兵、構え! 放て!」


 機械仕掛けの弦音とともに、オレたちは気迫の声を上げる。声に呼応して、城壁上の全軍が射撃を開始する。薄暗い空に無数の弧を描いて箭が飛んでいく。


 少し間があって、今度はタコ金軍の箭の雨が城壁上に降り注いだ。あっという間に、あちこちハリネズミだ。


「ヤベェ」


 城壁の縁に巡らされたじょしょうに身を隠し、女口から弩を突き出して箭を射る。敵陣から飛んでくる大量の箭をつい目で追ってしまうと、視界がチカチカしてくる。


 女牆に貼り付いていれば、大抵の箭は頭上を過ぎていくが、全部が全部ってわけじゃない。箭にあたってケガをして動けなくなる者が続出する。時おり、命を落とす者も。


 城壁を飛び越えた箭は城内にも届いている。中の連中にケガはないだろうか? 城壁から離れておくようにと、兄貴の命令が行き届いているはずだが。


 ウッ、とうめく声が突然、妙にハッキリ聞こえた。兄貴の声だったからだ。


「兄貴!?」

「たいしたことねえ」

「でも、箭が……!」


 兄貴は肩口に刺さった二本の箭を素早く引き抜いた。痛みを吹っ飛ばすような大声で指示を出す。


「火薬せんを使え(*1)! 敵の竹木や草牛、炮木、あらゆる攻城兵器を燃やしてしまえ(*2)!」

「兄貴、オレが伝達してきます」

「任せた。陣中に火が点けば、敵は混乱して勝手に自滅に向かうはずだ。弩や投石機による攻撃の手を休めず、一気に叩きつぶすつもりで当たれ!」

「了解。全軍に伝えます!」


 オレや趙家軍の仲間が分担して、長大な城壁全体に兄貴の指示を行き渡らせる。


 夜が明ける。敵軍はもう灯火を使わない。炎は新たに起こる。もうもうたる煙を上げながら、攻城兵器が燃え始める。


 襄陽の城壁から箭が飛ぶ。砲弾が飛ぶ。引っ切り無しに敵の頭上に降り注ぐ。


 明け方、の刻のころに始まった戦闘は、日がずいぶん西に傾いたさるの刻になって終わりが見えた(*3)。タコ金軍が撤退し始めたんだ。


 タコ金軍のうち、箭による死傷者は多数。死体はゴロゴロと転がされたままだ。鎧も弓も弩も着物も捨て置かれている。


 汗と埃と血と火薬に顔を汚した兄貴が、嗄れていつもよりハスキーになった声で、疲れた全軍の士気を奮い立たせた。


「最後の一押しだ! 命知らずの勇者は名乗りを上げろ! 濠を渡って敵をせんめつしてこい!」

「行きます!」


 オレが真っ先に拳を突き上げて、そしたら、我も我もと後が続く。


 兄貴は小声でオレに「任せる」と言った。肩を押さえている。平気なふりをしているけど、本当はケガが応えているらしい。体が無事なら、自分で兵を率いて外に飛び出していくところだろう。


 オレは命知らずの掃討隊を連れて船で濠を渡り、逃げそびれておたおたするタコ金軍を片っ端から狩った。首級を挙げ、武器を奪い、うんていなんかの攻城兵器は徹底的に焼き払う。


 この日、勝利の報告を携えた伝令を臨安府の朝廷へと送った。


 翌四日。タコ金軍はさすがに士気がえて、寨を引き上げて襄陽から遠ざかった。


 一方、襄陽では、兄貴の命令で城壁四隅の守備兵がタコ金軍に射られた箭を拾い集めたり、城外で敵陣になっていたエリアのびょうの中に百万本以上の箭が備蓄してあるのを発見して回収したりした。めっちゃ忙しかった。


 それから、兄貴は今回の戦闘の褒美として、それぞれの功績に応じた額の賞金を全員に支給した。城じゅうのテンションが上がったことは言うまでもない。


 が、お気楽に戦勝ムードにひたるわけにもいかなかった。タコ金軍の様子を探りに行っていた部隊からの報告が入った。


「金賊の軍勢のうち、攻城に参加して箭傷を負った者が多数、漢江を渡って北を目指しています。軍勢の足は遅く、負傷者を多く抱えていては、まともに応戦できないでしょう。追撃のチャンスです」

「よし、敢勇軍に行ってもらうか。水上での遊撃は彼らの十八番だ。城壁の守備では趙家軍を中心とする編成だから、敢勇軍は活躍の場を求めてじりじりしていたしな」


 兄貴の命令を受けた旅世雄とはいけんは案の定、大張り切りだった。弩兵を率いて戦船に飛び乗ると、ぞろぞろと漢江を渡るタコ金軍の無防備な横っ面に箭の斉射をお見舞いする。気持ちいいほど残酷に正確な狙い撃ちだった。


 ところで、だ。


 タコ金軍が今回、初めて国境を越えて攻め込んできたとき、兄貴はじゅつきんしゅう統領の王宏に命じて、逆に向こうの領内にあるとうしゅうに攻め込んでタコ金軍を牽制させた(*4)。


 王宏は兵を率いてせきせん経由で鄧州のエリアに入り、タコ金軍が幹線沿いに積んでおいた食糧や軍馬用の飼葉を大量に焼き払った(*5)。敵と出会って戦ったときには、千戸の地位にある天師や段守忠の首級を挙げた。


 この一件が地味に禍根を残してしまっていたらしい。まあ、続報は次回ってことで。



――――――――――



(*1)

火薬箭


 火箭と書いてある資料もある。明代の一六二一年に刊行された『武備志』の記載から、反動推進を得るために火薬を使った箭であると推測される。導火線は、南宋代にはまだ存在しなかったらしい。


 爆発物を射込むという体ではないものの、諸書の記載から推測するに、敵陣に火を放つ効果は期待できた模様。


 デジタル版の『武備志』を発見した。このアーカイヴを作るの、時間かかっただろうな。

http://ctext.org/library.pl?if=gb&res=2523


 なお、弩については北宋代に成立した『武經總要』巻十三(の清代『四庫全書』収録バージョン)が挿絵たっぷりで面白い。巻十三~巻十五のデジタル版は以下。

https://archive.org/details/06047930.cn


『武經總要』の成立は一〇四四年であり、趙萬年の時代より百五十年以上も古い。この間に火薬や船の開発が急速に進められたらしく(南宋最末期の一二七〇年前後はさらに差異がある)、『武經總要』の記載を見て「質も量ももっと派手だよ?」と言いたくなる。



(*2)

炮木


 未詳。「炮石」が投石機の砲弾なので、炮木も投擲するのか? 投石機を造るための木材か?



(*3)

卯の刻、申の刻


 目安としては、卯の刻は午前六時ごろ、申の刻は午後四時ごろ。



(*4)

戌均州統領の王宏


 戌は「征伐する」の意。


 均州は 現在の湖北省丹江口市。『讀史方輿紀要』巻七十九、襄陽府によると、襄陽の西北三百九十里(約二百二十四.六キロメートル)にある。


 現在の地図で確認するとわかりやすいが、湖北省丹江口市は(襄陽から見て)漢江の上流に位置し、河南省鄧州市と境を接している。


 戌均州統領を務めたこの王宏の名は『宋史』等の資料からは発見できなかったが、同姓同名の別人が宋代に一人、他の時代を含めると多数。「オウ・ひろし」とか、日本人の感覚からしても同姓同名が多そうだ。



(*5)

淅川


 現在の河南省南陽市淅川県。これもまた現在の地図で確認するとわかりやすいことに、均州である湖北省丹江口市の北、河南省鄧州市の西に位置している。


 均州エリア内において、漢江は西から南へと流れるが、北から流れ込む丹江と合流している。丹江は合流地点のすぐ北側にある淅川エリアで湖あるいは溜め池状になっており、周囲とも水系でつながっている。王宏は鄧州に攻め込む際、この水系を利用したのかもしれない。


 なお、もとのテキストでは「川」を「川」と誤植してあったので、検索をかけると、江省杭州市(大きな川の畔の都市)のタウンガイドばかりがヒットして、正しい情報に行き着くまでに地味に時間がかかった。

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