十一.十二月一日、二日。天使が城にやって来た。

超訳

 十二月になった。あと一月で今年が終わる。襄陽で年を越すことになりそうだ。


 一日のことだ。東の濠の向こう側から城内へ呼び掛ける者がいると報告が入った。城壁に出てみると、一人の男が縄を掛けられて、タコ金の兵士に見張られながら、こちらに向かって大声を上げている。


 目をすがめた兄貴が、男の名をつぶやいた。


「劉宝だな。出陣したっきり戻らなかったから死んだものと思っていたが、タコ金の捕虜にされていたのか」


 アッサリ殺されるのと捕虜や奴隷にされるのと、どっちがマシなんだろう?

 劉宝は同じ言葉を繰り返している。


完顔ワンヤン大臣さまは、人を派遣して話し合いを設けさせようと、お考えです!」


 相公だいじんさまなんて言わされてタコ金のお使いをこなさなきゃならないって、オレだったら全力でイヤだ。死ぬのもイヤだけど。


 次の日、前にも完顔きょうの手紙を襄陽に持ってきた向明って男が、また使者として姿を現した。


 兄貴はブチ切れそうな目をした。


「絶対に、一歩たりとも、あいつを城内に入れるなよ」


 襄陽におけるお偉いさんである兄貴が対談に出向くことはできない。前回は一応、兄貴の実弟の趙内機が使者に応対して完顔匡の面子を立ててやったが、今回はその待遇すら相手に与えるつもりもない。


 使者との対談役に選ばれたのは、撫幹の章時可だ(*1)。章時可は以前、呂渭孫がすいをねたんで暴発したとき、それに先んじて危機を知らせてくれたうちの一人だった。


 章幹撫とオレで、濠越しの対談に赴く。襄陽まわりの防御を細かく言うと、城壁があって、ようしょうっていう土塁があって、土塁には鹿角バリケードも設置していて、その外に濠がある構造だ(*2)。オレたちは濠の対岸から姿が見える位置に立った。


 向明の主張は前回と同じだった。


「完顔相公は、あなたがたに、降伏を求めておられる! 城内のすべての武装を解除し、我が軍に投降せよ! さすれば、金国内において、あなたがたに地位を授け、宋国における生活以上の厚遇を約束しよう!」

「ふざけんな! 何度も同じことを言わせんじゃねえ! 宋に生まれた大丈夫おとこである以上、タコ金に寝返るなんて真似ができるか(*3)! おととい来やがれ!」


 すれ違いっぱなしの対談、というか怒鳴り合いの果てに、章幹撫は向明を追い払った。


 と、これは城の東側での出来事だ。

 同じ十二月二日、城の西側でもまた、タコ金軍の動きがあった。


「趙都統、城西に金賊数十騎が現れ、うち一人が進み出て『我こそは天使である』と自称し、傲岸不遜な言葉で降伏勧告をおこなっています」

「天使?」


 兄貴は、思わずといったていで訊き返した。オレもそれ訊きたい。


「天使って何すか?」


 兄貴は顔をしかめてオレに答えた。


「天朝よりの使い、もしくは天子よりの使い、という意味だ。天朝も天子も、世界で唯一の正統であり、各国の序列においてナンバーワンである国家のみが使用を許される言葉だが」

「それをタコ金の使者が使ってるわけですか。天使ねえ」


 報告によると、その天使さんとやらにはどうも話が通じそうにない。だったら、オレたちが採るべき手段は一つだ。


 兄貴は命じた。


「討ち取れ」


 命令を聞いてテンションが上がった、血気盛んな連中がいる。兄貴はそいつらをまとめて隊を組ませて、オレに指揮を命じて、城西に送り込んだ。


 突撃隊は濠を渡り、鹿角バリケードの内側に潜んでタイミングを計る。天使さんとやらは、そう名乗るだけあって確かに仰々しい格好で、聞くに堪えない上から目線の降伏勧告の訓示を垂れていた。


「暴れるぜ!」


 指示なんて、それだけだ。こういうのは度胸とスピードが勝負の決め手。


 鹿角から飛び出した突撃隊は天使さんに殺到し、あっという間にとっつかまえてぶっ殺して首級を挙げた。そいつが腰に提げていた木製の盾、何か書いてあるから気になったんだけど。


「何て書いてあるんだ?」


 赤い紐の持ち手が付いた盾にはタコ金語が書き連ねてある。オレたちには何のことやらまったくわからない。そいつがどういう階級の天使とやらなのかも不明。


 とりあえず、それなりに身分のあるやつだったってことと、兄貴の命令を問題なく遂行できたってことで、よしとする。


 その夜のことだ。タコ金軍はついに襄陽へ降伏勧告を送るのをあきらめたらしくて、大掛かりな輸送を始めた。城壁に臨む一帯にどんどん運び込まれてくる。


「まるで攻城兵器の見本市ですね」


 オレは思わず、そう言ってしまった。だって、見事なもんだ。


 束ねて並べて盾の代わりにしたりいかだを組んだり攻城兵器の材料にしたりと、何かと使い勝手のいい竹木。


 城壁に直接上るための折り畳み式のハシゴを備えた車、うんてい


 鉄板や牛革を巡らせて防御力を上げたデカい箱に車輪が付いて、中に兵士を乗せて運べるしゃどう。二つとも機能は同じだが、鵝車はその名のとおり、ちょうみたいな格好に造られている。やぐらが備え付けられているのが、ひょいと首を伸ばした鵝鳥っぽい。


 ほかにも、投石機用の砲弾だとか、各種兵器だとか、草を束ねて牛の形に整えたやつ(よく燃えそうだ)とか、のうだとか、およそ攻城に適したあれこれがズラッとそろっている。


「連中も本気だな。こっちも本腰を入れねぇと」


 兄貴は城壁の四隅の守りを担う将官を呼び出した。東隅の劉津、西隅の吳強とりつ、南隅の林璋、北隅の王世修と陳簡。彼らにその役割を命じたのは十一月上旬のことだった。ついに、本当に、城壁を拠り所とする攻防が始まってしまうんだ。


 火薬仕込みのや投石機でぶん投げるための砲弾は、あらかじめ四隅それぞれの軍備や条件に合わせて配分してあった。兄貴はそれらの箭や砲弾を四隅の将官たちに与えて、周到に戦術を説き聞かせた。


 真剣な顔をしていた兄貴だったけど、一同の硬い表情を目に留めると、笑みを浮かべてみせた。


「焦らず着実に、目の前の仕事をこなしていけばいい。周知のとおりだが、城を巡る攻防は、守るほうが圧倒的に有利だ。俺たちは、五十万の大軍と真正面から戦う必要なんかない。ただ負けないだけで、五十万の大軍に勝てるんだ」


 責任感や焦燥感のために青ざめていた皆の顔が、少しだけ、ほころんだ。


 守るほうが有利だってのが定石でも、やっぱり心理的には閉じ込められているほうが苦しいに決まってんだ。その苦しさとどうやって戦っていくかが問題だよなって思うけど、兄貴が笑顔で励ませば、皆の肩の荷がいくらか下りる。


 頑張ろう。乗り切ってみせよう。



――――――――――



(*1)

対談役に選ばれたのは


 声がデカくて滑舌がいい、という理由かもしれない。原文にもいちいち「隔濠(濠を隔てて)」と書いてあるので、百メートルくらいの距離で怒鳴り合う対談だったことは明白。


 章時可の役職、撫幹については、十一月七日の超訳本文にも書いたとおり、現時点ではよくわからない。未詳の役職は後程まとめて調べ上げます。



(*2)

鹿角


 ろくかく。尖った木や竹を逆立てて組み、敵の侵入を防ぐ垣根。バリケード。濠の内側にも外側にも築いていた。羊馬牆の件は『襄陽守城録』の最後にある「まとめ記事」に掲載されている。



(*3)

大丈夫


 大の男、というのが本来の意味合い。「平気、問題ない」という現代的な意味合いではいつごろから使われるようになったんだろう?


 歴史小説や時代小説の場合には「具合はどうだ?」「大丈夫」という会話は時代考証的に危ういかもしれないので避けている。「大丈夫」の言い替えに悩むが、会津弁だと「具合あんべじょだ?」「さすけねえ」で問題なくクリアできる。方言は偉大だ。

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