原文

二十八日、公見城外屋宇已被虜人焚燒、而土庫牆壁尚存、賊每於牆外隱身、以射城上官軍。


公遂令將官許進部官軍三十人出城、毀斷牆壁。虜有三百餘騎來掩襲、許進殺賊五人、各梟首以歸。其間二人獨衣戰袍、必頭目人也。


又遣旅世雄・裴顯將所部人駕船往襄江西洲、與虜賊數千人弓弩交射、自辰至酉、賊退走、死傷甚多。



二十八日、公、見たるに、城外の屋宇、すでに虜人に焚燒せらるるも(*1)、土庫のしやうへき、尚存し、賊、つねに牆外に於ひて身を隱し、以て城上の官軍を射る(*2)。


公、遂に將官許進をして官軍三十人を部して城をで、牆壁をだんせしむ。虜より三百餘騎のきたりて掩襲する有り、許進、賊五人を殺し、各々おのおのけうしゆして以て歸す。其の間の二人のみ戰袍を衣するは、必ず頭目の人なり。


又、旅世雄・はい顯をつかはし、部する所の人をもつて駕船して襄江西洲に往き、虜賊數千人と弓弩〡交々こもごも射し、辰〡自り酉に至りて、賊、退走するに、死傷、はなはだ多し。




二十九日、諜知虜賊於東津搭浮橋、以便往來轉輸。公令以舊船載油灌乾草、遣習水人自上流放船、將至浮橋、焚草船燒橋、舟人即浮水登岸。


又遣旅世雄・裴顯將所部人往襄江西洲及江北岸、與虜賊交戰、射退。



二十九日、諜知するに、虜賊、東津に於ひて浮橋を搭し、以て往來 てんに便す。公、舊船を以て油灌の乾草を載せしめ、習水の人をつかはして上流 り船を放たしめ、まさに浮橋に至らんとすれば(*3)、草船を焚きて橋を燒き、舟人、すなはち浮水して岸に登る。


又、旅世雄・はい顯を遣はし、部する所の人をひきゐて襄江西洲及び江北岸に往きて、虜賊と交戰し、射退せしむ。



――――――――――



(*1)

被 受動態



(*2)

官軍


 趙淳が連れてきた軍勢(趙家軍)のことと解釈している。敢勇軍発足以前に城壁四隅の担当が決められたように、官軍が城壁防衛を担っている模様。


 これに対し、敢勇軍は主に城外に出て奇襲や水上戦、土木工事をおこなう。



(*3)

將 まさに~せんとす

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