原文
二十五日、遣撥發官旅世雄部敢勇軍六千餘人劫燒虜寨。駕船至五娘子廟、迎見番軍在江岸驅虜人畜、旅世雄登岸迎戰、奪到馬六匹、救回被虜百姓老小千餘口。至夜、又差統領扈立並敢勇軍茶商廖彥忠・路世忠・張聚等部押千人出南門、至虎頭山等處劫寨。
二十五日、撥發官旅世雄を
二十六日夜、遣旅世雄・將官裴顯領敢勇軍六千餘人往城西北江上、與虜交戰、奪到載糧米船二隻。
二十六日夜、旅世雄・將官
二十七日、虜賊於城西插旗、書招安字、以數人守之。公遣膽勇人李超下城、奪旗以歸。守者散走。是夜、又遣旅世雄・裴顯將所部敢勇軍出城、駕船渡江北劫寨、燒毀糧船・渡江船。
二十七日、虜賊、城西に於ひて旗を
――――――――――
(*1)
劫 きょう
強奪する。襲撃する。今後、頻出する。
敵から襲われる場合に使いそうな強烈な意味合いの言葉を自軍に用いるセンスが面白い。実際に敵軍の寨を破壊して食糧や物資を奪っているので、非常に正しい字なのだが、それをしっかり日記に残すあたりが率直で憎めない。
(*2)
被虜
この「虜」はタコ金のことではなく、字面どおり「とりこ」。
(*3)
廖彥忠
原文では「廖彥志」となっていたが、他所と比較して「廖彥忠」が正しいと判断し、改めた。
(*4)
與虜交戰 りょとこうせんす。與は与の旧字。
思い付いたときに書いておく。「與/与」は「~と」と読む。並列の場合は「趙萬年與旅世雄(趙萬年と旅世雄と)」と読み、返り点は旅世雄の後に打たれる。
「與/与」の一字で「あたえる」の意味合いに使われることは少ない気がする。「と」が最も多く、次いで副詞「ともに」、動詞の場合は「くみする」が多い。
(*5)
遣 使役。つかわして~せしむ。
最初のころにも書いたが、ここで再び。これ以降、戦闘が本格化すると「趙淳が誰々を派遣して何々の任務を遂行させた」という文が頻出する。
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