九.十一月二十五日到二十七日。敢勇軍がめっちゃ強かった。

超訳

 十一月二十五日、敢勇軍の初出動だ。リーダーははつはつかんの旅世雄。敢勇軍の兵士六千人あまりを率いて、タコ金軍のさいに襲撃をかける。


 撥発官っていうのは、輸送船団を指揮する役職だ。襄陽みたいな水辺の城市には多い。船乗りの中でもリーダーシップがあって腕っ節の強いヤツが任命される。


 出発に先立って、兄貴がオレに声を掛けた。


「おい、阿萬」


 全部聞かなくてもわかっている。


「行ってきます」


 外の様子を探ることと、敢勇軍の働きを確かめること。兄貴の無言の命令を受けて、オレは船上の旅世雄に呼び掛けた。


「オレも連れてってもらえませんかー?」

「あんたは、趙家軍の?」

「趙萬年です。みんなからは阿萬って呼ばれてます」

「趙都統の弟分だよな。いいぞ、乗れ」

「ありがとうございます!」


「船酔いするなよ」

「しませんよ。オレだってけいがく育ちの旅暮らしなんすから、船は乗り慣れてます」

「そうか。俺のことは永英と呼べ。あざなだ。俺は、役職なんぞで堅苦しく呼ばれるのは苦手でな」

「了解っす、永英」


 敢勇軍の船団は襄陽を出た(*1)。百人くらい乗り組める平底船が多い。輸送船と戦船の中間みたいに見える。甲板を覆い尽くすように屋形が建てられている。屋形の壁や屋根は硬い牛皮を張って防御力を上げている。


 船の動力は、舷側に設置された車輪だ。車輪ってのは、水車をイメージしたらいい。車輪をガシガシ回して水を掻いて進むんだ。片側に四輪ずつ、計八輪付いている型が多い。


 永英こと旅世雄が乗り組む船が先陣を切っている。旅世雄の船とその周囲を固める一団の船は、敢勇軍船団の中でも特にいかつい戦船だ。


 亀の甲羅みたいに油断のない格好をした屋形、壁には矢間やざま。船体は、体当たり攻撃も可能なようにあちこち鉄で補強されている。


「飛虎戦艦ってやつでしょう、これ」

「話に聞いたとおりに試作してみたんだ」


「戦船の中じゃ中型に分類されるとはいえ、やっぱデカいっすよね。全長十丈くらいあるんでしょ?(*2)」

「ああ。水に慣れていないタコ金の連中は間違いなく、水上を走る巨大な車に肝を潰すぜ」


 じょうびょうのあたりまで船を進めると、タコ金軍の見張り部隊が川岸で家畜を世話しているのが見えた(*3)。鶏に豚、それと軍馬。


「そのへんの農村を襲って奪った家畜かな。長期戦の備えってわけだ」


 オレの言葉に、旅世雄はうなずいた。


「農村を襲ったなら、家畜だけ生かして奪うとも考えにくい。人間の捕虜もいるはずだ」

「奪い返しましょう。連中、こっちの船を見て、明らかにビビッてますから」

「もとよりそのつもりだ。よし、初仕事だぜ、敢勇軍! 張り切っていくぞ!」


 敢勇軍の動きは素早かった。車輪で水しぶきを撥ね上げながら船を岸に寄せたと思うと、旅世雄を筆頭に、ものを引っ提げた兵士が続々と上陸する。ときの声が轟く。


 タコ金軍はすっかり度肝を抜かれていた。弩を構えもしないどころか、逃げることさえままならない。


 あっという間だった。

 敢勇軍は猛烈な勢いでタコ金軍を蹴散らした。


 戦利品は、人間たちの混乱にも動じなかった剛胆な軍馬六頭と、捕虜にされていた一般人が千人以上。年寄りも子どももいた。保護してやらないと、こんな戦場の真っただ中じゃ生きていけない人たちだ。


 城内の保甲の隣組を編成し直さなきゃいけないな。住まわせる区画を決めて、火の用心のルールも徹底させる。兄貴の仕事がまた増えちまう。


 オレはそう思って、少し気が重くなった。が、旅世雄は剛毅で呑気なものだ。


「襄陽がまたにぎやかになるな」

「まあ、そうっすね」

「これだけ働き手が増えりゃ、や砲弾が不足する心配が減る」

「え?」


「何をすっとぼけた顔してるんだ? 箭も砲弾も、使えばなくなるだろう?」

「そりゃそうですけど」

「こういうデカい船を使って戦うようなことがあると、箭や砲弾なんか、ほんの数日で尽きちまう。でも、まともな品を買いそろえるための金も時間もない。そんなとき、どうする?」

「どうって……ええと、襄陽の敢勇軍って、かなり戦い慣れてます?」


「昔から小競り合いの絶えねぇ土地柄だからな。タコ金とやり合うこともあれば、茶賊として朝廷のいぬを相手に暴れることもある。上等の武器や道具や兵器ばかり使ってもいられねえ」

「たくましい」


「まともな箭や砲弾がなけりゃ、代用品で戦う。布の端切れを矢羽根代わりにしたり、黄土を固めて砲弾にしたり。そういう手作業は案外、女や子どもや農夫がうまい。城内の者をどんどん働かせりゃいいって話は、すでに趙都統には通してあるぜ」

「なるほど。じゃあ、ここで保護する人たちも、ある意味、襄陽の貴重な戦力になり得るんですね」


 敢勇軍は緒戦を勝利で飾った。そして、破竹の勢いでタコ金軍の寨への奇襲を成功させていく。


 十一月二十五日の夜、趙家軍の統領であるりつと協力して、敢勇軍の茶商、りょうげんちゅうと路世忠とちょうしゅうが千人を率いて南門から出て、虎頭山とその近辺の寨を襲撃した(*4)。


 二十六日の夜、旅世雄と将官のはいけんが敢勇軍兵士六千人あまりを率いて、襄陽の西北の水上でタコ金と交戦し、米を満載した輸送船二艘を強奪するのに成功した(*5)。


 二十七日、タコ金が襄陽の西側に「招安あきらめろ」と書いた旗を立て、数人でこちらの様子をうかがっていた(*6)。兄貴が度胸の据わった男を募ると、名乗りを上げた李超は城を出て船を漕いでタコ金の連中に食って掛かり、追い払って、見事に旗を奪って帰ってきた。


 その夜、旅世雄と裴顕は敢勇軍を率いて船を出し、漢江を渡って北岸に置かれた寨を奇襲すると、タコ金の食糧輸送船や渡し船を焼いた。


 兄貴にとって敢勇軍の戦果は嬉しい驚きだったみたいだ。


「まさかここまで戦えるとはな。城壁の見張りや城内の警備の手助けになれば、という程度しか期待していなかったんだが」

「はい。永英……ああ、旅撥発官のことですけど、永英は人柄もすげぇ頼もしいし。船、カッコいいし」

「阿萬がそう認めるなら心強い」


「でも、そういえば永英、最初は兄貴の考えがわからなくてビビッてたって言ってましたよ。リーダーシップがあるのか恐怖政治の独裁者なのか、どっちなんだろうって」

「そうか、萎縮させちまってたか。心に留めておこう。これからどのくらいの期間ここに籠城しなけりゃならないか、まったくわからねえ。できるだけ多くの者と確かな信頼関係を結んでおくことは大事だな」


 冬の半ばの一日。川面から吹く風は冷たい。でも、襄陽の戦意は静かに燃え始めたところだ。


 強い熱を感じる。



――――――――――



(*1)

船団


 船については、『宋史』や『元史』に掲載された水上戦の描写から、戦船が両輪を備えていたことがわかる。飛虎戦艦は『宋史全文』巻十八上に登場する。


 庶民の生活を描いた絵画資料『清明上河図』には当時の大河と運河における運搬船の姿が見える。


 ウィキペディアのようなオンライン百科事典「互動百科」等にも「中国古代戦船」に関する記事が投稿され、船のサイズや乗組員の多寡などの数字まで具体的に書き込まれているが、ソースを知りたい。書いてない。困る。


 ちなみに、同時期の外洋船については、海陵島沖の「南海一号」、新安沖沈没船などの水中考古学のデータがある。尖底船で、船倉は十以上の区画に分けられ、木材の隙間には布などを詰めてタールを塗り込める。


 そうした考古学的調査で得られた大型外洋船の特徴は、マルコ・ポーロの証言とも一致する。同時代の漢文資料もほしいところだが、現在知られる海や船に関する書籍は明代のものばかりだ。自力でどうにか資料発掘せねば。



(*2)

十丈


 約三十一.二メートル。この長さの船の場合、幅は五.五メートルほどになる。



(*3)

五娘子廟


『讀史方輿紀要』巻七十九によると、五娘子は襄陽の東五里(約二.九キロメートル)にある。



(*4)

虎頭山


『万暦襄陽府志』巻六、山川によると、襄陽の西南三里(約一.七キロメートル)にある。



(*5)

将官


 敢勇軍の部隊長クラスが持つ役職のようだが、具体的にはよくわからない。



(*6)

招安


 敵を投降させる、帰順させる。招撫とほぼ同意。

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