原文

二十二日、薛宣撫以書來、謂二帥不必俱在襄陽、欲以魏帥策應德安(*1)。公方以郢州・德安無備為慮、遂遣魏帥領兵去德安。


公以城中兵少、遂立旗募茶商勇悍之人。雖經配隸者、皆不問所從來、名為敢勇軍、應募者翕然。公厚加激犒、人皆思奮。


襄江多灘磧。公遣官兵防守。虜數令人測水、屢為射退。適天久不雨、江流日淺。


二十二日、薛宣撫、書を以てきたらしめ、謂へらく(*2)、二すい、必ずしもともに襄陽に在らず、魏帥を以て德安に策應せしめんと欲す。公、まさえいしう・德安、備へ無かるを以て慮と為すに、遂に魏帥を遣はして領兵して德安にかしむ(*3)。


公、城中、兵少なかるを以て、遂に旗を立て、茶商勇悍の人を募る。配隸を經る者といへども、皆、從來する所を問はず、名づけて敢勇軍と為すに、應募する者、きふぜんたり。公、厚く激犒を加へ、人、皆、奮はんことを思ふ。


襄江、灘磧多し。公、官兵を遣はして防守せしむ。虜、數々しばしば、人をして測水せしめ、屢々しばしば、為に射退す。適々たまたま、天、久しく雨ふらず、江流、日に日に淺し。



――――――――――



(*1)

『宋史』巻三百九十七、列傳第一百五十六、薛叔似の伝に、

「時宣司兵戍襄陽、都統・副統制與統制不相下、渭孫死之、叔似遂自劾委任失當。」


(開禧の用兵という)時に当たって、襄陽に軍を派遣して防御の強化を図ったが、都統の趙淳、副統制の魏友諒、統制の呂渭孫は皆、金軍を撃破できず、呂渭孫はこの戦いのために死に、薛叔似は結局、職務に耐えうる能力や資格がないとして自らを弾劾した。


 十一月二十二日の記録から薛叔似にたどり着き、さらに正史に掲載された薛叔似の記事の中に『襄陽守城録』の登場人物の名前を見付けたときの筆者の「ヒャッハー☆」状態をご想像いただきたい。


 魏友諒の肩書は、『襄陽守城録』によれば江陵副都統だが、薛叔似の伝では副統制になっている。副都統のほうが位が上である。副都統印をめぐる一件が具体的に書かれていることからも、趙萬年の記録のほうが正確であるように感じられる。


 呂渭孫が戦死したことになっているのは、趙淳と魏友諒が偽りの報告を朝廷に送った結果ではないか。襄陽城内の士気を保つため、呂渭孫の暴発は秘密裏に処理されたとも考えられる。



(*2)


 思い付いたので書いておく。「いう」には「謂」「言」「曰」「云」があり、報道の道と同じ用法の「道」、告白や白状と同じ用法の「白」もある。


「云」は、セリフの末尾に置かれて、「~と云ふ」として使われることもある。


「云」についてはもう一点、注意事項。漢籍のデジタル化では、現代中国語の簡体字から旧字体に一括変換する処理を経るらしく、元来の「云」が、簡体字で「云」と書く「雲」と混同され、漢籍本文では「雲」に化けている。


 簡体字と古字の混同の例では、ほかに「面」と「麺」、「制」と「製」があった。ほかにもあるだろう。ゆえに、現代人の処理を経たデジタルテキストだけでなく、古い版のものも同時に参照しなければならない。


 いや、複数種のテキストを互いに参照しながら研究を進めるのは、歴史学の伝統的スタイルだが。


 字の混同やヒューマンエラーは活版印刷の時代にも当然ながら存在した。また、時代ごとの「忌み字」のために文面が変わることもあった(。皇帝の本名と同じ字は恐れ多いので避ける)ので、一種類のテキストを読み込むだけでは不十分だ。


 複数種のテキストを見比べながら、より原書に近い記述を探るという研究手法では、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の写本の話が面白いのだが、あまりにも話題が暴走している気がするのでやめておく。最初は「謂」の話だったよなあ……。


 マルコ・ポーロ関連の本気のオススメ研究本は以下。


 愛宕松男『東方見聞録 1・2』(平凡社、一九七〇)


 Francois Avril・Marie‐Th´er`ese Gousset(原著)、 月村辰雄・久保田勝一・小林典子・駒田亜紀子・黒岩三恵(翻訳)『全訳 マルコ・ポーロ東方見聞録―『驚異の書』fr.2810写本』(岩波書店、二〇〇二)



(*3)

郢州


 現在の湖北省荊門市にある鍾祥市。グーグルマップのルート検索によると、襄陽市から鍾祥市まで高速道路で百二十六キロメートル、約二時間。鐘祥市から徳安こと湖北省孝感市まで高速道路で百八十五キロメートル、約二時間ニ十分。


 歴史小説を書くときにグーグルマップの航空写真とルート検索にお世話になりまくっているのは筆者だけではないはず。古戦場の分析などにも便利。

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