六.十一月十八日。兄貴は手紙で絶交宣言した。

超訳

 白河口の対談の翌日、タコ金軍の使者が襄陽の濠の向こう側に現れた。城壁の見張りに当たっていた趙家軍の兵士が船を出して使者の素性を確かめて、兄貴に報告に来た。


「使者の姓名は向明、役職は主簿(*1)。完顔ワンヤンきょうと副統の何某の手紙を持ってきたようです。城に入れますか?」


 兄貴は眉間にしわを刻んだ。


「昨日の話の続きか? しつこい。俺の意志は変わらん。とりあえず手紙は読んでみるが、使者は城外に留めおけ」


 そうは言ったものの、一応そこそこちゃんとした肩書の人に対応させたほうがいいだろうってんで、兄貴の実の弟の趙内機と宣参の譚管伴に行ってもらうことになった(*2)。


 やがて、使者が持ってきた手紙が兄貴のもとに届いた。手紙に目を通すうちに、最初から険しかった兄貴の表情が、ほとんどガチギレ状態になった。


「何が書いてあるんすか?」

「昨日の話と同じだ。宋と金賊は一つの家のもとにある、とな。ふざけんじゃねえ!」


 兄貴は手紙を地面に投げ捨てた。文面をのぞき込んで見れば、確かに、昨日聞いた話と同じだ。


「招撫に応じるなら厚遇する、タコ金の皇帝の下に全中国を統一して新たな秩序を、か。宋の政治なんかグダグダなんだからバカバカしくなんねぇのかって、それはまあ、そうなんだけどさ」

「だから故国を捨てて敵国に走れとそそのかされて、はいそうですねなんて言えるはずねぇだろうが。どうして金賊と手と手を取り合って連中の皇帝を崇め奉れるってんだ!」


「今までずっと命張って戦ってきて、いきなり信用しろとか味方になれとか、うなずけねぇし」

「おい、阿萬、筆記用具を持ってこい。手紙の返事を書く」


 胸クソ悪い誘いに、一刻も早く「お断り」の一言を叩き付けてやりたいって気分なんだろう。兄貴は凄まじい勢いで手紙を書き上げた。



***



 昨日、董萬戸からの伝言で貴公に対談の意志があると知り、俺もそれを承知して、話をしてみようと思った。


 いくぶん離れた場所から互いの立ち居振る舞いや表情をうかがう機会を得たが、しかし、やはりわいの南と北に国を構える我らと貴公らではどうしても相容れないと感じた。


 そして今日、使者のもたらした手紙を読んで、ますます貴公らの意図を理解しがたく思う。副都統とやらの手紙にはこう書かれていた。


「完顔匡公のご身分を存じているか? 相公とは、すなわち、皇帝のおそば近くに付き従うほどの高官であるぞ。それほどのご身分のおかたが、どうして不忠不孝などという、人の道から外れるおこないを他人に強いるというのか」


 どうやら副都統とやらは理解していないようだな。俺の忠孝の道は貴公らの忠孝の道と決して交わりはない、ということを。


 我らが聖朝、宋は、そもそも金とは不倶戴天の憎しみを抱えている。中原という文明発祥の地、漢族すべてにとっての故郷を奪われたのだ。貴公ら女真族にも、奪われてはならぬ聖地や故地はあるだろう? 思い描いてみればいい。


 しかし、憎しみのままに戦を呼び込むことは愚かしい。宋に生きる人民のため、和議の締結を受け入れた。それが両国間の歴史だ。


 ところで、貴公らは宋の政治を批判するが、ひるがえって金の国情はどうなのだ?


 去年は長雨だった。今年は逆に雨が少ない(*3)。農作物の被害が出たのは金も同じだと聞く。金の朝廷が人民の飢えを黙認して放置したため、国境沿いの町では金の人民によって牛や馬、食糧が奪われる事件が起こっている。


 公の場での振る舞いはどうだ? 金から宋へ賀正の挨拶に上がる正使は礼儀知らずで見るに堪えないと、もっぱらの悪評だ。


 それに、我が宋から遣わした通信使の待遇もひどいもので、罵倒をぶつけたり、立札までたくさんこしらえて悪口雑言を書き連ねる。これは一体、どういうりょうけんだ?


 此度、そうようなどの場所で宋の軍勢は貴公らの軍勢と衝突した。現時点では俺たちのほうが負けの数が多い、と? だから何だ。勝ち負けのやり取りが起こることは、兵家の教えに照らせば当然のこと(*4)。


 とはいえ、貴公ら、被害の規模を直視すべきだろう。貴公らの人馬の損害は、俺たちに比べて何倍にもに上るはずだ。


 五胡十六国時代、前秦の苻堅は、東晋の征服を目指して百万の兵を率いたが、淝水の戦では多様な要因が絡まり合い、たった七万の兵に敗北を喫した(*5)。


 史実として、このような出来事があったのだ。貴公がいかに膨大な兵力を誇示したところで、戦の結末、ひいては国の趨勢は、そう単純に決するものではない。歴史に学んでみてはいかがか?


 俺が守護する襄陽を甘く見るな。もともと襄陽の城壁は高く固く、濠と漢江の守りもある。まさに金城湯池というやつだ(*6)。この国境沿いで叩き上げられた兵士と馬も強者ぞろい。それが今、襄陽に集っている。


 辺境の軍事を任じられた一武人など、取るに足りない身だ。学もなければ視野も狭い。俺にできるのは、ただ、仲間と力を合わせて役割を果たし、国のために戦うことだけ。それ以外の生き方を知らない。


 残念ながら、貴公がどんなに使者を寄越して俺に説得や命令を試みても、俺には貴公の話を呑む心づもりはない。無駄なことをなさるな。使者など、今後一切、送って寄越さないでいただきたい。


 此度の使者には俺の手紙を持たせ、貴公のもとへお返しする。貴公らが俺に送った手紙もお返しする。俺は貴公らから何一つ受け取らない。絶対に。



***



 一気に書き上げた兄貴の手紙を横から見て、思わず「すげえ」と言ってしまった。


「これ、マジで送り付けるんすか?」

「当然だろう」

「率直すぎません? この手紙、スラングが交じってないからパッと見はまともですけど、挑発と取られてもおかしくねえっすよ」

「実際に挑発してるからな。挑発しようがしまいが、どうせ連中は攻めてくる。だったら、言いたいことは言っちまって、スッキリするほうがいいだろう」


 そう言いながら兄貴は、最初に手紙を読んだときとは違う、スッキリした顔をしている。ストレスは籠城戦の大敵だし、まあ、兄貴が正しいと思うことをすればいいか。


 完顔匡からの手紙にはキッチリ痛烈な返事を書いた兄貴は、副統とやらの手紙には冷淡で、「貴公の手紙に対する答えは、完顔匡への返事からすべて読み取れるはずだ」の一筆で済ませてしまった。


 兄貴の返事を持った使者は、タコ金の軍営へと帰っていった。



――――――――――



(*1)

主簿


 官名。帳簿をつかさどる官で、すべての地方行政区に置かれた。知事の補佐を務める。



(*2)

宣参


 わからん官名がまた出てきた……。



(*3)


 前年(一二〇五年)については『万暦襄陽府志』巻三十三、災祥に、開禧元年九月に漢江が氾濫したと記録されている。


 今年(一二〇六年)については『襄陽守城録』の中に、雨が少ないために漢江の水位が下がっているという記述がある。



(*4)

兵家


 中国古代の思想で、諸子百家の一つ。軍略と政略を説く。代表格は孫子。



(*5)

苻堅


 五つの異民族が次々と華北に国を建て、目まぐるしく勢力争いを繰り広げた五胡十六国時代において、前秦の一時代を築いた第三代皇帝。腹心の王猛を宰相とし、十六国時代で唯一、華北統一を成し遂げた。


 苻堅が政権を握る前秦は、周囲の異民族国家を呑み込みながら、民族差別をおこなわない理想主義的な政治を展開し、江南の東晋をも脅かすようになる。


 しかし、三八三年、百万の兵力を号して淝水(現在の安徽省寿県の東南)でわずか七万の東晋の軍勢とぶつかって惨敗。この敗戦がきっかけで統率力を失った前秦は衰退の道をたどる。


 五胡十六国時代については、佐藤氏の『崔浩先生の「五胡十六国」講座』(カクヨム、二〇一七‐)が要領を得てわかりやすく、非常に面白い。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881962323


 また、佐藤氏の著書には、瞳に紫光を宿す苻堅がラスボス的な存在として描かれる『斯くして鳳皇、紫微垣より』(カクヨム、二〇一七)もある。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882893473



(*6)

金城湯池


 きわめて守りが堅い城のこと。湯池は熱湯が沸き立つ濠。

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