原文

十七日、聞虜人欲於白河口抓紥船筏過江。公單騎至江頭、看虜有無船筏。至中途、遇統領董張珍報、隔江有虜人叫言「完顏相公欲請招撫打話」


及到江頭、完顏果至、緣水隔一洲。公欲上船渡水間、眾言虜人多詐、皆不欲公去。自謂「受國厚恩、一死何惜」即渡往洲上、相去四五十步。有打紫傘稱都統相公者、乃完顏也。其人身材長大、年約五十以上、前後人從整整圍繞數重。公隻將數人、亦張紫蓋、立於洲上。


虜言「傳語招撫。管軍不易」公亦回傳語。虜言「我已屠棗陽、下光化、席卷神馬坡。又發人馬去取隨・信・德安。招撫可聞早拜降」


公答云「自古用兵、有勝有負。你有軍馬、我亦有軍馬、所在為備。你何曾取了我州府。這般言語、隻是恐嚇得百姓莊農。我本朝軍馬、已於下江清河口等處殺北軍甚多、燒子船千百隻、想你不知」


虜又言「你出師無名」


公答云「兩國和好多年。我本朝亦要寧息、隻因南北榷貨相通、商旅因買賣或生仇隙、至相殘害。我朝廷曾降黃榜、約束邊民、如有輒過北境者、依軍法處斬。緣小人喜亂、南北之人互相抄掠牛馬、因而引惹生事、遂至今日」


虜又言「都是皇甫斌」


公答云「正緣是他容蔽此事。朝廷已將他遠竄海外」


虜言「好好招撫。說話分曉」又言「我得皇帝聖旨、不殺南邊百姓」


公答云「你將我邊民殺了甚多。卻如何道不殺」


虜言「不曾。都自安業、自家懣相近為一家人」又言「我北軍東已自海泗、西已自川蜀、有二三百萬軍馬分頭並取你州府、席卷而來。襄陽雖有城、你不可恃。招撫太尉如此分曉。豈不察天意。我得指揮取襄陽、且看襄陽許多生靈面、聞早拜降。若早拜降、我也不入襄陽府城、便自回去」


公即叱之云「各事其主、惟當以死報國。安有降理。我隻有韋孝寬故事。你有軍馬、我亦有軍馬、我更有長江之險、無限戰船、以待你來」


完顏語塞、遂言「招撫好將息」上馬擂鼓而去。



十七日、聞けらく、虜人、白河口に於ひてせんばつさうさつし、江をよぎらんと欲す。公、單騎にて江頭に至り、虜の船筏有りや無しやをんとす。中途に至り、遇々たまたま、統領董張珍、江を隔てて、虜人、叫言すること有るを報ずるに、「ワンヤンしやうこう、招撫の打話を請はんと欲す(*1)」


江頭に到るに及び、完顏、果たして至り、水にりて一洲を隔つ。公、上船して水間を渡らんと欲するも、しう、虜人、多く詐するを言ひ、皆、公、くを欲せず。おのづから謂へらく、「國より厚恩を受くるに、一死、何をか惜しまん(*2)」すなはち渡りて洲上に往き、あひ去ること四五十步(*3)。紫傘を打して都統相公をしようする者有り、すなはち完顏なり。其の人、身材長大なり、年、約五十以上、前後、人從ひ、整整としてぜうすること數重なり。公、わづかに數人をひきゐ、また、紫蓋を張り、洲上に立つ。


虜、言へらく、「招撫をでんす。管軍、易からざらん」公も亦、傳語にこたふ。虜、言へらく「我、すでさうやうほふり、光化を下し、神馬坡を席卷す。又、人馬を發してきて隨・信・德安を取らん(*4)。招撫、聞くべし。早く拜降せよ」


公、答へて云へらく、「古り、用兵、勝つ有り、負くる有り。なんぢ、軍馬有り、我も亦、軍馬有り、所在、備へを為す。你、何すれぞかつて我が州府を取了せんや。しやはんの言語、ひとり是れひやくせい莊農を恐嚇し得るのみ(*5)。我が本朝の軍馬、すでに下江の清河口等の處に於ひて北軍を殺すことはなはだ多く、子船千百隻を燒く(*6)。想ふに、你、知らざらん」


虜、又、言へらく、「你がすい、無名なり」


公、答へて云へらく、「兩國の和好、多年なり。我が本朝も亦、寧息を要とするも、ひとり南北の榷貨、相通ずるにりて、商旅、買賣に因りてあるひは仇隙を生じ、あひ殘害するに至る。我が朝廷、曾て黃榜を降し(*7)、邊民を約束し、すなはち北境を過ぐる者有れば、軍法にりて斬に處す(*8)。緣りて小人喜亂し、南北の人、互相に牛馬を抄掠し、因りてしやうを引惹して、遂に今日に至る」


虜、又、言へらく、「すべて是れくわうひんなり」


公、答へて云へらく、「正に、是れ、かれ、此の事を容蔽するに緣る。朝廷、已に他をもつて海外にゑんざんす」


虜、言へらく、「好く好く招撫せん(*9)。說話、分曉ならん」又、言へらく、「我、皇帝の聖旨を得るに、南邊の百姓を殺さざらん(*10)」


公、答へて云へらく、「你、我が邊民を將て殺了することはなはだ多し。かへりて如何いかんぞ殺さずとはんや(*11)」


虜、言へらく、「曾てせず。すべて自づから安業すれば、自家懣、一家の人と為るに相近し(*12)」又、言へらく、「我が北軍、東、已に海泗にり、西、已に川蜀に自り、二三百萬の軍馬、分頭して並びに你が州府を取り、席卷してきたる有り。襄陽、城有りといへども、你、たのむべからず。太尉を招撫するに、くの如く分曉なり(*13)。に天意を察せざらんや(*14)。我、得てして襄陽を取るを指揮し、つ襄陽の許多の生靈の面を看て、早く拜降せんことを聞かん。し早く拜降すれば、我や、襄陽府城に入らず、便すなはち自づから回去す(*15)」


公、即ち之を叱りて云へらく、「各々おのおの、其の主につかふれば、ただまさに死を以て國にむくゆべし。いづくんぞ降るの理有らんや(*16)。我、隻り韋孝寬の故事有り。你、軍馬有り、我も亦、軍馬有り、我、さらに長江の險、無限の戰船有りて、以て你の來るを待つ」


完顏、語塞ぎ、遂に言へらく、「招撫、よろしく將息せよ(*17)」上馬し、擂鼓して去る。



――――――――――



(*1)

相公 宰相、大臣の意。


 辞書を引くと、妻が夫に対するときの敬称(旦那さま)、紳士に対する敬称、富貴の子弟、男の俳優、といった意味もあるらしい。



(*2)

何 反語。


 読み方が多種多様にある。「なんぞ」「なにをか」「いづれぞ」など。文脈に応じ、辞書を参考にしながら書き下す。



(*3)

相 副詞。あい~する。


 動詞の前に置かれ、「一緒に」「互いに」「協力して」などの意味を表す。


 個々人の書き癖にもよるかもしれないが、思いがけないほど頻繁に文中に登場する。リズムを整えるため、強い意味を持たない場合にも使われる気がする。慣れるまでは地味に読みにくい字。



(*4)

『金史』巻九十八、列傳第三十六、完顔匡の伝に、

「遣前鋒都統烏古論慶壽以騎八千攻、遣左翼提控完顏江山以騎五千取、右翼都統烏古孫兀屯取、皆克之。軍次白虎粒,都統完顏按帶取、烏古論慶壽扼赤岸、斷・漢路。宋隨州將雷大尉遁去、遂克。於是宋鄧城・戍兵皆潰。……匡進兵圍、……。十二月、敗宋兵二萬人於之東。」


(*5)

百姓 ひゃくせい。百の姓の者たち、つまり、多くの人民の意。


 漢文に出てくる百姓は、農民ではない。また、日本史の範疇においても、陸の田畑からの税収が見込まれない島嶼部などでは、戸籍に百姓と書かれた人々は農民ではなく漁師・海夫である。


 日本の「百姓」論は、網野善彦の中世史研究の諸書に詳しい。悪党・海賊・遊女など、身分制度の外側にいる人々に焦点を当てた研究はかなり面白い。



(*6)

『宋史』巻三十八、開禧二年冬十月丙子の条に、

「金人自渡淮,遂圍楚州。」



(*7)

黃榜 皇帝の命令を書いた札。



(*8)

如 仮定。もし。


 仮定は「し」のほかに「し」「如使もし」「如令もし」「かりに/仮に」などがある。


 如と若には「ごとし」という読みもある。比喩だけでなく、仮定に近い意味合いで使われることもある。


 東洋医学の書物には「若冷者死」のような言い回しがよく出てくるが、「冷ゆる者のごときは死す」は「もし体が冷えるなら、死んでしまう」という意味なので、「ごとし」は比喩ではない。



(*9)

好好招撫


 ハオハオ……現代中国語的というか、俗語? 地味に戸惑ってしまった。「なんじ」という二人称も俗語? 「なんじ」は「若」か「爾」しか漢文の教科書に出てこなかったぞ。


 そういえば、清代の文章は皇帝の言葉すら現代中国語的で、崩れがちに見えて、しかも「俺」という一人称を使っているのが目に入ったときは現代日本人の感覚としてぶっ飛んだ。



(*10)

聖旨 皇帝の考え、心持ち、命令。



(*11)

如何 疑問。いかんぞ~せんや。



(*12)

自家懣 自家們に同じ。私たち。


「懣」は本来「もだえる」と読み、恨みを抱くさまや憤るさまを表すが、「們」と発音が同じであるため、「們」と同じ用法で使われることもある。


「懣」と「們」では意味がまったく違う上、日本語の音読みは「マン」と「モン」で異なるため、「們」にたどり着くまでに苦労した。


 古い時代の俗語が現代中国語においては方言として残っているケースもあり、オフィシャルでない漢文を読む場合、現代中国語における広辞苑のような辞書に助けられたりする。


 漢和辞典でダメな場合は、中日辞典を当たってみるのも手。日本語には使われない略字体の場合、中日辞典にしっかり載っている。そしてこの場合の「中日」はドラゴンズとは関係ないのに頭の中でバク転し始めたお調子者のコアラをどうにかしてほしい。



(*13)

太尉


 古代中国で置かれた軍事専門の最高ランクの大臣。常設ではなく、必要に応じて宰相が兼任する模様。したがって、かんたくちゅうのことだと思う。


 ちなみに、よく見掛ける軍制における「大尉」とは別物。「太尉」は点が一つ多いことに注目。



(*14)

豈 反語。あに。



(*15)

我也 也は強意の助詞。我こそは。


 漢文では文末に置かれ、断定を意味する「なり」となることが多い。たまに文の途中に置かれ、「~するや否や」の「や」のように使われる。


 ちなみに、現代中国語で「我也」とあれば「わたしも」という意味になる。



(*16)

安 反語。いずくんぞ。


 ~だろうか、いや、~ではない。「安」は、反語ではなく疑問を表すこともある。文脈から判断する。


 経験則だが、反語表現の場合、前後に「當(まさに~すべし)」や断定の終助詞「也/耳」を含む文章を伴い、話者の意志がハッキリと示されているケースも多いように思う。


 反語表現は、カッコつけたような、持って回ったような雰囲気になる。二重否定も同様。反語と二重否定の合わせ技はかなり鬱陶しい。意識高い系の士大夫が好んで使うイメージ。


 その点、趙萬年の文章はとても素直で、趙淳のセリフに時おりカッコつけが入る程度。地の文に駢儷文ブンガク的な言い回しが差し挟まれることもない。そんな文章から受ける印象を、超訳文中の趙萬年のキャラクターや語り口に投影しているつもり。



(*17)

將息 休憩する。養生する。


 ここでの使い方は休憩でも養生でもないようだが、意訳すると「考えておいてくれ」か、「話はおしまいだ」か。完顔匡は翌日にも招撫の手紙を趙淳に送ってくるので、超訳では「考えておいてくれ」にした。


 将息は、手紙の末尾に書いて「ご自愛ください」のような意味で使われることもある。また、古い用例では「こんばんは」の意味で使われることもある。「ニュアンスで察してくれ」的な文章は本当に難敵。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る