超訳(二)
夜になると、ずいぶん冷え込んだ。盆地だし水辺だし、しっとり湿った夜気が底冷えを招くんだろう。
「薪、足りるかな?」
夕方まで民家だった建材の山を眺めながら、オレは不安を感じた。
一万ちょっとの兵力じゃヤバいと思っていた。でも、人間が集まったら集まったで、食糧や物資が足りねぇんじゃねぇか、飢えて凍えて死んじまうんじゃねぇかと、また違った怖さが足の下から這い上がってくる。
「どうした、阿萬? 疲れたか?」
「まあ……ここまでデカい戦は初めてなんで」
「眠れるようなら、今のうちに眠っておけ。緊張しっぱなしじゃ倒れるぞ」
「兄貴は? 兄貴こそ、ずっと気を張り詰めてんでしょう? ちっとは休んだんすか?」
「俺はまだ休めねえ。さっさと兵員の配置図を決めてやらにゃならねぇからな」
兄貴は城壁を東西南北の四隅に分け、それぞれに責任者を置いて、早速、警備に当たらせた。本司左軍統制の劉津は東隅、江陵左軍統制の吳強と統領の
投石機や武器類も城壁上に運んで、仮の配置で並べておく。各隅の人数や兵器のバランスは追々、調整していくことになるだろう。城壁から見下ろす濠は黒々としていた。半分だけの月も、いつの間にか沈んでいた(*1)。
誰もがくたびれ果てている。だって、じっとしていると恐怖にさいなまれるから、とにかく動くしかないんだ。でも、動かし続けた体はそろそろ本当に疲れ切って、言うことを聞いてくれない。
作業を一段落させて兄貴と合流すると、唐突に、緊迫した面持ちの二人の男が「報告がある」と兄貴に告げた。
「何か問題でも起こったか?」
「趙都統のお耳に入れておかねばならないことがあります。自分は参譚鼓院の宣良顕と申します。こちらは撫幹の章時可。趙都統は、忠勇軍を率いる呂統制……呂渭孫という男をご存じですか?」
宣良顕と章時可は、襄陽の地方役人だと思う。聞いたことない役職だが、たぶん、どこかの建物の管理人だ。
忠勇軍統制の呂渭孫、という名を聞いて、兄貴の顔付きが険しくなった。
「危うい男だと聞いている。いつ暴発するかわからねぇ野郎だ、と」
「やはりご存じでしたね。趙都統、お気を付けください。呂統制は、魏帥が神馬坡の戦からお戻りになっていないことに付け込んで、魏帥が持つべき江陵副都統の印章を脅し取ろうと目論んでいるんです」
役職を証明する身分証が、印章だ(*2)。書類に押すためのものというより、紐を通して腰から提げて携帯する、フォーマルウェアのパーツの一つだ。
大昔は、役職に就いた全員に印章が支給されて実用されていたらしいが、宋の朝廷のやっつけ仕事はご存じのとおりで、こんな辺境の戦場できちんと印章を拝受した武人ってのはけっこう貴重なんじゃないかと思う。
だから、呂渭孫は魏帥の印章に価値を認めて、そいつを奪っちまおうと考えたわけだ。
兄貴がオレに向き直った。
「阿萬、呂渭孫と話をしてこい」
「オレが? 今から? バカなことをやめるよう説得してこいってことですか?」
「説得できればそれに越したことはないが、どうにかごまかして時間稼ぎをするだけでもいい。魏帥は生きているんだろう?」
「生きてますよ、当然。軍をまとめて必ず入城するって、あのまじめな人が約束したんです。とにかく、呂渭孫のところへ行ってきます」
まったく、気の休まる暇もない。
忠勇軍の屯所を訪ねると、呂渭孫は起きていた。ギラギラした目を光らせて、宣良顕と章時可の証言どおり魏帥への逆恨みを口にしては、左右に向かって怒鳴る、吠える。
「江陵副都統の地位にふさわしいのは俺だ! むしろ、都統になったっていい。そうだろうが。聞いてんのかテメエら、ああ?」
こんな狂犬を相手に説得かよ? うんざりしながらも、オレは兄貴に指示されたとおり、どうにか呂渭孫と言葉を交わしていた。
状況が一変したのは、伝令がビクビク震えながら急報をもたらしたせいだ。
「たった今、魏帥が、襄陽に入城なさいました」
言葉尻が消えるか否かのタイミングで、呂渭孫は伝令を蹴り倒した。オレは咄嗟に駆け寄って、伝令を助け起こした。
「大丈夫か?」
青ざめた伝令が応える代わりに、呂渭孫の怒鳴り声がオレの耳を殴った。
「テメエが根回ししやがったな! 邪魔すんじゃねえ!」
無理だわ、これ。
オレは悟った。こいつ、危ういなんてもんじゃねえ。狂ったオーラが出まくっている。
忠勇軍の兵士たちは誰一人として動かない。怯えている。ただ、それだけでもない。伏せた目は憎しみでギラついている。
イヤな予感しかなかった。
予感は翌朝、的中した。
「魏友諒を殺す! その
制止も何もあったもんじゃなかった。呂渭孫は口汚く罵りながら、魏帥の屯所を目指して突進していく。
オレは必死で追い掛けた。
「待てっつってんだろ!」
呂渭孫は聞く耳を持たない。何も見えていない。
魏帥が騒ぎを聞き付けて回避してくれることを願った。でも、願いは通じなかった。
疲れのにじむ姿の魏帥が、呂渭孫の視界に入ってしまった。魏帥は数人の部下を連れて、地元の兵士たちと話をしていた。
「魏友諒ぉぉぉっ!」
呂渭孫が吠える。手には抜身の剣。
「む、迎え撃て!」
悲鳴めいた声を上げながら剣を抜く者がいる。呂渭孫が迫る。
呂渭孫は剣を振るった。反撃を食らいながらも勢いは緩まない。がむしゃらな斬撃が兵士たちを襲う。見る間に二人が
その剣は、刀と違って、分厚い両刃だ。突いたり切り裂いたりするのではなく、頑丈さと重さに任せて振り回し、ぶん殴って標的の体をぶっ壊すように扱う。
血の匂いが鼻を突いた。頭が割れて脳髄が飛び散った死体と、肩から胸までグシャグシャに破壊された死体が横たわっている。
「魏友諒ぉぉぉっ!」
呂渭孫が再び吠えたとき、魏帥も剣を構えていた。
「愚かな男だ」
呂渭孫の大振りの斬撃を、魏帥は紙一重にかわす。そして鋭い一閃。剣を握った呂渭孫の腕が叩き折られ、赤い肉と白い骨をのぞかせた。
絶叫が轟く。呂渭孫の剣が落ちる。が、不揃いになった両手はなおも魏帥へと伸ばされる。魏帥が飛びのく。呂渭孫がそれを追おうとして。
そこで終わった。
魏帥の部下たちが呂渭孫に飛び掛かって、またたく間にその息の根を止めた。
急に、しんとした。
その沈黙と静寂も長くは続かない。複数人の足音が背後から聞こえてきたと思うと、立ち尽くすオレを追い越しながら、彼らは、はしゃいだ声を上げた。
「死んだぞ! 最低最悪のクソ上司が、ついに成敗されたぞ!」
忠勇軍の兵士たちだ。勝ち
呆気に取られるオレや魏帥の目の前で、忠勇軍の兵士たちは刃を手にして死体に群がった。そして、死体の肉を切り身にしては口に運び、憎しみに言葉とともに噛み締めて飲み下す。
「マジか……」
吐き気がした。
呂渭孫がクソ上司だったことも、部下たちの憎しみが本物だということも、頭では理解できる。
憎しみを晴らす最も強烈な手段が仇敵の死体を凌辱することで、その肉や骨を食らってやるという復讐譚は、昔から中国に伝わっている。それももちろんわかっている(*3)。
でも、この情景は、何だ? 恨みを晴らす彼らに喝采を贈ってやれってか?
できるもんかよ。
なるほど、この凄まじい怖気が復讐の正体か。傍で見るだけでさえ、言いようのないほど胸クソ悪い。こんな所業をその身に受けるほど憎悪されたらと想像すると、耐えられない。
そのときだった。
「これは何の騒ぎだ?」
喧騒の中でも一際よく通る声が響いた(*4)。異様な熱狂が、不意を打たれたように動きを止める。
「兄貴!」
「ちょいと遅かったか。いずれは呂渭孫をどうにかしなけりゃならねぇと思っていたが、こいつはあんまりだろう。城内には今、新米の兵士もいれば、武器を持てねぇ
我に返った忠勇軍が、血に汚れた顔から色を失った。兄貴はひどく険しい表情をしている。
軍中の秩序を乱すことは犯罪と同じだ。罰を食らうのも当然のこと。それに、兄貴が率いるオレたちの軍はとりわけ軍紀が厳しいと、ここいらじゃ知られているらしい。
じっとこの場を観察し、一人ひとりの顔を順に見つめた兄貴が、不意に表情を和らげた。
「そろそろ気が済んだ、ということにしてもらえねぇか?」
忠勇軍の面々が今さらながらハッとして、恭順を乞うように膝を突いた。彼らの間に、グズグズの肉塊と化した呂渭孫の姿が見えた。
兄貴は静かに微笑んで言った。
「どんなに
驚きとも喜びともつかない声が、そこここから上がる。兄貴は、彼らを励ますように明るい声で告げた。
「さあ、立ち止まってはいられねぇぞ。俺の下ではキリキリ働いてもらうからな。だが、まずは一つ、おまえたちに頼みがある。頼みを聞いちゃくれねぇか?」
何でしょうかと、忠勇軍でも年嵩の男が問うた。兄貴は答えた。
「顔も体も潰された男の死体があってな。簡単でいいから、葬式をしてやってほしいんだ。死体を墓に埋めて弔いの音楽を奏でる仕事を、忠勇軍で引き受けてくれ」
少し、ざわついた。
けれども、すぐに忠勇軍は静かになって頭を垂れた。
「かしこまりました、趙都統。葬式が済み次第、城の防衛の任務を我らにもお命じください」
「よし。頼りにしているぞ」
襄陽城内で最大の火種は、こうして除かれた。
烏合の衆に過ぎないはずの襄陽防衛軍が、兄貴の下で急速に一枚岩へと変化していく。オレは兄貴のそばにいて、その高揚する士気を肌で感じていた。
――――――――――
(*1)
半分だけの月
旧暦は月の満ち欠けを基準に一ヶ月を定めるので、日付から月の形と月の出、月の入りの時間帯がわかる。歴史小説の情景描写の手法として有効。
(*2)
印章
古代メソポタミアから伝わった印章が中国で使われ始めたのは、紀元前四、五世紀の戦国時代らしい。日本最古の印章は、漢委奴国王が中国から金印を授けられたこととされる模様。
南宋の次のモンゴル時代には、チンギス・カンの血族によってユーラシア大陸の大部分を占める大帝国が築かれ、水陸の東西交通が非常に盛んになったが、身分証として
マルコ・ポーロもクビライから大貴族並みの豪華な身分証を支給されたと自慢しているが、モンゴル時代の話を始めるととんでもなく長くなるので自重します。
(*3)
仇敵の死体を凌辱する
儒学では親孝行の基本として、親からもらった肉体を損ねてはならないと説く。ゆえに男でも髪を切らないし、罪人には入墨を施したり、鼻や耳や指や局部を切り落とす刑を科したりする。
『孝経』「開宗明義」に、
「身體髪膚。受之父母。不敢毀傷。孝之始也。」
また、同じく儒学では葬礼があらゆるセレモニーの中で最も重要なものとされる。『儀禮』「士喪禮」に細かく記載されており、服喪期間も非常に長い。
仇敵を殺すだけでは飽き足らず、死んで無抵抗になった肉体を破壊すること、またその肉を食らうことは、儒学的に見て二つの意味合いで手酷い侮辱行為と言えるだろう。
例えば、南北朝時代の六世紀、梁で反乱を起こして一時的に帝位についた侯景は、梁の正統の皇帝の名の下に追討され、逃亡の最中に殺されてバラバラにされた。胴体は今の江蘇省南京市に晒されたが、平民たちが寄ってたかって
『梁書』巻五十六、列伝第五十、侯景の条に、
「至壺豆洲、前太子舍人羊鯤殺之、送屍于王僧辯、傳首西臺、曝屍于建康市。百姓爭取屠膾啖食、焚骨揚灰。」
中国人の食人の風習については、戦前の京都帝国大学教授、
京都帝国大学の東洋史研究グループは、大陸進出の諜報機関としての機能を備えていた。当時、大陸から大量に収集してきた資料が、今でも書庫にごまんと眠っている。
中国人のすべてが食人文化を受容あるいは嗜好してきたとは、筆者は考えない。漢族の文化が日本文化と比較して苛烈な部分があることは事実だが、一概に何もかもが苛烈だとは言えないだろう。
死体を食らう話ではないが、死体を辱める話としては。春秋時代(紀元前五世紀)の呉の
伍子胥は、すでに死んだ仇敵、平王の死体を墓から掘り起こして鞭打った。このとき、友人の
漢族の文化圏に属するすべての人間が苛烈な仕打ちを好むわけではない。苛烈な点ばかり記録に残っているのは、それが目立つ行為だったからだろう。一般論と決め付ける前に慎重になるべきだ。
『史記』巻六十六、列伝第六、伍子胥
「乃掘楚平王墓、出其尸、鞭之三百、然後已。申包胥亡於山中、使人謂子胥曰「子之報讎、其以甚乎!……」」
(*4)
一際よく通る声
マイクのない時代、よく通る声は、軍勢を率いるリーダーとして必須の能力の一つ。
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