Ⅲ-21 百年の孤独と人間の絆

 ──おはよう、エルネスティー。今日もいい天気だよ。


 ドリィとジョンさんと仲間の人たち、昨日町を出て行った。直前に挨拶しに来たんだよ、声は聴こえた?


 ごめんね、あの二人、気の利いた言葉の一つくらい掛けてあげればいいのに、必要な事言ったらむっつりした顔で突っ立てるだけで。町で一緒に暮らそうよって説得したけど、どうしても無理だって言われちゃった……ほんと、失礼しちゃうよね。


 それとフォルジェロのお墓、エルネスティーちゃんと作ってくれてたんだね。今までの人のも。知らなくてごめん。それで……えと、エリクとパパ、なんだけど……あの後あそこに行ってみたんだ。でも何にも無くなってた。わたしが弾いたダーツの矢が一本残ってただけ。争った跡も新しく降った雪で掻き消されてた。だから二人がどうなったのかはわからない。


 とりあえずフォルジェロのお墓にそれ、置いておいたよ。あまり嬉しい事じゃないけど、もしかしたらまたどこかで出会うかもしれないからね。


 ……そう言えばわたし、この一週間でちょっと考えてる事があるんだ。すごくすっごく大事な事。これは多分、これからのわたしの人生まるっきり変えちゃうかもしれない。


 レティシアだった頃の自分を頭ごなしには否定しない。でも、この決意はやっぱりあの頃の自分を否定するものになるかも。


 ラスカシェロスに行った時に初めて自分が人殺しだってわかって、実はわたし、すごい嫌な気持ちでいっぱいだったんだ。だから帰って来てからエルネスティーを困らせちゃった事もある。胸がもやもやして嫌で、手紙を書いて家を出て行った事もある。わたしといると君だけじゃない、色んな人が危ない目に遭うと思って。


 手紙を書いていた時、もう探しに来ないで欲しいって本気で思ってた。今では思い出すたびに後悔してる。だってエルネスティーはそういうの嫌いだってわかってたから。


 わかっててそうして、でも君はやっぱり探しに来てくれた。


 本当はすごく嬉しかった。


 救われたような気がして。


 だから余計に苦しかった。


 マルールって呼んでくれた時。


 エルネスティーに酷い事してきたのに、それでも君はわたしを見捨てなかった。


 エルネスティー。


 ほんとに、ごめんなさい。


 だけど、ありがとう。




 おはようエルネスティー。今日もいい天気だよ。外だいぶあったかくなって来て、雪はまだ解けないけど日射しが強くなって来たんだ。


 この前久しぶりにベルトランさんの所に行った。この秋から町で公共事業ってのを始めるらしくて、町のひとりとして話し合いの一員に選ばれたんだ。ソフィやクランもね。色んな事話すんだよ、えっとね、貧しい人とか働けない人への支援とか、新しく病院を作るとか。それで、町の整備の関係でベルトランさんから提案された事なんだけど。


 ……ねえエルネスティー。地上で暮らす気、ない?


 家を建ててくれるんだって。わたしたちのために。


 よく日射しの当たる場所で、エルネスティーのために研究室と図書室も作ってくれるみたい。エリーヌがデザインして、ジャックが家具を揃えてくれるんだ。今暮らしてるこの場所もひと通り片付けて改装して、何だっけ……そう! 食糧とか燃料とか、お薬の備蓄庫にしたり、町の人が避難できるシェルターにする予定。


 そういうのエルネスティーはどう思う? やっぱり長く暮らしてるここの方がいい?


 わたしは……半々かなあ。ここも住みやすいし、地上も憧れる。


 もちろん、エルネスティーがいればどこだって住めば都だけどね!


 次の次くらいの話し合いまでに決めてくれって言われてるけど、エルネスティーの気持ちも考えたいから少し待たせちゃうかも。安心して、後でエルネスティーにも選べるように皆で考えておくから。




 おはようエルネスティー。今日もいい天気だよ。


 最近なかなかお世話できなくてごめんね。色々立て込んでて……まあクランとソフィなら大丈夫だと思うけど……あっ、体拭いたり動かしたり、き、着替えとかは前から二人に任せてたから、わたしは、その、……。


 へ、変な事とか、変な想像はしてない! エルネスティーに誓って絶対してない! だから安心して!


 ……はあ。


 そう言えばエルネスティー。クランとソフィから教えてもらったんだけど、その体の模様、だんだん薄くなっていってるみたいだよ。ゆっくりだけど前と比べたら確かに薄くなってる。目の周りの模様も。良かったね。その黒い模様、あんまり気に入ってた風に見えなかったし。やっと消えてくれるんだよね。


 ……。


 ……。


 ね、エルネスティー。教えて。


 ……。


 模様が無くなったら、どうなっちゃうの?


 ……。


 ……。


 返事してよ。


 ……。


 お願いだから、目を覚まして。


 ……。


 ……。



 ごめん。弱気な事言って。


 ただ怖くて。


 このままずっと目が覚めなかったらと思うと、わたし、どうしたらいいのかわからなくなるんだ。泣くのも笑うのも、死んでしまうのも、君とずっと一緒がいいって前に話した事があるよね。その気持ちは今も変わらない。そうやって君と生きていけたらなってずっと思ってる。


 ……。


 心臓は動いてる。浅いけど息もしてる。でもこうして呼び掛けても何の反応もしてくれない。バジーリオさんが教えてくれたよ、これは植物状態って言うんだって。いつ目が覚めるかとか、もしかするとこのままゆっくり死んでいっちゃうかもしれないとか、色んな事聞かされて、すごく不安で悔しくて、でもわたしには何にもできなくて。


 っ……。


 ちょっと、待って。


 泣いてるとこ、見せたら悲しんじゃうから……。


 ……。


 ……。


 ……ごめん、お待たせ。


 ねえ知ってる? 君が眠り始めてから今日で一年経ったんだ。たった一年でこんなになっちゃうなんて先が思いやられるよね。君が生きてきた百年に比べたら、こんな一年、ほんと、どうって事無いはずなのに。


 今は皆がいる。ひとりじゃない。支えてくれるし、励ましてくれる。だから大丈夫なはずなのに。


 ああ……もう……。


 ……今日は、長く話し過ぎたな、……またしばらく話せないかも。


 大好きだよ。


 エルネスティー。




 マルール。


 あなたの声は届いてる。


 はっきりと聴こえてる。


 でも、体が言う事を聞かない。


 口も、瞼も、指先をほんの少し動かす事さえ。


 あなたの声に応えたいのに。


 こうなってしまったのはマルールのせいじゃない。あなたの気持ちを推し量る機会なんていくらでもあった。私自身あなたに対して色んな想いを抱いて、それを伝えるのが遅くなってしまったから。それがマルールを苦しめてきた事もわかっていた。いつ訊いてもはぐらかすだけで明確な答えを返さない私なんかに、マルールはそれでもずっと一緒にいたいと言ってくれた。


 私はただ、自分の想いに自信が無かった。あなたに対して抱く感情がどういうものか理解し難かった。エリクと同じように思われるのが嫌だった事はわかっていたから。それから時間を掛けて自分の気待ちをわかろうとする努力をした。だから気付いたの。


 この感情は曖昧で、だけど深くて、温かくて、守っていたいと願うもの。


 マルールにしか抱けなかったこの気持ちは、それ以上どう言葉にしたらいいのかわからない。


 ……。


 あなたと一緒にいたいと思い始めたのはいつからなのか、実は私、はっきりと覚えていないの。いつからか自然と、あなたといる時間を当たり前のように感じていた。その事を自覚したのはあなたが書き置きを残して出て行った時。マルールと一緒にいたい。そのために私は何度もあなたを探しに行ったんだと、そう気付いた。そして同時に永遠であるように、あなたとの時間を終わらせないように、していたのかもしれない。


 でもマルール。あなたが教えてくれた。


 永遠なんて無い。永遠なんて無いもの。


 だからあなたとの時間がいつか終わってしまうものだと気付いたのは少し経ってからだった。けれど、ほんの少しだけ以前とは違った感慨も抱いた。永遠だと思っていたものは私を取り巻く状況じゃない、本当に永遠だったかもしれないのは、弱々しく冷え切ってしまった私自身の心。


 この先ずっと変わらない。何があっても終わらない。


 そう思い込んでしまうのは、弱ってしまった人間の性なんだと思う。


 ……。


 マルール、あなたは、この混迷する世界でひときわ強く輝く太陽。私はあなたの輝き無しには、たったひとり思いと惑いくらやみを行ったり来たりするだけの氷の月のような存在。あなたがいるから私は、ようやく私の居場所を見つけられたような気がするの。


 マルール、だから、私は。


 私は。


 ……。


 この気持ちだけは偽り無く、永遠だと信じたい。


 ……。


 根拠なんて無いけれど……。


 ……。


 ……。


 目が覚めた時にこの気持ちを真っ先に伝えようと思う。いつになるかはわからない。だんだんあなたの声が届きづらくなってきている。もしかしたらこのまま本当に死んでしまうかもしれない。この先の事は私にもわからない。長い間望んでいたのに、やがて訪れるかもしれない死が、こんなにも悲しいものだったなんて──。


 ……。


 ねえ、マルール。


 私にキスして。


 そうしたら目覚めるかもしれない。お伽噺のように。


 ……。


 マルール……。


 ……。


 ……。

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